第22話 聖女という化物
靴を履いて外へ出ると、アイリスが大きな鳥と戯れていた。焦げ茶色で羽音は大きく、鋭い鉤爪を持っている。足首に紙のようなものを巻いていた。
「動物好きだな。なんていう鳥?」
「鷹です。じいじとの話は終わりましたの?」
鷹は翼を大きく広げ、森の方へ飛び立った。アイリスの頬をつねる。もちみたいに柔らかい。
「いつまで膨れ面してんの。故郷にいるんだからもっと嬉しそうにしなよ」
「じいじに何を聞かされたか知りませんが、ほっといて欲しいですの」
あたしの手を振り払い、アイリスは不満をぶちまける。
「さっき鷹が向かった森は、近いうちに売りに出されます。じいじは密貿易でせっせと小金を貯めてるし、今の村人は腰抜けです。戦えない獣は腐るだけですのに」
「獣じゃない。人間だよ」
「わたくしは
澄んだ目で言い切られ、部外者のあたしは黙るしかないのか。でも、このままじゃいけない気がするんだ。そう、前世のあたしを見ているようで放っておけない。
「おじいさんはアイリスのこと心配してたよ。戦うだけが道じゃないはずだ」
「泥棒猫に言われちゃ世話ないですわ。貴女みたいになるくらいなら、わたくしは戦って死にたいんですの」
所詮あたしは首輪のつけられた猫だ。それでも今は自分の意志で歩いている。それを否定され、頭に血が上った。
思わず剣に手をかけようとした瞬間、診療所から使いがきた。危ない危ない。戦っている場合じゃない。
「命拾いしましたね。フィガロ君に感謝なさい」
居丈高に言い捨て、アイリスは行ってしまった。中立じゃないのかよ、嘘つき。
フィガロはリンゴみたいに真っ赤な顔でベットに横になっていた。会いに行くと弱々しい笑顔を向けてくる。
「エクレールさん、心配かけてごめん。僕は平気だから。喘息は昔からなんだ」
「声掠れてるし。いろんなところ連れ回してごめんな。もうちょっとで帰れるから今は休んで」
アイリスの祖父がカールベルクの商人と密謀易しているらしく、取引ついでに船に乗せてくれるという。あのじいじ、年貢とか素直なこと言ってたけど良い面の皮だ。
「もしかして聖女様と喧嘩した?」
この子の鋭い所、心臓に悪い。顔に出やすいのかあたしは。
「年がら年中してるからわからない」
「はぐらかさないでよ。僕のことでなんか取引したでしょ。そのせいなら申し訳ないなって」
汗で濡れたフィガロの前髪をかきわける。細い髪が指にからまって束になった。
「子供が気にすることじゃないの。ゆっくり休んで」
アイリスのバカ。フィガロに心配かけちゃったじゃないか。
それにしてもベットの脇に干物みたいなものがぶら下がってるし、こんなので本当に治るのかな。不安だ。
あたしの心配をよそに、ほどなくフィガロの熱は下がり、三日も経つと起き上がるようになった。
「心配し過ぎですの。フィガロ君をもっと信じなさい」
「仕方ないだろ。いきなり倒れたらびっくりするよ」
それに、あたしは肉親を失う辛さを知っている。もう二度と味わいたくない。
フィガロのお見舞いの帰り道、アイリスに砂浜へ誘われた。やっぱり海は落ち着く。暗い色の波が、砂浜に寄せては返していた。うるさい風が髪を揺らす。
「エクレール、あの約束をここで果たして頂けませんか」
アイリスは道中、思い詰めた顔をしていた。いよいよか。嫌な予感はしていた。
「なんでそんなに戦いにこだわる。氷が溶けるから?」
「貴女にはわからないでしょう、わたくしの気持ちは。戦う理由が必要なら与えてあげますわ。フィガロ君をグランガリアに引き渡します」
裏切られたと感じるのは、アイリスのことを信じていたから。
「わたくしずっと、メアリー女史と連絡を取っていたんですの。迎えをよこすからエーデルフォイルに引き留めておくよう頼まれていました」
「なんであの女がフィガロを」
「さあ? わたくしにはわかりませんわ。それよりいいんですの? フィガロ君の所に戻らなくて」
あたしをここに連れて来たのは最初から罠だった。
何のためとか、そんなことはどうでもいい。今はフィガロを助けなければ。
「アーイリスッ!!!」
手のひらに隠していた砂をアイリスにぶつける。その真上から魔剣を叩きつけた。手応えはあったが、氷の剣で押し返される。ものすごい力だ。それにこの氷、魔剣に触れても全然溶けない。これまでとは練度が違う。
「泥棒猫のやることなんてお見通しですわ。本気を出しなさい。でないと、死にますわよ」
アイリスは目を閉じている。つまり、あたしの砂かけは無駄になってたってことだ。その隙をアイリスが見逃すはずがない。至近距離で細かい霰が、爆発するように発射された。
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