第19話

「クライくんそろそろ時間よ。今から教室に向かえばちょうどクラスの子たちと合流できるはずよ」


 時計を気にしてくれていたマイン先生が入学式が終ったことを教えてくれた。


「大したことなかったのに、長く居座ってしまいすみませんでした」


 そんなマイン先生に僕は立ち上がり頭を下げた。すでに頭痛は治りどこにも不調はない。


「ふふ、クライくんならいつでも歓迎するわよ」


 マイン先生はお茶目な人なのかな? 僕に向かってウインクしたかと思えば両手を広げる。


「?」


 両手を広げた意味が分からないので、僕が首を傾げていると、


「クライくん。お別れのハグは大事なのよ」


 ――ハグ? え? ハグってあのハグ? 僕と先生が? 


 過去の知識では、国が違えば軽い挨拶程度の意味だったりもするが、貴族は色々と危険なのでハグなんて挨拶はしない。


 でも平民はどうだろう……するのかな? 分からない。過去の知識が混ざってしまった分、余計な事を考えすぎて頭が混乱しそうになる。


「……ハグですか?」


 とりあえずそう尋ねて時間を稼ぐしかない。


「そうよ。スキンシップって大事じゃない」


 マイン先生がにこりと笑みを浮かべて何でもないように言う。


「え?」


「ううん。こっちの話。あ、もしかしてハグの意味が分からなかった? そうだよね。クライくんは貴族だものね。ごめんね、クライくんと話していて貴族って感じがしなかったから。それでハグというのはね。はい」


 そう言うや否や、笑みを浮かべたマイン先生が僕に抱きついてきた。


 むにゅ。


「誰とでもってわけじゃないけど、親しい間柄なら気軽にする挨拶なのよ」


 知ってたよ、とは思いはするものの、やはり貴族がする挨拶ではないということは理解できた。


「なるほど、親しい間柄なら気軽にする挨拶なんですね……って、僕と先生は今日会ったばかりじゃないですか」


「まあまあ」


 満面の笑みを浮かべているマイン先生。


 白衣を着ているから分からなかったけど、マイン先生もアンナやレイナに劣ることのないお胸を持っていたようで、抱きしめられているとそのボリュームが嫌でも分かる。


 ――ぁ!? まずい……


「ふふふ。どう? こういう挨拶も新鮮で悪くないでしょ」


 悪戯が成功したような無邪気な笑みに変わったマイン先生。

 その笑顔から察するに、どうやらマイン先生は僕を驚かせたかっただけなのだろう。その笑顔は本当に楽しそう。


 だがしかし、これはまずい。かなりまずい。僕には絶倫スキルがある。


 絶倫スキルを得てからというもの僕の意思とは関係なく女性に触れたり、女性から長く触れられたりすると、身体の一部がすぐに反応して大きくなってしまうのだ。


 いつもは彼女たちが側に居てくれて当たり前のように処理をしてくれるからこんな体質でも気にせず過ごしてきた。


 だから失念していたんだけどね。


 でも絶倫スキルは、それさえ気にしなければ魔力量を大幅に増やしてくれるかなり優秀なスキルだ。

 現に僕や彼女たちはこのスキルを得てからというもの常に影術の一つである影具を発動し続けているが、魔力枯渇に陥ったことは一度もない。


 今でも魔力量は増え続けているため今後も魔力枯渇になることはないだろう。


 だからむしろこのスキルが宿ってくれてありがたいとさえ思っていたくらいだ。


 僕は咄嗟に腰を少し引いたのだが、少し遅かったみたい。僕の反応して大きくなった身体の一部がマイン先生の身体に僅かに触れてしまった。


 ――あっ!?


