第10話 婚約破棄されたエクレールさん


「おーい、ちょっと待って!」


 あたしは軍の船に戻ろうとするメアリーを呼び止めた。


「何か?」


 冷ややかに横顔だけで振り返る。完全に機嫌を損ねたのか声も鋭い。


「さっき第三王女って言ったでしょ。あの子、元気にしてる?」


 もうあの子なんて言える立場じゃないけど、昔はよく遊んだんだ。妹みたいに可愛かった。太陽みたいに元気なエレナ王女。


 メアリーはくすっと、嫌みな笑い方をした。


「貴女が知りたいのはアレン殿下の事では?」


 こいつ、あたしの素性調べあげてるんじゃないかと思えてくる。あたしにはかつて婚約者がいた。第一王子のアレン殿下。あと一歩であたしはお妃になれた。当然パパの件で婚約破棄されたけど、今でも未練がある。


「そんな、恐れ多い……、でもあたしのことなんか言ってたりとか」


「よく話されてますよ」


「え? 本当?」


 期待が大きすぎて、メアリーの肩を掴んでしまった。アレンが何を言ってるかすごく気になる。もしかして恋しくて会いたいとか。


「嘘です」


「は?」


 メアリーの意地悪は許せないけど、よく考えれば当たり前だ。あたしは謀反人の娘。向こうは次期王位継承者。もう住む世界が違うんだ。


「私は殿下に好かれていませんから、お話する機会もそう多くありません。がっかりしました?」


 心底嬉しそうにあたしの顔をのぞき込んでくる。


 そうだろうよ! お前を好きな奴なんかそういるもんか。エレナはなんでこんな奴を雇ってるんだろう。よくわからない。


「なんでそんな嘘をつくんだ。ひどいよ……」


「失礼、物欲しそうな顔をした人を見ると、希望を奪いたくなるの。癖みたいなものだからお気になさらず」


 こいつは、あれだ。性格というかそれ以前に人間として駄目な奴だ。海に落として反省を促した方がいいと思う。


「それはそうと、婚約破棄されたエクレールさんに聞きたいことがあったんですよ」


 メアリーが握っていたのは、見覚えのない琥珀のペンダントだった。


「さっき船の中で拾いました。グランガリアではあまり流通していないものですね。船員名簿に目を通しましたが、外国の方はいなかったような」


 兵士に連れられ、フィガロが甲板に上がってきた。緊張した表情で歩いてくる。さっきまでフィガロは何かを探していた。二つの情報が結びつくのに時間はいらなかった。


「呼び止めてくれて良かった。臨検に抜かりがあってはいけませんからね」


 この時初めて、手段を選ばない毒婦のメアリーの嫌らしさを思い知ったのだった。


 あたしは海軍の船の船室で聴取を受けることになった。フィガロは別室で保護されてるらしい。


 格子窓と机しかない部屋に、あたしと警備隊の隊長、聴取の内容を記録する書記がいる。メアリーがいないのが唯一の救いだ。


 隊長は三十半ばの男で、凛々しい顔している。髪を刈り込んでいて、清潔感もある。名前はマリウスという。


「あの子供のことは何も知らないと?」


 隊長の質問にあたしは頷く。フィガロとは事前に打ち合わせていた。もし見つかっても、お互い知らない振りをする。向こうから言ってきたんだ。


『万が一のことがあっても、エクレールさんには迷惑かけません。僕が勝手にやったことだから』


 もう十分かけられてるよ、バカ。それならちゃんと隠れてればよかったんだ。あたしはもう知らないからね。


「あたしはただ仕事をしただけですよ、隊長さん。あの子供が荷に紛れてたってこっちの責任じゃない」


 隊長も頷く。わかってくれたらしい。ごめん、フィガロ。あたしは船を守らなきゃいけないんだ。


「家出だと本人は言っているらしいが、諜報員の可能性もある。心当たりはありませんか」


「ないよ。あの子はそんな子じゃない」


 感情的に素早く否定したのがまずかった。


 書記の手の動きが止まる。隊長もあたしの言動を怪しむように目を光らせている。知り合いかと勘ぐられたら面倒だ。賄賂がきけばいいが、この隊長は真面目そうだ。どうしよう。


「まあ、いいでしょう。ところでエクレール殿のお父上はバルフレア侯爵ではありませんか」


 隊長は用事を命じて書記を外に出した後、そう訊いてきた。


「パ、父を……、ご存じなんですか」


「ええ、昔大変お世話になりました。なんと申し上げたらよいか。お力になれず申し訳ない」


 パパを悪く言う奴が王宮ではほとんどなのに、この人は頭を下げてくれた。海賊のあたしなんかのために。


「頭を上げて下さい。貴方のお気持ちはわかりました。父も恨んでいないと思います」


「ありがとうございます。今でも信じられません、あの侯爵が謀反だなんて」


 あたしも彼と同じ気持ちだ。パパはあたしを怒ったことがない。誰からも好かれるやさしい人だった。


「エクレール殿はこれからも海賊を続けられるおつもりか」


「はい、まあ……、仕事のあるうちは」


 メアリーの言った通り、軍がしっかりしてればこんな危険は侵さずに済むんだけど、それで水夫の仕事が増えるっていうのは皮肉な話だ。


「今すぐ足を洗えとは申しませんが、貴女はやはり王宮の花が似合う。いずれ父上の汚名をすすぐ機会にも恵まれましょう」


「や、やだあ! アレンとお似合いで、この国を支配する人望に恵まれてるなんて誉めすぎだよぉ!」


 舞い上がり過ぎて隊長の腕を叩いてしまう。隊長ちょっと引いてる。


「コホン、とりあえずあの子供は諜報員ではないのですね?」


「うん。詳しくは言えないけど、それだけは保証する。中立の港で国に帰そうと思う」


「貴族の誇りにかけて誓えますか」


「はい、誓います」


 隊長は立ち上がり、あたしに手を差し出した。


「では剣で決着をつけましょう。正々堂々とね」


 というわけで隊長と戦うことになった。なんでじゃい!

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