第32話 水の神殿

 テルーの力によって陸地となった深海。

 そこに横たわる神獣リヴァイアサン。

 それは東洋の竜の姿に似ていたが、水棲生物の証拠の鰓や鰭があった。

 先手必勝とばかりに宙を舞って急降下した光次郎だが、さすがにリヴァイアサンは甘くない。

 その鎌首をもたげると、超高圧の水のブレスを吐き出す。

 光次郎は宙を蹴って体をひねり、そのブレスをかわす。

『爆裂火球』

 別所が最大限の魔力を込めた火球の魔法を後方から放つ。それはちょうど光次郎のタイミングと重なった。

 リヴァイアサンは本能的に炎を防ぐことを選び、その結果光次郎の攻撃をそのまま食らうこととなった。

 刀はやすやすと魔力の防壁を貫き、鱗を削り、その内側の肉を切り裂く。確かにダメージを与えている。

(陸の上なら、竜よりも弱い?)

 そんな印象を与える。少なくとも防御力は竜よりも下だと思えた。



 光次郎を援護するように、魔法の攻撃がリヴァイアサンを襲った。

 一撃一撃はそれほどのダメージを与えない。だがリヴァイアサンの注意はそちらに向けられている。

 水のブレス。それを前に立って、別所が受け止める。

 火の加護でブーストされた火壁。完全ではないがブレスを弱めている。

 それに美幸の魔法障壁が重なり、ブレスは完全に受け止められた。

「魔法で攻め続けろ! 注意をこちらに向けるんだ!」

 結城の魔法は、術理魔法と風魔法が組み合わさって、より強大になっている。

 その風の刃が、かすかに鱗を傷つけた。



 リヴァイアサンの攻撃は、牙や爪、尻尾とブレス、そして水系の特殊な攻撃だ。

 接近戦では光次郎がその巨体をかろうじてかわしていき、遠距離攻撃は別所と美幸が対応する。

 たまに手が足りなくて攻撃が向かってくるが、それは防御の厚い者が体で防ぐ。

 ダメージを受けたら米原が回復し、前線へと復帰する。

 徐々に削る。確実に削る。だが池上の鑑定では、リヴァイアサンも自動的に傷は治癒されていく。

 ダメージは蓄積されていくが、傷自体はすぐに治ってしまうのだ。







 その様子を、神竜と聖女は興味深く眺めていた。

「トールやアルスと比べると、やっぱり弱いな。同じ地球という名前でも、魂の強度が違うみたいだな」

「そうなのか?」

 トールやアルスが勇者として活躍していた時代を知るのは、この中ではテルーだけだ。レイアナも知識としては受け継いでいるが、それはテレビで映像を確認するようなもので、実感としてはない。

「トールの強さは実際にやりあって知ってるだろ? アルスはもっと無茶苦茶だったが」

 この世界において剣術で最強の名を挙げるなら、レイアナかトールとなる。

 もっともレイアナは神竜であるため、様々な祝福を持つので、実際に戦えばレイアナが勝つのだが。

「そもそも15人も召喚したのがおかしいんだ。どこから発掘したのか、それとも改めて開発したのか、もしくは神々の神託を受けたのか……」

 それを知る方法はもうない。アセロアの王都は廃墟と化しているからだ。



「神々の神託か。封印が弱まっているのか」

「4200年程度で破れるような封印ではないのだがな。声を届けるだけなら可能だろう」

 神は人々に恩寵を与えると共に、堕落への道も示す。なぜならそれが、神と定義された存在だからだ。

「イリーナが封印された神を、片端から始末しているからな。あちらもあせっているのかもしれん」

 テルーはそう分析する。封印された無数の神々だが、イリーナの手によって確かに大きくその数は減っているはずだ。



 4200年前。シファカがわずかな人間を連れてこの世界へやってきた。

 それはいい。滅ぼされた世界から人がやってくるのは問題なかったのだ。

 問題だったのは、この世界の神と、異なる世界の神の争いだった。

 大崩壊。

 神竜がその眷属をも含めて、世界の秩序を維持するために神と敵対した時代。

 もちろん神ごときが神竜に勝てるわけはなく、異なる世界の神はほとんどが滅ぼされ、この世界の神も多くが封印、もしくは自ら眠りに就いた。

 だが、隠れている神もいるはずだ。

 1200年前の大崩壊。あの時も地球の神だけでなく、この世界の神も蠢動していた気配が残っていた。

 むしろそれこそが、今回の15人もの勇者召喚の原因なのかもしれない。 



 そんな高次元なことを考えている間にも、戦闘は進んでいる。

 神竜にとっては脅威ではないが、人間ではおそらく勝てる者はいないのではないかという神獣。

 それが徐々に傷を増やしていく。治癒が間に合っていない。

 傷は癒えても生命力自体は回復しない。もちろん失った血液も、補充するには肉体の成分を血液にする必要がある。

 リヴァイアサンは追い詰められていた。







「うら!」

 死ね! 死ね! 死ね! さっさと死ね!

