05●されど哀しき鬼ライフ……私たちこそ鬼である。
05●されど哀しき鬼ライフ……私たちこそ鬼である。
ここで一度、立ち位置を変えて、鬼さんたちの境遇を思いやってみましょう。
人から鬼になったのち、鬼さんたちはどのように暮らしているのでしょうか?
鬼化してからの“鬼ライフ”や如何に、ですね。
鬼なりに幸福を追求し、あるいは富や名誉を求めて行動していくのでしょうか。
もちろん鬼さんたちにも、生活があります。
人を喰わなくては生きられないのですから、鬼として生きるためには、人を喰う努力をしなくてはなりません。
おそらく最初、人間から鬼になった時点では、天涯孤独な一匹鬼の境遇でしょう。
家族や友人とともに、みんなまとめて同時に鬼になったのでなければ、一人寂しいホームレスの身となります。
もちろん、一人で人間を襲って喰えばいいのですが……
そこへ現れるのがK殺隊です。
うかうかしていると、L獄さんみたいな手練れの刺客に襲われて、血煙ドバーッ、生首スパーッ、で成仏させられてしまいます。
やはり、おひとりさまでは心もとない。
そこで、多くの鬼に共通する、ひとつの要素が浮かび上がります。
鬼さんたちは、群れて仲間を作ります。
オオカミたちやUボートの狼群戦術と同じですね。
群れをなして、組織的に人間を襲うようになるのです。
しかも……
それはただの半グレ集団ではありません。
家族を形作ろうとするのです。
ファミリーです。
仲間で一番強いドンのもとに忠誠を誓う、家族的な縁で結ばれた集団です。
アレを思い出しますね。イタリアを舞台にしたマフィア映画。
鬼さんたちは集まって、どうやら人間の家族に近い雰囲気のグループを形成しているようなのです。
もともと血縁関係があった者たちがそのまま鬼にされたケースもあるでしょう。
そうでなければ、他人同士の鬼さんたちが知り合って、それぞれ父母やきょうだいたちの役割を果たす、疑似家族の関係を結ぶと思われます。
あの山の、人面蜘蛛と化した鬼さんたちも、ファミリー的でしたね。
家族内の上下関係が、鬼さんたちの上下関係となります。
人数が二人程度と少なければ、兄や姉、弟や妹に類似した関係となります。
手毬に似た武器を操る鬼女さんも、そうでしたね。
じつに、わかりやすい。
なぜ、家族なのでしょうか?
もちろん、自分たちを守る最小単位が、家族だからです。
互いを守り、互いを愛して、いたわり合う基本集団が、家族だからです。
ということは……
鬼たちが追求する幸せは、そこにあるのです。
『K滅のY刃』でT治郎たちに次々と倒される鬼たち。
その断末魔のシーンをみると、鬼たちは、ただのケダモノみたいな狂気のみで生きているのではなく、その深層意識に、「家族愛への渇望」が秘められていることがわかります。
鬼たちは、いまわの際に、自分が人間の家族の一員だったことを思い出します。
鬼になって家族を喰ってしまったことを、心底から悔いる鬼もいます。
だから鬼たちは、人間でなくなり、鬼になってからも……
“家族”を求めるのです。
そこに、鬼たちの“哀れ”があります。
私たちはそのとき、殺される鬼に同情します。
「かわいそうに……」と。
しかし次の瞬間に思います。
「けれど、しかたがない」と。
T治郎自身も、そんな鬼の境遇を忖度してか、斬り方を加減して、痛くないようにやさしく、生首スパーッとやってあげる場面があります。
まあしかし、そうはいっても……
鬼の側に立てば、殺されることに変わりはありません。
なんと救いのないことか。
鬼は邪悪だから殺すべし、鬼なんだから殺すしかない。だって殺してやるしか、成仏させてあげる方法がないんだからね……
血煙ドバーッ、生首スパーッ……の情景をながめながら、皆さん、繰り返しそんなふうに納得してはいませんか?