 僕は気づかないでくれ、と願いっては見たものの視線が合ったマイ先生がにこりと笑み浮かべた。


 ――あの笑み、気づかれた。


 僕は恥ずかしくて顔が火照っていくのが分かる。


「ふふふ。クライくんはカッコイイだけじゃなくて、可愛いところもあるのね。先生うれしいかも」


 やはりマイン先生には気づかれていた。でも先生は僕の反応が面白かったらしく、むしろ楽しそうにしている。


 いや、絶対楽しんでいる。だって、気づいているのに、笑みを浮かべたまま僕を離してくれないんだ。


 でも、先生のそんな反応に少しホッとしているのもたしかだ。

 過去の知識からも軽い挨拶のつもりで抱きしめられ、いちいち反応させていれば、侮蔑の視線を向けられ獣物と叫ばれていたとしてもおかしくないのだから。


 でもいくら冗談が通じるとはいえ、先生のハグは長すぎる。


「ま、マイン先生、もうそろそろ」


「まだよ……私のハグは長いのよ。ふふふ」


 くすくすと笑うマイン先生。これは間違いない。やっぱり先生は僕の反応を楽しんでいる。確信犯だ。


「先生、もしかして楽しんでいます?」


「まあまあ。いいじゃない」


 結局マイン先生が僕を離してくれたのはそれから十数秒ほど経ってからだった。


「はぁ……では、マイン先生。ありがとうございました」


「はい。クライくんはいつでも大歓迎だからね。用事がなくても顔を出すのよ」


 約束だよと小指を立ててみせるマイン先生にもう一度頭を軽く下げてから僕たちは保健室を後にした。


「「「……」」」


 保健室を出てから少し無言が続く。アンナたちは顔には出さないがたぶん面白くないと感じている様子。付き合いの長い僕には分かる。


 ――こんな時の、彼女たちの夜は長いんだよな……それが可愛くもあるんだけど。


 それから僕はアンナとレイナと別れて、一年A組の教室を目指した。


 まあ、アンナとレイナが隠れて後を着いてくるのはいつもの事なんだけどね。


「クライ様、こっちだよ」


 教室まではトワが調べていてくれたので迷うことなくたどり着いた。


「ここです」


「ありがとうトワ」


 でもその教室はやけに静かだった。人の気配がない。どうやら他の生徒たちよりも僕たちの方が先に着いてしまったらしい。


「しばらく待っていよう」


「はい」


 ――――

 ――


 しばらく教室の外で待っていると、中年男性(おそらく担任の先生)とその後ろにぞろぞろと生徒たちの姿が見えてきた。


 その生徒の先頭には、この国の第一王子であるアレス王子の姿が見える。


 アレス王子とは一度だけ陛下に紹介されて顔を合わせていたのもあるが、夢の中の男が操作していた人物でもあったからすぐに分かった。


 先ほど得た知識からすると、このアレス王子こそが物語(ゲーム)の主人公だ。


 ――ん? 側近もいるのか……


 王子の周囲には三人の側近がいた。この側近とも僕は一度会ってる。軽く挨拶した程度だけど。


 彼らはカイエン・アップル公爵令息にルキシル・ストロベリ公爵令息それにキルマ・オーレンジ公爵令息だ。


 いずれも同級生という立ち位置だが、実年齢は四つ上で一度卒業をしている。

 王子のためにわざわざ再入学した形なのだろう。


 過去の知識の中でも彼らは登場する。王子の側近として。初めからパーティーとは別にNPCキャラとして着いてきて勝手に援護してくれるお助けキャラだった。

 ただし一度でもやられると責任を取って護衛から外れて二度と登場しない。


 でもここは現実世界で彼らも高位貴族。よほどのことがない限り王子の護衛から外れることはないだろうけど類似点が多いな。


 やはり不安材料は早めに潰した方がよさそうだな。


 こちらに向かってくる先生や生徒たちを眺めながら、そんなことを考えていた僕だが、ふと、このまま廊下の真ん中に立っているのもまずいと気づく。


「トワ」


「は、はい」


 僕とトワはすぐに廊下の隅に寄り頭を下げる。


 この学園の方針では身分は関係なく共に学ぶことになっているがそれは建前だ。

 自分の身を守るには一定の線引きが必要なのだ。


 それに、この学園を卒業してからが貴族生活の本当のスタートとなるからね。

 そこで自分より高位の貴族に目をつけられていれば、どうなるのかなんて容易に想像できるだろう。


 それが自分だけで済めばいいが、ほとんどの場合家族まで累が及ぶ。

 まあネックラ家は特殊な家系だから没落するまではならないだろうけど迷惑はかけたくない。


 それに、あまり目立つのもよくないしね。ここはこうするのが無難なのだ。


「ん、そこにいるのはクライくんとトワくんかね?」


 僕に気づいた中年の男性が立ち止まり声をかけてくれる。


「はい」


