第4話 聖女とダンス
甲板には小さな氷の固まりが転がっている。外はさっきより寒くて、ファー付きのコートが役立った。
衝撃の原因はすぐにわかった。見上げるほど巨大な氷山が、左弦側に漂っている。日の光が当たってきらきらしていた。こんなところにまで流氷が来てるなんて驚きだ。
幸い横っ腹を掠めただけで、浸水はしていないらしい。直撃なら沈没してただろう。
船員に船の損傷を詳しく確認させ、あたしは船首の方まで歩いた。
甲板には大きな白クマがうろついている。あたしが氷を踏む音で気づいたらしく、体を起こして威嚇してきた。頬に傷があり、口からは鋭い牙をのぞかせる。
「ザッハトルテ、どうどう」
青みがかった髪をした小柄な女の子が白クマを宥めた。新雪のような肌に、小さな唇。白いふわふわしたドレスを着ていて、見た目は絵本から出てきた雪の精霊みたい。
「やっぱりあんたか、アイリス」
アイリスは白クマの飼い主で、ことあるごとにあたしの邪魔をする女だ。あたしだけでなく他の海賊も被害にあっている。自称海の平和を守る聖女。
「エクレール、わたくしだって好き好んで貴女に会いに来てるんじゃないんですの。お考えは変わらない?」
こいつはあたしの魔剣を狙っている。この剣はあたしがただのエクレールだった頃、沈没船から引っ張りあげたものだ。これがあるから海に巣くう危険なセイレーンや人魚から船を守れるってわけ。
「あたしのものをあたしがどう使おうと勝手じゃない」
「はあ……、相変わらずの自己中心的な理屈。そんな貴女でもこの氷を見れば考えが変わると思ったのに」
アイリスによると、この魔剣を使うと大気の温度が上がって氷が溶けるらしい。わからないでもない。なにせ、
鞘から剣を抜く。その途端、火花が散り、剣先が激しい炎に包まれた。天使の息吹で鍛えたと言われる、魔剣レーヴァンテイン。幅広の刀身にまとわりく黄金色の炎の勢いは全く衰えない。
「あー! 抜きましたわね! このお馬鹿。何度言えばわかるのです」
「馬鹿はあんたでしょ。人の生活邪魔して楽しい? 船の修理費弁償してもらうから」
「盗人猛々しいとはこのことですね。もう結構ですわ。わたくしはザッハトルテの暮らす世界を守るだけ」
アイリスが金色のクマの装飾がついた杖を構える。すると氷の刃が空中に何本も出現した。魔剣が抜けるんだから、そりゃあ化け物に決まってる。
飛んできた氷を剣で叩き落とす。一本、二本。氷は軽いけど、割れると細かい粒になって目に入りそうになる。思わず目を閉じてしまった。その隙を縫うようにして、右横から接近する影。気配に向けて剣を振り下ろす。鈍い感触が腕を伝わる。杖に当たった。杖だけ!?
「泥棒猫、捕まえた♪」
アイリスがあたしの背後から抱きついてくる。やられた。氷と杖を囮に接近されるなんて。この距離じゃ剣が振れない。
アイリスの腕が首筋に伸びてくる。直接凍らせる気だ。剣を捨て、急いでアイリスの手を押さえる。剣は自動で鞘に入るので火事の危険はない。
「残念。抵抗しなければ楽に死ねましたのに」
「嘘つけ……! あんたはじっくりいたぶるタイプだろ」
「そっちの方がお好みでしたか。ではそのようにしてあげますわね!」
何度か体勢が入れ替わり、正面から腕を押さえあう展開になった。魔法を使ってきたら蹴り入れてやる。
「いい加減しつこいんだよ! この馬鹿聖女。手離しな」
「いーやーでーすーわ!」
お互い距離を取って武器を取りたいけど、離れた瞬間を狙われる。本当やっかいな奴。待てよ、我慢比べか。
「いいよ。じゃあ付き合ってもらおうじゃない。聖女様」
あたしはダンスの要領で、アイリスをリードし始めた。手を繋いでいるからこいつはあたしの動きに合わせるしかない。
円を描くようにステップを踏む。アイリスは氷に足を取られなように必死だ。段々勢いをつけていき、優雅にターン。本当なら今頃王子様と踊っているはずだったのに、何でこうなっちゃうんだろう。
「え」
そのまま弦側から海に飛び込んだ。海面に叩きつけられた衝撃と水しぶきは心臓に悪いけど、仕方ない。
アイリスのアホ面が海水でさらにぐしゃぐしゃだ。身を切るような冷たさだけど、肝心なのは息。あんたは何分息を止められる。あたしは五分だって余裕だ。
海面に逃げようとするアイリスにしがみついて邪魔をする。もがけばもがくほど息は苦しくなる。大人しくなった所で力を緩めた。気を失っている。
『十まで数えたら出るんだよ』
ふと誰かの声が聞こえた気がして、下を向く。海底は暗く濁っていて何も見通せなかった。
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