06●非現実な町の人たち、そして現実的な鬼たちの社会。
06●非現実な町の人たち、そして現実的な鬼たちの社会。
『K滅のY刃』には、極めて巧みな、世界設定のトリックが仕込まれています。
漫画本第一巻の最初も最初、13ページ目の人々の描写です。
年越しの金を得るため、炭を売りに来たT治郎を迎える街の人々の優しいこと。
T治郎自身、明るく気のいい、“いい子”であることから、誰もが好意を持って接し、声をかけて気前よく炭を買ってくれます。
ここで、違和感を覚えませんか?。
街のみんなの親切が、なんだか、わざとらしく、ウソっぽい。
いやべつに、街の人々が全員、詐欺師で、親切そうにウソついている、という意味じゃないですよ。
どうにも現実感のない、人工的(作為的)なユートピア世界だと感じたのです。
みんな、親切すぎる。
だって普通、現実の社会では、皆さんこんなにフレンドリーじゃないですよ。
T治郎は芸能界の有名なイケメンアイドルではなく、ただの炭売りなんですから。
年越しの金が欲しくて炭を売りに来た……ことは、誰だって承知のはず。
今日中に売り切らなくては、正月の雑煮も食べられないだろう。
となると実社会では、まず、炭を値切られます。
こっちも年越しが大変でね、半額なら買うけどね……とか。
だいたい、T治郎が切羽詰まっているほどに、足もとを見られます。
買い叩かれて、カモにされます。
哀しいながら、それが実社会の常識です。
ビジネスなんですから。
無事に炭を売り切っても、そのカネを誰かに奪われないかと、用心しなくてはなりません。
うっかり他人の家に泊まったりすると、夜明けには財布がなくなっているかもしれないのですよ。
良し悪しは別として、現実の実社会は冷たいものです。
本当に、氷よりも冷たい。
13ページ目のような、あたたかい人々は、だいたい、フィクションならではの架空の創作物ですね。
私たちも、そう承知しているはずです。
だから……
そう、13ページ目のユートピアな町の人々……つまり、T治郎にとって現実の実社会は、私たちの現実の実社会では、ありえない架空の世界なのです。
ということは……
T治郎にとって、幸せなその世界を破壊して、家族を惨殺する鬼たち。
その凶悪さが、強烈にクローズアップされます。
第一巻18ページからの描写ですね。
それまでの平和でほっこりした世界が暗転し、鬼たちが支配する闇の世界が強烈などす黒さで演出されるのです。
いやなるほど、ホラー作品ではありがちな展開ですよね。
しかしここで明らかになる、邪悪でまがまがしい鬼たちの存在こそ……
物語の中の、あの“非現実の町”の真逆の存在となります。
“非現実”の真逆とは……“現実”。
すなわち、鬼たちの存在は……
私たちの
常に、何者かに襲われ、奪われ、辱められ、殺されはしないかという恐怖をたたえている、私たちのこの実社会こそ、鬼たちの世界そのものではないか……と、ここで暗示させてくれるのです。
その後、K殺隊の一員となったT治郎の前に現れる鬼たちを、血煙ドバーッ、生首スパーッと闘って殺す過程で、徐々に浮かび上がってくる、鬼たちの生活観。
かりそめの疑似家族を演じようとしながらも、互いにいがみあい、滅茶苦茶になっていく鬼たち。
ボロボロの人間関係、いや鬼関係に、それでも束縛され、崩壊した家庭にしがみついている鬼たち。
それはまるで、私たちの現実の家族関係のカリカチュアです。
鬼社会こそ、私たちの現実世界の実社会。
炭を売るT治郎をあたたかく迎える町の人々の描写の非現実さが、そのことを際立たせます。
読者の皆様、あなたたちの現実世界こそ、この作品における、“鬼の世界”なのですよ……と。
そう読み取らせてくれる第一巻。
これはやはり、『K滅のY刃』の作者様の力量というほかありません。
世界設定の凄さですね。
T治郎が生きているのは、
そして鬼たちが生きているのは、
鬼の世界と、私たちの現実世界を結ぶ、鏡面関係。
これが、第一巻冒頭で示された、『K滅のY刃』の世界設定なのです。
今、世界の分断はますます進んでいるとされています。
富める国と貧しき国、平和な国と戦争の国……
そして私たちのこの国の中も、持てる者と持たざる者にくっきりと分かれ、上級市民と下級市民のカテゴライズがささやかれるようになってきました。
これ、相当なリアル感があります。
とくに“司法・医療・教育”の三分野で、格差は決定的になりつつあると感じます。
不思議なことではありません。
80年前の戦時期には“非国民”という極悪非道なカテゴライズが事実上公式に存在し、このレッテルを貼られた人は、全国的に村八分にされたようですから。
え、今も、そうですよって?
あらゆる格差を一言でまとめると、こうなります。
強者と弱者。
強者が弱者の自由と財産と生命をむさぼり喰って、より強く生きていくのが、私たちの現実世界の恐るべき実態なのかもしれません。
弱肉強食。
そうだとすれば……
人を喰って生きる鬼と、どこが違うというのでしょうか。
『K滅のY刃』の作品世界の中では、その作品を読み、あるいは観ている現実世界の私たちこそが、じつは鬼そのものなのであると、思い知らされます。
こうした、いわば、“逆説の妙”が、この作品を大ヒットに導いているのかもしれません。
おそらく読めば読むほどに、私たちの心の中の、鬼としての本性がえぐられていくはずです。
この作品に仕込まれた、じつに巧妙なトリックというべきでしょう。
*
この燃え盛る炎のように熱く巨大なキメツブームの裏側に、この国の社会と人々の、氷よりも冷たい酷薄な感情が、うっすらと透けて見えるようにも思うのですが、いかがでしょうか?
私たちの心は、鬼よりも冷たいのかもしれません。
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