第23話 融雪


 一手、遅れた。


 それだけで苦戦を強いられる。霰は魔剣で防いだが、剣で左肩を少し斬られた。しかもこの砂地、すごく歩きづらい。


「あまり失望させないでくださいまし。こんなものではないでしょう?」


 アイリスは円を描くように素早く移動している。足下に氷を張ってそれに乗っているんだ。目を閉じてるのは精霊の力を上げるためか。一つの感覚を閉ざして別の力を底上げしている。


 粉雪が降ってきて、指の感覚までなくなってくる。獲物を狩る完璧な戦術。今までのは文字通り遊びだったってわけか。


「失望させんなってのはこっちの台詞だ。あんたはこんなことするような奴じゃない」


「まだ世迷いごとを」


「全部食べてた!!!」


 あたしが大声を出すと、アイリスはびくっと動きを止めた。


「村の人が作ったものをアイリスは全部食べてた。嫌そうな顔をしてたけど、残さなかった。あんたはこの村の人が好きなんだろ」


「……、黙りなさい」


「黙らない。人質でも捕られてるのか。話せよ」


「黙れと言うのです!」


 アイリスが突っ込んでくる。戦うのは嫌だけど、アイリスが話してくれるなら、負けない。


 剣筋はきわどくかわされる。動きは完璧に読まれてる。できるのは魔剣でアイリスの移動した後の氷を壊すことくらい。壊してるうちに気づいた。場所によって音が違う。これは使える。


 適度に氷を壊し、魔剣を背中の鞘にしまった。向かってくるアイリスを腕を広げて迎える。


「情に訴えるやり方、うんざりですわ。消えなさい、永遠に」


 アイリスは激しく拳を振り上げたが、それでもあたしは殴られるに任せた。


「戦いなさい! 剣を抜け!」


「やだ」


 寒くて感覚が薄れてるのが幸いした。痛みはそれほど感じない。アイリスの体になんとかしがみつく。


「離せ……! 泥棒猫」


 顔を上げ、アイリスの目をまっすぐ見つめる。眉間にしわを寄せ、潤んだ瞳がそこにあった。


「やだよ。だってそうしたら、アイリスはどっか行っちゃうだろ」


 力なく下ろされた肩を押さえ込み、身動きを封じる。アイリスの顔が恐怖でひきつる。足が砂に深く埋まっていた。


「丁度砂に水が沁みたみたいだな」


「エクレール、何を」


「あんたの氷を魔剣で溶かして砂を振動させた。流砂ってさ、動くとよく沈むんだ」


 あたしとアイリスは腰まで一気に沈みこんだ。同じ船に乗ったんだ。沈む時も一緒だ。


 結局、あたしたちは首まで砂に埋まった。顔と顔の距離は息がかかるほど近い。


「わたくしは自分の力で墓穴を掘っただけのようですね」


 アイリスは敗北を受け入れ、落ち着きを取り戻していた。


「貴女を殺した後、ザッハトルテと遠くに旅立とうと思いました。誰も知らない遠くまで」


「雪、止んだな」


「ええ! 貴女が溶かしたから。わたくしは強くなければならなかったのです。エーデルフォイルを守らないといけないのに。でももうわたくしがいなくても、誰も困らない。弱いわたくしがいなくても誰も悲しまない……」


 アイリスは村の人に必要とされなくなるのが、怖かったんだ。村人の心が離れるのが。そんなことあるわけないのに。それが強さにこだわる理由か。


「あたしが悲しむよ」


 アイリスは泣きそうな顔で、頭を激しく揺すった。


「あ、貴女にそんなこと言われる筋合いありませんわ! 全く、いつもいつも卑怯な手ばっかり使って。この泥棒猫は」


「それなら次は勝ってみせろよな」 


 顔をそらして勝利を誇ると、反感を買う。


 アイリスが息を吹きかけてきて、砂が舞った。互いに息を吹きかけ、これは息が苦しいので禁止になった。


 アイリスは勝っても村を去ると言った。あたしが生きる理由になるなら何度でも戦ってやる。


「フィガロ君のことは申し訳ないと思いますわ。王都に弟がいて人質に取られてますの」


「そういうのは先に言え」


「戦えないなどと言われても困りますから。それよりこれ、どうやって出ますの」


「ごめん、考えてなかった」


 ザッハトルテに救助されるまで、砂の中に埋まっていた。潮が満ちてきて、命の危険を感じたけど、二人で見た星空は一生忘れない。

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