第27話 束の間の幸せ
フィガロが斧を担いで薪を割ろうとしている。へっぴり腰で、見ていて危なっかしい。
「見ててね!」
見てますとも。
小さなかけ声と共に斧が振りおろされた。薪は一刀両断、二つになってころんと地面に落ちた。はじめの頃にくらべたら、だいぶ上達した。
「まあ、坊ちゃん。すごいですねえ! パン焼けましたよ。冷めないうちにさあどうぞ」
「ありがとう。丁度、お腹減ってたんだ」
ほめようとしたら、お手伝いのおばさんに先に言われてしまった。地味に悔しい。
アレンはフィガロのために郊外の別荘を用意してくれた。周囲は森に囲まれ、近くには湖もある。ここに来てからフィガロは目に見えてたくましくなった。一杯動いて、たくさん食べる。
この成長をずっと眺めていられたらって思う。
「エクレールさんも食べようよ」
「わかったから、そんなに引っ張らないの」
でも幸福は、ずっと掴んでいられない。あたしの手からこぼれていくんだ。いつも。
フィガロは週に一度、アイリスに手紙を書いている。そして近くの村へ投函しに行く。何て書いてるかは秘密らしい。
森の小径を通って、谷にかかる橋を渡って、すれ違った人に挨拶して、村で一緒に買い出しするのが日課になった。フィガロの好きな蜂蜜があったので買ってあげたこともある。
同じ道のりを何度繰り返しただろう。あたしからしたら、いつこの生活が終わってもしょうがないと思っていたから、些細なことでも記憶してるってわけ。
「今度、村で子牛が生まれるんだって。見に行きたい」
フィガロはあたしの気も知らないで、今の生活に順応している。瞬間を生きている。
変だな、この子を家に帰すために船まで手放したのに、どんどん離れたくなくなってくる。こんなに長く一緒にいると思ってなかったし、穏やかな日々に平和ボケしちゃったみたい。
別荘の敷地の外を犬が走っていた。フィガロはパンを忘れて飛び出していく。追いつくと毛の長い大型犬で、フィガロの顔をぺろんとなめた。首輪をしているから飼い主がいると思う。
「待ってー、ぴーたん……!」
遅れて息を切らした女の子が、茂みから出てきた。つばひろの帽子にカーディガン、ロングスカートという格好だったけど、見覚えがある。
「もしかして、エレナ?」
あたしの問いにエレナは白い歯を見せ、
「そうですよぉ、エクレールお姉さま、可愛いエレナですよー……」
ぶっ倒れた。
後からやってきたメアリーによると、エレナは別荘に来るのが楽しみて昨夜から眠っていないらしい。かなりの距離を荷物を持って歩いたメアリーは心配するような、呆れるような複雑な顔を見せた。
「今日は泊めてもらうね。明日はお兄さまも来るからみんなでピクニックだ!」
グランガリア第三王女のエレナは、応接室で休んで元気になった。昔から裏表のない天真爛漫な女の子だ。きれいな巻き毛と榛色の大きな瞳、豊かな表情が周囲を明るくさせる。
「お久しぶりだね、殿下。学校は大丈夫なの?」
「もう、やめてよ、堅苦しいのは。お勉強は先生に見てもらってるから大丈夫。ね?」
エレナはソファの後ろに立つメアリーに目配せする。メアリーも親愛のこもった視線を返す。
メアリーがエレナの家庭教師だと聞いていたが、この目で確かめるまで信じられなかった。あの毒婦とこんなにも釣り合いが取れるなんて。世の中わからないものだ。
フィガロは喋らずにエレナから視線をそらさない。声をかけても反応がないし、さては見とれてるな。
「君がフィガロ君だね! 犬は好き? ぴーたんのお世話係にしてあげよう。おいでー」
エレナは強引にフィガロを連れて行ってしまった。犬とへとへとになるまで遊ばされるなきっと。
それにしても明日はアレンが来るのか。新しいイヤリングを出しておこうかな。楽しみだ。
その夜はなかなか寝付けなくて、水を飲みに台所に降りた。たくさんある客室からは物音は聞こえない。みんなぐっすり寝ているのだ。
だから台所でメアリーを目撃した時は、小さな悲鳴を上げてしまった
「何よ、うるさいですねえ。人が気持ちよく飲んでるのに」
メアリーは別荘のワインを勝手に開けている。そのせいかいつもより気の抜けた声であたしをたしなめた。
「エレナの世話、大変そうだな」
「仕事ですから。貴女も飲みます?」
断って、冷水を喉に流し込む。逆に目が冴えてしまった。
帰っても寂しい寝床。フィガロとは別室なのだ。
「最近フィガロが冷たいよ。一緒に寝てくれない」
つい日頃の不満を口にしたら、メアリーがむせてひどく咳き込んだ。
「え? 一緒に寝てたんですか? フィガロ君っていくつでしたっけ。さすがにそれは引くわー」
メアリーに言われて気づいたけど、そんなもんか。でも急に背伸びし始めたような気がして寂しいんだ。
「ねえメアリー、前世って信じる?」
酒で雰囲気が柔らかくなったのを幸いに、前からの疑問を訊いてみた。酒の肴になると信じて。
ところがメアリーの答えは違った。
「へえ、貴女もこっち側なんだ」
喉にひやりした感触と、冷たい月の光を反射したナイフが当てられる。少しでも動いたら喉が裂けてしまいそうだ。
「何を……!?」
「何って、今のうちに殺しておこうかなって」
悪酔いしたわけではないらしい。メアリーの手元に狂いはなかった。
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