02●血煙ドバーッ、生首スパーッ……で、いいのか?

02●血煙ドバーッ、生首スパーッ……で、いいのか?





 いまや国民の教科書といえるほどブーム化した、『K滅のY刃』。


 しかし、私はじつは、好きかどうか、と言えば……

 作品の一部については、あまり好きではありません。

 あ、あくまで私個人の、きわめて個人的な感想ですよ。

 とはいえ、全国津々浦々の老若男女がこぞってキャラグッズを買いあさる巨大ブームに異を唱えるのは本意ではありません。皆様から袋叩きにされそうで、率直に恐いですから。主人公のT治郎についていく、あの金髪の泣虫(だけど弱虫ではない)の新米隊士君みたいに、道端にうずくまって「恐いよう~」と泣きたい気分なのです。そんな臆病でいくじなしの私に免じて、どうかお許し下さればと願い奉る次第です。



 で、なぜ、『K滅のY刃』の一部が“好きくない”のか、といえば……

 やっぱ、“飛び交う生首”です。あれは恐い。

 だって、低年齢の児童も読むマンガ作品ですよ。

 最初の深夜枠ならともかく、今や金曜夜のゴールデンタイムを飾るTVアニメ。

 お子様とお母様のために用意された時間なのです。

 紙媒体の白黒マンガだけならともかく、天然色のTVアニメにまでなると、これは抵抗があります。

 主人公のT治郎は、鬼と戦い、鬼の首を斬首します。

 生首をチョン切るのです、ギロチンです、いかに大正時代の昔とはいえ、戦国時代の話でもないのに血煙ドバーッで首がスッ飛んで転がるのですよ。

 いかに主人公たちの剣戟がカッコよくても、生首コロンコロンは、どうもねえ……


 いや、描写の残虐さでは、過去の作品、たとえば『吸血鬼ハンターD』や『HELLSING』や『BLOOD THE LAST VAMPIRE』のシリーズだって似たような場面があるんじゃないかということになりますが……


 しかし、それらの過去作品はヒット作とはいえ、『K滅のY刃』ほどには大化けしていません。

 『K滅のY刃』と比べると、たぶん二回りほど小さなマーケットでの限定的ヒットにとどまっていると思います。

 というのは……

 過去作品には、少なからずエロティックな要素が加味されていたからです。

 異形の悪霊が艶やかな美女にからんだり、男女のセックスを連想させる場面にバケモノが闖入ちんにゅうして××したり、美女タイプのバケモノが美少年にヤらしい行為を強要したり……といった演出が(たいていは画面外の出来事ですが)含まれていました。


 それゆえ過去作品の多くは、いたいけな子供たちや、道徳心あふれる両親の人気を得ることは期待せず、アダルトなホラーファンを中心に、ある程度限られた人口層でヒットすることを狙っていたのでしょう。『K滅のY刃』のような全世代型バカウケ現象は、当初から望んでいなかったはずなのです。


 しかるに、『K滅のY刃』ではエロい描写は細やかに排除し、軽いギャグに置き換えられています。作者が女性といわれますのも、なるほどと思います。男性の作者ならいろいろとサービスカットに走っていたでしょうから。え? たとえば、NZ子のパンチラ? ああいけない、良い子は想像してはなりません!