さてしかし、鬼たちが構成する“疑似家族”の集団は、残念ながらほとんどの場合、幸せからは程遠い状況にあります。
“家庭崩壊”しているのです。
横暴な父親役、ヒステリックな母親役、互いに罵り合うきょうだい役の鬼たち。
相手に尽くしては利用され、あるいは尽くすように見えて束縛したり……
肉体的かつ精神的なドメスティック・バイオレンスに満ちた“崩壊家族”になり果てているのです。
鬼は所詮、鬼だからね……人並みの家族関係なんて無理なんだよ。
そう思ってナメてかかると、痛い目に遭うことにもなります。
相手の鬼がちっこい少年少女だから一撃で殺れると安心してかかったら、たちまち一発で逆襲される……という、迂闊なK殺隊士もいましたよね。
“サイコロステーキ先輩”とか呼ばれている、あの隊士君です。
それにしても……
外見は家族めいているけれど、実はメチャクチャに家庭崩壊している鬼さんたち。
それでも家族っぽくふるまうことにこだわる鬼たち。
はかなく無意味でも、鬼たちの幸せは、そこにあるのです。
だれかに似ていると思いませんか?
そう、私たち人間に、です。
まるで欠陥人間とでもいうかのような、崩壊家族の鬼たち。
しかしあれ、現代の私たちですね。
だって、理想的な仲良し家族なんて、いまどき、本当にどれだけあるのやら。
世間体は一生懸命に繕っているけれど、内側はガタガタで崩壊寸前の家族が、むしろ多数派ではないでしょうか?
偉い役所の次官までなさった人物が、実の息子を手にかける事件もありました。
経済的にも社会的地位にも恵まれた家庭であっても、ちょっとしたきっかけで崩壊しうる。
そもそも、なにがしかの問題や不安を抱えていない家族など、皆無といっていいでしょう。
あのTランプ・ファミリーだって、家族喧嘩はあるらしいですから。
だから……
鬼の家族の崩壊ぶりは、今の、リアルな私たちを鏡に映した姿なのです。
ここが、『K滅のY刃』の凄いところだと、私は思います。
作者が意図して仕組まれたかどうかは、わかりませんが……
弱い立場の人を襲って喰い、鮮血をすすり、K殺隊に斬首されて滅びる鬼たちこそ、現代のリアルな私たち、人間の実態を正確に反映しているのです。
鬼とは、私たちのことなのです。
【付記:『BLOOD+』の家族たち】
ドラキュラ伯爵が、とるにもとりあえず自分の妻を求めるように、吸血鬼や、その他の“鬼”に分類される異形の怪物さんたちは、ファミリーの形成を希求する傾向があるようです。
『K滅のY刃』の鬼たちもそうですが、私にとって最も印象に残っているのは……
やはりTVアニメの『BLOOD+』ですね。
第一話からヒロインの
そして宿敵である吸血鬼(翼手)側のヒロインは、
また、人工的に吸血鬼にされ、施設を脱走した悲劇的なグループも、ある種の疑似ファミリーを形成しています。
小夜たちの敵である謎の組織の中核をなす“シュバリエ”たちも、血を共にする兄弟であり、ファミリーです。
“吸血鬼”という血を吸う魔物の特性でしょうか、“血縁”の関係が登場人物を結び付ける、まさに“赤い糸”となって、複雑にして壮大な物語を
それだけに、お話の大きなテーマとして“家族愛”が浮かび上がります。
小夜の父親役のジョージ、その献身に、まず泣かされます。
施設を脱走した人工吸血鬼たちが行き場を失い、家族愛を求めてさまよう姿の儚さも、落涙ものです。
最終話のラスト近く、ご先祖の墓所へ向かって石段を登る、小夜の兄役である少年……いや、あまりにも多くを失い苦しみの果てに成長した一人の青年……の後ろ姿にも、涙腺がゆるみます。
彼に超人的な能力はなく、終始、普通の人間として、ヒロインを愛し、ヒロインを支えてきたわけですから。
吸血鬼を単なる
さらに、世界設定の、あまりにも見事なこと。
吸血鬼が全て敵というのではなく、吸血鬼を操って兵器に利用しようとする人間が、真の敵として背後に暗躍します。
本当の敵は、じつは人間自身。
最も残酷なのは、吸血鬼でなく、人間ではないか。
すばらしいテーマ性が貫かれています。
あくまで個人の感想ですが、吸血鬼ジャンルの数ある映像作品の中で……
『BLOOD+』こそ最高傑作ではないかと思うのです。
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