 僕は返事をするがトワは頭を軽く下げるだけだ。


「マイン先生から話は聞いている。もう体調の方は大丈夫なのか?」


 中年男性はやはり担任の先生だった。名前はマックス・ロベルト先生。ロベルト家は王城に務める文官の家系でたしか伯爵位を賜っていたはずだ。


「はい。もう大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ございません」


「うむ。顔色も良さそうだな。だがまあ無理はするなよ」


 それから先生は教室に入ったが。その際、僕も教室に入るように言われたが、まだアレス王子が廊下にいるので頷くだけに留めた。


 それからすぐにアレス王子も教室に入る。かと思いきや、なぜか王子が僕の方に顔を向けた。


「君は本当にクライなのか? あの時はたしかメガネをかけていたと思うが……

 ああそうか。あれは魔眼を得るためで、今は優秀な弟が次期当主となったから、君はその必要がなくなったのだな」


 突然僕に話しかけてきたアレス王子はそんなことを言う。

 そもそも魔眼の話など極秘中の極秘。話題に出すのもタブーとされている。

 それなのにこの王子は普通に口にした。


 僕は思わず呆気にとられてしまった。


「だがまあ、気にすることはない。ここはお互い切磋琢磨して己を高め合う場でもある。共に頑張ろうな」


 爽やかにそう言ったアレス王子は笑みを浮かべながら教室に入っていった。

 含みもなにも感じられなかった。アレス王子に悪気はなかったのだろう。


 側近たちは少しすまなさそうな表情で僕の前を通り過ぎていった。


 ――これはまいったな……


 でも当然ながら、そんな事を間近で見ていたクラスメイトたちの反応は様々だった。


「顔がいいから狙おうかと思っていましたのに、アレス王子に感謝しますわ」

「そうね、あの顔に騙されるところでしたわ……」


「なんか優秀な弟に家督を奪われたんだとよ。ああはなりなくないな」

「そうだな」


 僕を嘲笑しあからさまに見下していく者や、


「あの人、貴族じゃなくなるのかな?」

「どうなんだろうね。でもこんなところで聞いていい話だったのかな……」


 次期当主の座から外されて可愛そうだと同情するような視線を送ってくる者までいる。


 前者は貴族子女に多くみられ、後者は平民だろうか、その人数は少ない。


 だが幸いなことに、魔眼についてはほとんどの者が知らないため、それ以上話題にでることもなかった。

 

 まあ貴族は僕と付き合っても利がないと判断しただけだろうし、平民は平民で貴族と関わってもロクな目に合わないと思っているのだろう。当然といえば当然の反応だ。


「クライ様、そろそろ入りませんか?」


「うーん。列に割り込むのも悪いし最後に入ろう」


「分かりました」


 色々な目に晒されながらもトワと二人でしばらく待ち、ようやく終わりが見えてきたかと思ったその時、二人の女性が僕の前まで近寄ってきて制服のスカートの裾を軽くつまみ略式のカーテシーをしてみせる。


「クライ様、お久しぶりです」


 それは宰相ヘイゼル•エメラルド侯爵の娘であり、アレス王子が主人公の物語ではヒロインの一人となるルイセ・エメラルド。

 彼女は魔法が得意だったはずだ。


 ちなみに闇影を名乗ってからは、ルイセの父である宰相からは陛下の代理として何度か依頼を受けている。

 まあ色眼を使って情報を吐かせるだけの楽な依頼だったけど。


「クライ殿、久しぶりだな」


 こちらは騎士団長レオンド・アメジスト侯爵の娘で、やはりヒロインとなる人物の一人だ。

 名前はセシリア・アメジスト。彼女は魔法剣が得意だったはずだ。剣術が得意な家系であるアメジスト家の中では少し珍しい。


 そしてセシリアは僕が知らないところでお世話になっていた、ということになっているガンドルフ・アメジストの孫娘でもある。


 アメジスト家のガンドルフ様には一度キチンと挨拶に行かないといけないが、彼女(セシリア)は、母や父である騎士団長のレオンドと王都で暮らしているのでアメジスト領に僕がお邪魔しても会うことはないだろうけど。


 そんな彼女たちもアレス王子と同じ日に(アレス王子とお茶をしていた)一度だけ顔を合わせている。

 それ以来接点がなかったからどちらかと言えば知人という認識だ。


 今後もそうだ。クラスメイトとはいえ彼女たちは高位貴族の令嬢。子爵家の長男でしかない僕からすれば親しくなる要素はない。


 だから僕は気にしてもいなかったのに彼女たちからは友人にでも声かけるような気やすさを感じる。


 ただどちらも侯爵令嬢だから社交性に優れていて僕が勝手にそう感じているだけなのかもしれないが……

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