 また、コミック本では漢字がみなルビ打ちで、小学校低学年もターゲットに含めています。明らかに年齢層を選ばない、ファミリー向けの体裁がしつらえられていたわけです。


 これが大ヒットの一要因であることは確かでしょう。

 老若男女誰にでも気兼ねなく楽しめるエンタテイメント。

 主人公のT治郎は家族思いでよく働く“いい子”であり、保護者の視点からみて、非の打ちどころがありません。子供に読ませても、教育上よさげです。

 その彼が、いわれもなく酷い目に遭い、鬼にされた妹を死の運命から救うため、そして家族を惨殺した鬼、すなわち悪を憎み、敵討ちをするために復讐の旅に出る……

 いや、世代の区別なく、男女の区別もなく、誰だって共感できる、わかりやすいストーリーに設計されていますね。

 この“顧客を選ばない万人受け”の設定が、大ヒットの大前提でした。

 『進撃の巨人』『ドラえもん』『ワンピース』『セーラームーン』、また、ジブリ作品の多くも“万人受け”という点では、通じるものがありそうです。

 アダルトなH要素を排除した、わかりやすい設定のストーリー。

 作品世界での“正義と悪”が明白で、悪を滅ぼすことで最終的に解決する。

 しかし、ありきたりではなく、これまでのタブーに風穴を開ける破天荒さが添えられている。


 各作品には、そういった特徴がみられます。


 『K滅のY刃』に頻発する生首スパーッ、の過激描写は、過去作品のタブーを破る、ちょっとワサビの効いたスパイス感覚で受け止められたのかもしれませんね。


 しかし、歴史を振り返ってみると……


 『K滅のY刃』が、もしも昭和の戦後時代……1970年代あたりまでに漫画雑誌に登場していたら、当時の親たち、特に全国のPTA関係団体から、「子供が読むには残酷すぎる!」と指弾され、当時のH路線マンガ『ハレンチ学園』と並べて、不健全図書の東西横綱に奉られていたかもしれません。

 ましてや公共性が高いTVアニメの放映など論外中の論外、国会で槍玉に挙げられたとしても不思議ではなかったでしょう。


 だって、血煙ドバーッで生首スパーッですよ。


 私が『K滅のY刃』の大ブームをどことなく好きになれず、不気味さを感じる理由の一つです。

 小学校低学年の児童までが、T治郎のコスプレで玩具の刀を振り回す。

 そんな子供たちの脳裏には、T治郎になりきって全集中、鬼の首をスパーッと爽快にギロチンするイメージが閃いていることでしょう。

 その姿をニコニコとして“える”動画に収める母親、父親。


 それで、いいのか?

 素朴に、そう思うのです。


 ただ私は、『K滅のY刃』という作品を批判するつもりは毛頭ありません。

 あれはフィクションとして創り出された作品です。空想の産物です。

 残酷であろうがエロであろうが、他者の人格や権利を侵害しないフィクションであるならば、表現の自由の範囲であって、ノープレブレムです。

 作品に罪はありません。そもそも私はこの件については、誰に対しても、罪を問う気持ちはありません。

 『K滅のY刃』という作品は、それでオールOKであり、個人がフィクションとして作品を楽しむことに、疑義を呈する意図は全く持ち合わせておりません。

 ただ、気になるのは……

 読者なり観客である私たちの、作品への、異様なほどの、のめり込み方なのです。

 『K滅のY刃』に感情移入し、集団をなして熱狂的に楽しむ現象に対して、そこはかとなく感じる、ぞっとするような不気味さ、なのです。


 社会現象として捉えたとき、これは本当に、心地よいものなのだろうか?


 だって、血煙ドバーッで生首スパーッですよ。


 私個人としては、少なくとも、いたいけで純真なお子様に推奨して、一緒に楽しむのは遠慮したいと思うわけです。

 皆様、ご自分が児童であった昔の時間を思い返してみてはいかがでしょうか。

 墓場のお化け太郎とか、トイレのフラワー子さん、あるいはサンタクロースの実在を、信じていたときがあったのではないでしょうか。

 そう、フィクションとリアルの区別が、ビシッとできない時期って、ありましたよね。

 そのような精神年齢の時期に、T治郎やNZ子になりきって、血煙ドバーッで生首スパーッというのは、いかがなものでしょうか?

 大人には、子供の心はわかりません。他人の心の中ですから。

 しかし、正義の剣をふるいさえすれば鬼を一刀両断、血煙ドバーッで生首スパーッというのが、カッコいい!……と、児童たちが内心で認識していたとしたら……


 ちょっとこれ、ブキミじゃないかね? と思うのです。


 もちろんフィクションとしての作品ですから、法的にもモラル的にも一切問題はありませんし、私も一切、作品を批判するつもりはありません。


 気になるのは、あまりにも巨大スケールな国民的ブームです。作品の受け手である皆様の、ノリの大きさです。

 ブームの物量と情報量が、ケタ違いなのです。スーパータイフーンなのです。

 ブームに熱狂し、グッズを買いそろえ、コスプレして、すっかり主人公たちの気分になって、インスタにえて喜んでいるうちに……

 フィクションがいつのまにか生活に沁み込んできて、リアルと同じ感覚……疑似リアルに色付けされてしまったとしたら……

 私たちの心が、いつのまにか、血煙ドバーッで生首スパーッ、への抵抗感をなくし、本心から楽しんでいるのではないか……という、不気味さへの恐怖なのです。


 なぜならば……

 鬼の正体に、その理由があるからです。






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