第18話
「う、うう……」
「「「クライ様っ」」」
気がつくと僕はベッドの上で横になっていた。
そんな僕を心配そうな表情で覗き込んでいたのは僕の専属メイドたち。彼女たちの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「……ここは?」
「気がついてよかった。ボク心配したんだよ」
僕の声にすぐに反応したのはトワだった。そんなトワは涙を指で払うと横になっている僕に覆い被さるように抱きついてきた。
「うわっぷ。トワっ」
ぎゅっと抱きしめてくるトワの腕には力が入っていて少し痛いが、状況が分からず背中をポンポンと軽く叩くだけにとどめた。
「ここは保健室ですよクライ様。クライ様は突然頭を抱えられて倒れてしまったのです。
わたし……とても心配しました」
アンナもトワと同じように目元を指で軽く払って笑顔を向けるが、泣き腫らした目元が少し痛々しい。
そんなアンナは僕の右手を両手で包み込むように握りしめていた。
僕の意識がない間もずっと握りしめていてくれたのだろう。
その握りしめていた僕の右手を嬉しそうに頬に持っていく。
「クライ様、本当によかったです」
「アンナ……」
「クライ様、何があった? レイナ、回復魔法をしたけど全然効果がなかった。レイナすごく慌てた」
表情の乏しいレイナですらその瞳を真っ赤にして何度も擦っている。
そんな彼女たちを見て、どうやら僕は彼女たちに相当心配をかけてしまったのだと気づき、それと同時に倒れた時の状況を思い出す。
「心配かけてすまなかった。あの時は……ちょっと立ち眩みがしただけで、もう大丈夫だよ」
彼女たちに心配をかけまいとそうは言ってみるが、俺の心中はまだ少し動揺していた。
そう、今の僕には夢の中で語り楽しんでいた男のことをハッキリと覚えている。
この世界と類似した箱の中の物語のことを……
そして……信じられないが、その夢の中で楽しんでいた男こそ過去の俺であり僕だったのだと。
僕(俺)はこの世界に転生してしまったようだ。
序盤で行方不明になりクリア後に隠しボスの一人として登場するクライ・ネックラとして。
ただ過去の自分の名前や年齢は一切思い出せない。
思い出したのはこの世界に関する知識と、日本で生活していた意味のない知識のみ。男がどんな人物だったのかなんて分からない。
知識を得たことでまだ少し違和感があるが、時期に慣れるだろうと思う。
でもその知識を得たことで、ここが夢の中で自分が語っていたゲームの中の世界なのだろうが、それと同時に似ているというだけで、全く違う世界なのではないかという思いも感じずにはいられなかった。
というのも、記憶にあるゲームの世界での僕ことクライは、いつも俯き一人で過ごしていた。
アンナやレイナやトワだって傍にいなかった。というかトワは学生ですらなかったし僕の姿だってまったく違う。
ゲームでの僕は長髪のボサボサ頭。魔眼が制御できずにいつもメガネをかけていたが、今の僕は魔眼を制御できているのでメガネはかけていないし、髪型もアンナたちの手によってスッキリ綺麗に整えられている。
そして、極め付けは闇影の名だ。ゲームではクライに闇影なんて影の名なんてモノは与えられていないし、梟の里や影術なんてモノもなかった。
だからここはただ似ているというだけの別世界であり現実世界なのだ。
――……でも、本当にそうなのか?
落ち着け僕。こんな時こそ冷静になるべきだ。
ゲームでの登場人物や地名がことごとく一致していて、少し不安になっていた僕は、早くそう結論したかったのだ。
ここはゲームとは関係ない世界なのだと。邪竜という禍々しい存在が蘇るはずはないのだと。
――ふぅ。これじゃいけない。よく考えろ。
軽く息を吐き出し、もう一度冷静になって過去の出来事を思い返してみる。
――……っ!?
するとどうだろう。ゲームの世界と同じような状況になっていたとしてもおかしくない出来事が僕の身に起こっていたことを思い出した……
そう、それは魔眼が初めて発現した時だ。
もしあの時の僕が夢の中の男の話をただの夢だと片付けていたのならば、僕はきっとアンナを拒み、今でも塞ぎ込んでいたのではないか……
そんなことを思い出したせいか、僕は無償に彼女たちの温もりが欲しくなった。
ここがゲームの世界ではないというその証明が。
上体だけを起こした僕は彼女たち一人一人を優しく抱きしめてからその温もりを確認していく。
すると僕の心に熱いものが。冷たくなっていた身体にも熱が篭る。
――やっぱりここは現実なんだ。
「クライ様……うっ、うう……」
「クライ様の匂い……よかったよ。本当によかったよ」
「クライ様、元気になった? そうじゃないとレイナ離さない」
彼女たちの温もりに触れて気持ちが随分と落ち着いた。
落ち着いてくる一つの出来事が少し頭に引っかかる。
それはトワのことだ。ゲームでのトワは盗賊を続けていて悪徳貴族に捕まっていたイベントのことを……
アンナやレイナにはないがトワにはある死亡イベントを。主人公に助けだされるが治療されない場合、トワは二度とゲームに登場しなくなる。
薬漬けにされたトワはその後遺症で苦しみながら短い生涯を終える。
トワは今、俺の専属メイドで盗賊ではないし、それなりに実力もある。
それでも、そんな出来事(イベント)があったと知る僕としては正直穏やかではない。
実際にアークトーク家は貴族名簿に存在するのだから。
僕の過去にも、ゲームイベントに似た出来事があったのだからトワにも同じような事が起こらないとも限らない。
――ならば……
僕は今できることを、アークトーク家(悪徳貴族)の屋敷を探り、不正の証拠を掴み処分してやろう。
幸い、その出来事は入学して半年以上経たないと起こらないイベントだった。そうなる前に片付けてやる。
好都合にも、僕は闇影として陛下に従っている立場なので、証拠を掴んだあとは、その立場を利用して丸投げするつもりなんだけどね。
そんな今後のことを考えていると……
「ふふふ、クライ・ネックラくんは彼女たちに随分と慕われているのね」
衝立の奥から女性の声が聞こえてきた。
一瞬誰だろうと思ったが、すぐにアンナがここは保健室だと言っていたことを思い出した。
ならばその声の主は保健室の先生ってところだろう。
「先生?」
「はいクライ様。保健室のマイン先生です。マイン先生は倒れて意識のないクライ様に異常がないか色々と魔法を使って調べてくださいました」
「そうだったんですね。マイン先生ありがとうございました」
衝立を少しずらして顔をみせてくれた保健室の先生は、白衣を着た若くて綺麗な先生だった。
僕がマイン先生に向かって頭を下げると、マイン先生がにこにこと笑みを浮かべて、その顔を近づけてきた。
――え?
