第20話 最高と最善と無
「……ぇ?」
──死んで、ない?
焼け付くような痛み。だがそれは、生きているという証拠だ。
(なんで、生きてる?)
ヨムルが心変わりでもしたのだろうか。いや、違う。
見れば、俺を切り裂く筈だった剣は、左の肩を少し切り裂いたところで止まっていた。当のヨムルは俺ではなく、その後ろを見つめている。
「誰ですか
「あなたは」
ヨムルが語りかける。後ろに、誰かいるのか……?
「……っ!」
鈍い痛みが走るが、気にしない。いつの間にか動くようになっていた体を、今出来る最高の動きで剣から遠ざけ、流れ動作でそちらに振り向く。
────居た。
いや、それだけではない。
その左手に、ヨムルの剣が
俺では知覚さえできないほどの速度の攻撃を、たった2本の指で止めて見せた──その事実に、俺は驚きを禁じ得なかった。だがそれはヨムルも同じのようだ。戸惑いが見え隠れしている。
男はヨムルの問いに、ゆっくりとした口調で答え始める。渋い声だった。
「あー、そうだな。俺は
……やっぱり、味方ではない、のか。
いや待て、今の言葉通りなら大人は殺すってことか!?
となるとアルは大丈夫だが、マミーが心配だ。他の人達も大丈夫だろうか。
そう思っていると、突然悲鳴が聞こえた。直後、「「オオオオ!」」という男の声。恐らくヨムルの言っていたヒューマンだ。数は多分、かなり多い。
……状況は、最悪だ。
俺は、何をすべきだ? 皆を救うにはどうすれば良い?
焦る。
前世含め、
今まで、平凡という名の幸せを享受してきた
──いや、『最高』なんて考えるな。今は『最善』が一番大切だ。
【出来ることをやれば良い】
あの時、パピーが言っていた言葉である。
そうだ。とにかく今は、ここからどうやって抜け出すかだけを考えろ。幸いにまだ剣は腰にある。実力差は明白だが……不意を着けば、まだいけるかもしれない。
そう考えていると、不意にヨムルは剣を下ろした。
「いえ、そう言うことなら大丈夫です。それより、その隊長に話を通してもらえませんか。ヨムルと言えば分かると思います」
ヨムルの喋り方は戻っていた。いや、皮を被ったというのが正しいか。
「ほう、やはりお前がそうか。──ついてこい。あぁ、そっちの獣人もな」
獣人……間違いなく俺のことだ。だが、もちろん俺はついていく気なんて毛頭ない。
俺は即座に
無詠唱は、風魔法がLv10になったときに出来るようになった。これは上級魔法(Lv8~)以外の詠唱を要らなくするというものである。もちろん風魔法限定だが。
この魔法の効果は単純で、自分の回りに風を生み出すというものだ。進行方向に対して追い風を自分だけに作ることもできる。つまりは速度アップに用いるのだ。MPを消費すればするほど効果が増えるが、MP消費が尋常ではないためお勧めは出来ない。
だが、今は四の五の言っていられる状況ではない。俺は後で動けるだけのMPを残し、それ以外を全てこの魔法に注ぎ込んだ。
俺の回りだけでなく、家全体に風が吹き荒れ始める。ここまでのMPは今まで使ったことがない。どうなるかは全くもって未知数だった。
「これは……!?」
「……!」
男とヨムルが驚きの声を漏らした。それはそうだろう、7才にもなっていない子供がまさかこんな抵抗をするだなんて誰が想像できるだろうか。それに、それを踏まえての勝機である。チャンスは一度きりだ。
俺は驚いている2人に構うことなく、全力疾走を開始した。
「────っ!!」
全開のブースト。あまりの出力に、体が悲鳴をあげるが構わない。速度は体感は通常の全力の2倍。つまりは
両者の間を抜け、あの地獄のような空間から抜け出す。
──だが、俺を待っていたのは、またも、地獄だった。
「…………うそ」
一面の火の海。そして、そこに沈む家々。
見えるのはそれだけだった。
いや、違う。
首から上が無くなっている人。
内臓が引きずり出されている人。
四肢が関節から先が無くなっている人。
あまりにも人の姿には見えなくなってしまったそれは、頭が人と認識するのを躊躇ってはいたものの、やはり、
