第25話 毒婦再び
逃げた御者を連れ戻し、馬車は動き出す。
車輪が雨水を跳ねる音、子供を呼び戻す母親の声、背筋をかけのぼる雷鳴。あたしが知っているようで知らない音が王都にはあふれている。
「そろそろじゃない?」
マリベルに言われるまま小窓を開けた。外は銀糸のような雨が降り、風景がぼやけている。建物と建物の隙間に柵みたいなものが見えた。あそこにメリーがいるかもしれない。
「マリベル、次は断頭台で会おう」
「そういう冗談笑えない。王妃になって楽させてくれ」
生きて会うことを約束し、馬車を降りた。周囲の家々は鎧戸が下りて人気もない。寂しい地区だ。確かこの辺って墓地があった気がする。
魔法学術院は魔法庁の機関で、精霊の研究をしている。精霊を使えるのはごくわずかな人間に限られる。王族か、それに近い貴族とか。あたしは魔剣が使えるだけで精霊を使えるわけじゃない。アイリスのような例外はいても、普通の人間にとって精霊そのものは遠いものになりつつある。
こんな街外れにあるのも、きっと怪しい研究をしているからだ。あのメアリーがやることだもの。
門番はいない。あっさり敷地内に入れた。木々があって普通の学校みたいな雰囲気。
入り口まであと少しという所で、人の視線を感じた。メアリーとは違うけど、ねちっこい視線だ。振り返ると、木の陰に人がいた。表情は伺えないけど敵意を感じる。
姿を見られた。やるしかないか。懐の銃に手をかけると、先に声をかけられた。
「お待ちしておりました。エクレール様」
感情のない声と共に姿を現したのは、黒いローブ姿の十代前半くらいの女の子だった。
「メアリー主席研究員がお待ちです。こちらへどうぞ」
一切足音を立てず、堂々とあたしの前を通り過ぎる。攻撃の機会を逃した。大人しく後について行くしかない。
「メアリーがここにいるの?」
「ついてくればわかります」
あらゆる質問を拒絶する気配に、言葉を呑む。いきなり当たりを引き当てたか。罠を疑わないほどウブじゃないけど、わくわくしてきた。
建物の中も真っ暗で、柱の数を覚えて万が一の逃走に備える。と思ったけど、備えるなんてあたしらしくない。ここを出る時はあたしか、奴が死ぬ時だ。
「ここから先はお一人で」
ぽっかりと開いた空間の先に、下に続く階段が見えた。女の子が持っていた蝋燭の明かりが、先行きを頼りなく照らしている。
「ありがとう。雨降ってる中待ってててくれて」
蝋燭を受け取る時に言葉をかけた。すると女の子は、初めて感情らしきものを腕に込めて、あたしを引き留めた。
「私だったら、この先には進みませんね。あの人を怒らせてただで済むとは思えません」
怯えた様子の彼女をなだめ、言われた通りに一人で螺旋階段を下りる。足音だけが反響して、別の誰かが歩いているみたい。
フィガロとは無関係に、あたしはこの日を待ち望んでいたのかもしれない。国に弓を引く日を。マリベルが言っていたことは間違ってなかった。
階段を下りた先には頑丈そうな扉があり、張り紙がしてある。
『大きく息を吸って』
ふざけた張り紙を破り、くしゃくしゃに丸めた。馬鹿にしやがって、どうせ毒でも焚いてるんだろ。これで罠は確定した。引き返すか。でも負けた気がするんだよな。迷ってるなら行ってみるか。
扉は苦もなく開いた。奥は円形の広い空間になっていて、まばゆい光が満ちている。でも目をかばってる場合じゃなかった。
「……!?」
喉を手でかきむしる。苦しい。なんだこれ。息が出来ない。
なんかの精霊の力か。だったら魔剣で切り開く。
剣を抜いたけど、いつもと様子が違う。炎の揺らめきが安定しない。強くなったり弱くなったり。しかも柄が激しく震えて、持ってられない。たまらず、鞘に戻す。
元来た扉は開かなくなっている。馬鹿な話だけど、退くという考えはなかった。もう逃げたくないんだ。回転式の拳銃をめちゃくちゃに撃った。最後の一発だけ残してね。
撃ち終わると、膝を折って倒れた。どうせ息が吸えないなら無駄な動きはしない。最後まで諦めない。
……
……
…
さっさと出てこい、メアリー。このまま放置ってことはないだろ。あいつの性格上、止めは絶対に刺しにくるはず。
気が、遠くなる。ごめん、フィガロ。あたしのいざこざに巻き込んで。助けられないかも。海の底に沈むみたいに体が重い。
ぷしゅーという音がそこかしこから聞こえた。少しずつだけど息が吸える。陸にいるのに、なんでこんな目に遭うんだ。仰向けになりたいけど体を動かすのも大変。
そんな努力を否定するように、頭を踏みつけられた。
「駄目じゃないですかぁ。張り紙はちゃんと読まないと」
顔を上げなくてもわかる。この小馬鹿にするような話し方はメアリー。踏みつける力も増してくる。
「ねえ、今どんな気持ち? 地にまみれる気持ちがわかりました? 私が味わった屈辱はこんなもんじゃないけどね!」
根に持つタイプなんだろう。楽しそうに仕返ししてくる。てか、あたしが悪いのかよ。
ピストルを持った腕を上げようとしたら、手を踏みにじられた。痺れるような痛みが広がる。
「エクレールさん、こう見えて私、機嫌がいいんですよ。魔剣が真空中で展開できないと確かめられたので。水中では燃えないのかしら。やってみたことあります?」
顔を蹴られて唇を切った。血の味がする。
「おっと、私としたことが。商品価値が下がったら一大事だわ。ハンカチで顔拭いていいですよ」
白いハンカチが顔の前に落ちてきた。無視して、メアリーをにらむ。
「娼館にでも売るつもりか? あたしをここで殺しておいた方がいいぜ。さもないと絶対あんたを殺す」
「まあまあ、そんな怖い顔しないで。売り飛ばすなんてもったいない使い方しないから。貴女に会いたいという方おられるの。それでわざわざお越し頂いたってわけ」
「誰?」
「それは会ってからのお楽しみ。今は眠りなさい」
甘い匂いのハンカチを口元に当てられ、体がふわっと軽くなって気持ちよくなって、わけがわからなくなった。
次に目を開けたときには長いすに寝かされていた。いすは赤い背もたれに凝った作りの蔦の装飾、頭の下にはクッションが敷かれている。
部屋に暖炉もある。どこかの応接室みたいだ。紫色のカーテンは閉じられていて、昼か夜かもわからない。
寝てる間に肌触りの良い寝間着を着せられ、手には包帯が巻かれている。頭はまだ痛かったが、お腹が空いた。
そうこうするうち、部屋に誰か入ってきた。緊張して体を丸めた。寝てるふりをして目を閉じたけど、足音と共に漂ってきた香水に覚えがあった。
あたしの隣にそっと腰を下ろす誰か。その誰かをあたしは知っている。
その誰かは、あたしの髪を黙ってすいた。くすぐったくて目を開けた。整った顔が迫ってくる。額に熱い唇が触れた。
それは叶わなかった夢で、あたしを見捨てた男で、
あたしが愛した男だった。
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