第26話 負い目


 紫紺の髪に長い手足、涼しげな目元はいつも遠い所を見ていた。グランガリア第一王子、アレンが隣に座っている。


 育ちの良さを感じさせる優しい唇が、あたしの名前を呼ぶ。


「エクレール。起きてるんだろ、顔を見せておくれ」


 飛び跳ねるような勢いでアレンに掴みかかり、椅子に押し倒した。はだけたシャツからのぞく首元はやけに白くて憎らしい。


 首筋を噛むと、吐息のようなものが漏れる。その体勢のままアレンを見下ろした。


「色々聞いてると思うけど、殿下の知ってるあたしはもういないから」


 メアリーの奴め、いっそ殺してくれたらよかった。こんな再会、誰も望んでやしない。アレン、お願いだから拒絶して。


「そんなことはない。君はいつまでも僕の好きなエクレールだよ」


「嘘言わないで。あたしはこんな形でアレンと会いたくなかった。謀反人の娘で今は海賊なんだよ」


 意外と強い力で抱きしめられる。心臓の位置に顔を乗せる格好になった。


「そうだね、僕は君に大切なものを奪われてしまった。もうどこにもいかないでくれ。君がいない世界は耐えられない」


 これだからお坊っちゃんは困る。現実が見えてないんだから。もうどうなっても知らないからな。


 体を預けるようにすりより、アレンの唇に口づけをする。こわごわと。自分からするの初めてで、すごい恥ずかしかった。


 一度捨てられたのに、求められたら拒めない。強くなったと思ったのに、アレンの前では弱いままだ。


 半裸のまま抱き合って、けだるい空気に身を任せる。手を握って握り返されて、幸せってこういうの? でもいつまで続くわけじゃないんだよね。だから尊い。


 油断していたら、部屋の外から足音が聞こえた。素早く服を着て、椅子に座り直す。膝の上に置いた手は汗ばんでいる。


「失礼致します。お茶をお持ちしました」


 メアリーが含み笑いをしながら入ってきた。あ、こいつ絶対聞き耳立ててたな。やっぱりいつかコロス。


「ありがとう、メアリー嬢。気が利くね」


 アレンは余裕の笑みを浮かべ、足を組んでいる。あたしも自然にしてないと玩具にされるから、カップを手に取った。紅茶の湯気に、高ぶった気持ちが落ち着く。


「それを飲んだらあの少年に会ってくるといい。君を大層恋しがっていたよ。妬けるくらいにね」


「フィガロもここにいるの……」


 アレンは頷いて、扉を指した。


「時間はこれからたっぷりあるんだ。今は異国の友人にエクレールを譲ろう。行っておいで」


 許しが出るや、メアリーにフィガロの居場所を聞く。ステンドガラスのはまった窓の脇を通過し、フィガロのいる部屋に突入した。


「フィガロ!」


 フィガロはベットの上に身を起こして、びっくりした顔をしていた。


「エ、エクレールさん!? どうしました」


「どうしたじゃない!」


 フィガロの体を断りなく触って無事を確かめる。怪我もなく、熱もないようだ。安心したら腰が抜けた。


「黙っていなくなってごめんなさい。でも僕の喘息が悪化して、聖女様がメアリーさんに連絡してくれたんです」


 メアリーは扉に寄りかかって話を聞いている。あたしが手で追い払うと、大人しく扉から離れた。


「フィガロ君、おやすみ。またね」


「はい。メアリーさん、おやすみなさい」


 気のせいか二人は打ち解けている。目を覆いたくなる光景だ。


「あいつに何かされなかった?」


「喘息の薬をもらってすっかり元気になりました。あと本を読んでくれて、やさしかったです」


 信じがたい事実を次々聞かされ、混乱しそう。フィガロは脅されてこんな事を言っているんだ、きっと。


「そんなはずない。あいつはあたしを殴る蹴るしたし、人質を取ってアイリスを脅してたし、ひどい奴なんだよ。フィガロ、怒らないから正直に話して」


「さっきから何を言ってるかよくわからないです。ごめんなさい、もう眠いので明日にしてもらっていいですか」


 そう言って横になってしまった。せっかくここまで来たのに白状な子。


「あ、エクレールさん顔赤いですよ。メアリーさんに看てもらったらどうですか。それじゃ、おやすみなさい……」


 顔の赤みを指摘され、負い目を感じる。


 フィガロは今度こそ寝てしまった。無邪気な寝顔を前にしたら、ただ良かったという感情しか湧かない。


 建物の外は壁に囲まれた広い庭になっていた。教会の隣に面している。アレンは宗教関係者にも顔が広い。密会にはもってこいの場所だ。


「感動の再会は済みました?」


 柱の陰にいたメアリーを見るなり、胸ぐらを掴む。


「フィガロに変なことしなかっただろうな」


「子供にそんなことしません。あちらの国は、あまり空気が良くないみたいですね。あの子の喘息もそれが原因でしょう。文明と人間の幸福が必ずしも比例しないことの証ですね」


 よくわからないことを言ったって誤魔化されないぞ。アレンに頼まれたとか言ってたけど、魔剣を取り上げるのが狙いだろう。


「人質とってアイリスを脅したな。そこまでして魔剣が欲しいか」


「誤解があるようですね。私は弟さんが軍学校で頑張ってますねと世間話しただけなのに。フィガロ君は円満に渡して頂けましたよ」


 アイリスが勝手にそう思っただけだと主張している。


 自分が悪いとは死んでも言わないつもりだ。フィガロが無事でいる以上、あたしがこいつを責める理由はもうない。けど、


 メアリーの額に頭突きをした。ガツンという感触。少しは痛がるかと思ったが、全く動かない。


「気、晴れましたか。では話を進めても? フィガロ君を別の場所で静養させたいのですが、いいですよね」


「勝手に決めるな」


「私の意志はともかく、アレン殿下が望んでおられるのですよ。貴女も王都には居づらいでしょう」


 アレンの名前を出されると、こっちは弱いっていうのを知っているんだ。卑劣な。


「お互い過去を水に流して仲良くしませんか。フィガロ君の体調も気になることですし、ね」


 上目遣いで、決断を迫る。断ればフィガロの生命の保証はしないってか。今回は完全にあたしの負けらしい。

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