03●鬼に罪なし。

03●鬼に罪なし。



 『K滅のY刃』では、主人公のT治郎が殺気を放つ日本刀で、鬼たちの首をカットしまくります。

 首をチョン切られた鬼たちは、粉々に細胞分解して滅びます。


 それが、鬼の“死”です。


 さてそれでは、逆に……

 “鬼”って、どうやって生まれるのでしょうか?


 これ、とても大切なことですね。


 普通の人間が鬼に襲われ、“傷口に鬼の血を浴びると、鬼に変化する”……とされています。


 要するに、鬼の血液を体内に取り込むと、鬼になるというのです。

 その一方、鬼の手で惨殺され、貪り喰われてそのまま終わるケースもあります。

 ということは……


 鬼は人を襲うとき、

  一、飢えを満たす食用人肉&飲用血液とする場合、と、

  二、鬼の血を与えて自分たちの仲間にする場合、

 を選択していることになります。


 喰っちまうか、仲間にするか、ですね。

 これを選んでいる。


 そのとき幸か不幸か、喰われずに鬼化させられたヒトが、新たな鬼となって、人間を襲うことになります。

 そうやって、鬼は数を増やしていく。


 としますと、わかり切ったことですが……


 鬼はみんな、もとは人間だった。


 ということになります。

 『S撃のK人』で、“巨人はもともと人間だった?”という展開と似ていますね。

 作品の設定としては、根底が同じであると考えてもいいでしょう。

 “鬼”と“巨人”をイコールで結べば、いいのです。


 それはさておき、鬼がどいつもこいつも、“もとは人間だった”と定義いたしますと……


 みんな、“なりたくて鬼になったのではない”……ことに気付きますね。

 いかなる鬼も、フツーの人間だったときに鬼に襲われて、無理矢理かつ強制的に、鬼にされてしまったやつらばかり……ということになるのです。


 好きで鬼稼業を始めた鬼は、一匹もいないのです。

 むしろ、被害者です。

 強制的に鬼にされてしまい、そうなると腹も減るし喉も乾くので、仕方なく生きるために人間を襲って人肉を喰い、血をすするようになったと考えられます。

 これは、人間としての理性を失い、精神的に狂った状態に陥っているともいえるでしょう。

 だってやはり、正気のままで、生の人肉を喰らい生き血をすするのは、ちょっとねえ……

 考えてみて下さい。自分の肉体が生理的にギリギリときしむように変化させられて、突如として、人肉喰いたい! 鮮血をすすりたい! と心から欲するようになってしまったら……

 普通、狂いますよ。とてつもなく錯乱しますよ。正気じゃなくなりますよ。

 とすると、鬼さんたちは、ある種の心神耗弱や心神喪失の精神状態で、人間を襲っていることにもなります。


 鬼によって無理矢理に鬼化させられ、まともな精神を失って、自分の意志を喪失し、いわば発狂して人を襲っている。

 としたら、そこに、法的な“罪”は生じるでしょうか?


 そう、鬼という鬼は、ことごとく、法律的にはおおむね無罪なのです。


 そこのところ、『K滅のY刃』を観る児童たちには、ちゃんと承知してほしいと思うのです。


 「鬼はみんな、もともとは人間だったんだよ。無理矢理に鬼にされてしまったんだよ」……と。


 そうなりますと……

 T治郎のように鬼に刃を向けて全集中、血煙ドバーッ、生首スパーッ、と処刑していいのだろうか?

 裁判抜きのいきなり死刑です。

 弁護士も立ててあげずに、いいのか?

 鬼なんかに人権はない! と、したり顔で断じる人がいるかもしれませんが……

 そんな人に限って、自分が鬼にされるとしたら、大金で高級弁護士を雇ったり、警察官や検事や判事の買収にかかったりするのではありませんか?


 そんな、素朴な疑問にとらわれます。


 たまたま鬼にされてしまった人たちを、人類は一方的に、諸悪の根源と決めつけて、あらゆる不幸の責任をなすり付け、K殺隊を番犬のようにけしかけているのではないか?


 なるほど、鬼を殺さないと、人間の犠牲者が増えるから、殺すしかない。

 それはそれで、人間側の“正当防衛”として理屈は通るのですが、鬼を逮捕して裁判にかけることなく、ことごとく斬首処刑するK殺隊には、はたして“正義”はあるのか、ということにもなります。


 鬼はみな、無理矢理に鬼にさせられた、いわば“被害者”です。

 それを問答無用で斬首して殺すのが、果たしてまっとうな正義なのか?


 『K滅のY刃』の漫画本の二巻目まで読んで、そう感じました。


 鬼はもともと人間である。

 みんな、無理矢理に鬼にさせられたのであり、法的な罪はない。

 しかし放置すれば他の人間を殺して喰ってしまう。

 人類社会の平和を維持するためには、鬼を殺さなくてはならない。

 鬼は、死ぬことでしか救われないのだから。


 K殺隊の“正義”はそのように説明されるのでしょう。

 漫画本やアニメの読者や観客の皆様も、おおむねそのように、作品世界を理解されているのではありませんか?


 だから、T治郎たちが鬼と戦い、血煙ドバーッ、生首スパーッと鬼を殺していくのは、まさに人類を救う行為であり、それゆえに正しく、正義であり、カッコいいのだ! と。


 そう思ってはいませんか?


 だから、T治郎たちの剣戟と鬼の斬首に、爽快感を覚えてはいませんか?


 爽快だと思いますよ。

 特にアニメ、T治郎やK殺隊の幹部たちが艱難辛苦の末に会得した必殺技を繰り出して、膨大な犠牲を払って、ついについに勝利を得る。

 その結果、鬼たちの不幸なタマシイにも救いをもたらしてやる……


 これ、カタルシスです、エクスタシーです。

 絶対に、爽快ですって。


 だから、恐いのです。


 なんとなれば……

 主人公たちが鬼を血煙ドバーッ、生首スパーッ、と惨殺するとき……

 皆様はこう思ってはいないか、ということです。


 「かわいそうだけど、しかたがない」






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