言わずもがな、皆死んでいた。
「……ぅ」
あまりの光景に吐きそうになったが、必死で堪える。涙が止まらない目を無理矢理擦って俺は駆けていった。
──敵も味方もいなくなった道を、誘い込まれる獣のように、駆けていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結論から言えば。
「ま、みー……?」
体のほとんどがひしゃげて、目から涙を流して死んでいた。
「…………」
俺は、いつまでそれを見ていただろう。10秒だった気もするし、1時間だったような気もする。ただ、その光景を、一生忘れることは無いだろう。
いつのまにか、俺はいくつものヒューマンの騎士に囲まれていた。そこには先程の男もいる。ヨムルの姿もあった。
「ほう、嬢ちゃんが
「…………」
何も言わない俺に対し、男は話を続ける。
「すまなかったな嬢ちゃん。お前の母さんは──
──────────は?
「ガルドがいないのは残念だが、良い置き土産だ。アイツが絶望する姿が目に浮かぶ……いや、
今、なんて言った……?
この男が、マミーを殺した? コイツが、マミーを? マミー……を……? それだけじゃなく、パピーも……?
……あ
ぷつん
何かが切れる、音がした。
「ぁ、ぁああああああああっ!」
俺はいつの間にか、血が出るほど強く剣を握って跳躍していた。体が、コイツの首を飛ばそうと剣を抜く。
「止めといた方が良いよ、メルちゃん。だってこの人、
「………俺は子供は好きだが、嬢ちゃんのような諦めの悪いヤツは嫌いだ。子供ならもっと────泣き叫んでくれよ」
「がっ!?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俺が意識を取り戻すと、そこは既に檻の中だった。
辺りを見回すも、子供だらけで、やはり大人はいない。あれから何日経ったのかすら不明だった。時刻は夕方。陽の光が虚しく影を作っている。
当たり前だが腰に剣は無く、首にはなにか
「いっ、た……!」
体を起こそうとすると全身が痛んだ。特に頭が痛む。
やはりあのとき床にぶつけられたらしい。
「ぁ」
アイツは!?
俺は、ハッとして辺りを見渡す。しかし、あの男の姿は無かった。
良かっ──。
「───────。」
歯を食い縛った。
一方的に恐怖を植え込まれたとは言え、
最善すら出来なかったのだ。
『出来ることはやっただろ』、と俺の弱い部分が言う。
いや違う。全く違う。
あの時、もっと鍛えていればあんなことにはならなかったのではないかと、どうしようもないことを考える。だがこれはあくまで仮定の話だ。時間は戻る筈もない。
これは夢ではなく現実だ、と痛みが証明している。今の俺には効きすぎる皮肉だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
1日が経った。
恐らくだが、ここにアルはいない。ここにというのは、この檻──ではなく、この4つの檻全部という意味である。
マミーが逃がしてくれたのだと思う。あそこに死体がなく、ここにもいないのならそれは確実だった。
そして、この檻は奴隷商人のものであることが分かった。騎士の格好をしたヒューマンはいない。いるのは、馬のような姿をした魔物と、その手綱を握るヒューマンがそれぞれ4人いるだけだった。
分かったことと言えばこのくらいである。
パピーについては分からない。だが、あの男はマミーとパピーを知っているようだった。多分だが、森でパピーを待っている、と思う。
パピーが勝つかどうかは分からなかったが、俺は信じることしか出来なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして、今に戻る。
「パピー……」
パピーはついぞ、来ることはなかった。
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