一瞬、近すぎるとも思ったがマイン先生は僕の頬に両手を添え、僕の両眼を覗き込んでくる。
危ない危ない。勘違いするところだった。マイン先生は僕の両眼を見て健康状態を確認したのだろう。
「うん。異常はないわね、それに顔色もいいし、もう戻っても問題なさそうね。
だけど……今は入学式の最中なのよね。余計なお節介かもしれないけど、できれば入学式が終わってから直接教室に向かった方が無難だと先生は思うのよね……」
そう言って少し困った顔をするマイン先生。
「そうですか。それもそうですね。今行くとみなさんに迷惑もかけますし、僕は入学式が終わってから直接教室に向かいます……って、あれ。僕は何組ですかね?」
「あ、はい。クライ様とボクはA組だよ」
僕が倒れている間にトワが調べていてくれたらしい。
僕のことを心配してくれている中でも必要な情報は集めてくれている辺り、僕のメイドたちはやっぱり優秀だ。
「そっか。トワありがとう」
「えへへ」
「それじゃあ、もう少し時間があるからお茶でも飲んでましょうか」
それからマイン先生が僕だけじゃなくアンナやレイナ、トワの分までお茶を淹れてくれた。
しばらくはマイン先生がこの学園のことについて話してくれていたけど、途中からその話題がなぜか僕のことになる。
「クライくんってほんと綺麗な顔立ちね……さぞモテるのでしょうね?」
そう言ったマイン先生はアンナ、レイナ、トワの順に視線を向ける。すると、
「当然です。クライ様はカッコいいのです。アンナは一生お傍にいますよ」
「クライ様カッコいい。当たり前。レイナもずっと傍にいる」
「トワもクライ様が大好きだよ。ずっと傍にいるよ」
そう言った彼女たちは揃ってドヤ顔をした。そして、そのドヤ顔はなぜかマイン先生に向けられている。
先生にそんな顔を向けたらダメだろうと思う反面、先ほどまで心配させてしまった分、彼女たちが嬉しそうにしてくれていると僕まで嬉しくなる。
「ありがとう。僕もうれしいよ。でも先生にそんな顔を向けたらダメだって」
「はい」
「はーい」
「はい。マイン先生ごめんなさい」
アンナとレイナは返事をして、生徒であるトワは先生に謝った。
「ふふ。いいわよ別に。でも彼女たちは貴族じゃないわよね?」
「えっと……そうですね。彼女たちは貴族ではありませんね。でも僕はそんなことは気にしてませんし彼女たちにはずっと傍にいて欲しいんですよ」
「へぇ、クライくんは貴族なのに変わってるのね」
そう言ってから少しうれしそうに笑みを浮かべるマイン先生。なぜ先生がうれしそうなのか不思議に思いつつも、話を続ける先生の話に耳を傾ける。
「でもクライくんも十五歳でしょ。もうすぐ社交界デビューするわよね? 大変になるんじゃない?」
先生は僕の顔をまじまじと見ながらそんなことを言った。でも僕は、
「あー、それは大丈夫ですね。僕の家はちょっと特殊だから基本的にパーティーや催し物には参加しません」
そう真偽眼のネックラ家はもちろんだが、鑑定眼のミルック家、結界眼のバリアーク家もそういったパーティーや催し物への参加は基本的にしない。というかできない。
だが、ただ単に参加しないというだけでは不審に思われてしまうので、ちょうど参加できないような表向きの仕事を与えられるらしい。
だから一部では王家から嫌われているとも噂されているらしいが好都合だと訂正することはしていないそうだ。
その分王家から様々なことで便宜を図ってもらっているらしいけど、経験の少ない僕は詳しく知らない。
「そうなの。私貴族じゃないから知らなかったわ。ごめんなさいね」
マイン先生はそう言ってから謝ってくるが、なんでだろう先生の顔が嬉しそうに見える。
「いいえ。気にしないでください」
そんなたわいもない話は入学式が終わる、その時間まで続くのだった。
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