 狂える力を奇妙に冷静にコントロールしながら、光次郎は刀を振るう。

 脳裏をよぎるのは、なぜか走馬灯のような己の生涯。

 物心つく前からの魔法の訓練。初めて持った刀は、そのあまりの重さに落としてしまった。

 そして繰り返される修行。修行。修行。

 国家のため、一族のために戦ってきた。

 地球では、一族のため以外に力を行使したことはない。

 だがここは異世界。彼を止めるのは美幸だけで、止めようとする意思はあっても止められる力はない。

 解放感。純粋に戦いを楽しむ。

 修羅の呪いのもう一つの側面を、光次郎は実感していた。



 リヴァイアサンには知性がある。

 仮にも神獣と呼ばれる存在だ。相手に知性があれば、相互理解が可能である。

 だが神獣としての矜持、それが戦いへと駆り立てる。

 今の敵は神ではない。神以外の存在に自分が逃げるなど、あるはずはない。

 だから傷を負っても、戦力の分析が済んでも、ただ逃げることなどありえない。

 目の前の、鮫にも比較にならぬ矮小な存在。

 人間。たかがそれだけのために、自分が撤退するなどありえない。

 喰らい尽くすために開けた口の中の鋭い牙が、光次郎を襲う。

 だがそれは悪手。



 キン。



 神竜の鍛えた刀によって、リヴァイアサンの牙は半ばで断たれていた。

「うがああああっ!」

 リヴァイアサンの口内を抉る。喉の奥からのブレスを刀で斬るが、それでも外には押し出された。

 体勢を立て直し、リヴァイアサンと見詰め合う。

 もはやリヴァイアサンは遠距離から放たれる魔法など歯牙にもかけず、ただ光次郎を睨みつける。

 獲物ではなく、敵として認識している。己と対等の者として戦うと決めたのだ。



 ここで、残りの一行も戦術を変える。

 ダメージを少しでも与えられるのは、光次郎以外には別所の火魔法と、美幸の刀のみ。

 結城は回復した魔力を別所にどんどんと送り、バッテリーの役割を果たす。

 他の一行はここで別所を守る。

 だがこの土壇場で、池上の鑑定が進化していた。

『弱点看破』

 より防御の弱い部分が、視界で赤く染まる。

「チョイ右。鰓の下」

 誘導されて、火球が炸裂する。光次郎にとってはありがたい援護だ。



 目の前の最大の敵を排除するために、リヴァイアサンはまず煩わしい小魚を殲滅することにした。

 テルーが維持している空間に、水が入ってくる。ただの海水ではない。リヴァイアサンの魔力によって生み出された、水の原理に最も近い水だ。

「これはまずいな」

 レイアナはテルーとカーラを結界で包む。勇者たちは……どうにかしてくれるだろう。

 美幸は跳躍し、レイアナの鍛えた刀を振りかぶる。

 残りの勇者へ殺到するのは、海。

 世界の海の力を集めた、圧倒的な圧力とエネルギー。

 魔力の防壁ごと勇者を押し流す。それに対抗できるのはまさに神だけだろう。



 美幸は宙を舞っていた。

 その手にあるのは備前長船兼光を写してレイアナが打った刀。

 リヴァイアサンの魔法障壁も、鉄より硬い鱗も突破して、リヴァイアサンの頭に突き刺さる。

 もっともそれで分厚い頭蓋骨を貫けるはずはなく、中ほどまでで刃は止まる。

『暗黒爆雷』

 闇と雷の混合魔法。美幸の今使える魔法では、ほぼ最高の火力だ。

 電撃は刀を伝わり、リヴァイアサンに直接のダメージを与える。



 そしてそれは、致命的な隙を作った。



 光次郎が駆ける。



 正宗が煌き、その刃が、リヴァイアサンの角から首筋へを大きく切り裂いた。







 勇者たちは気絶していた。

 カーラの治癒によって、ほとんど問題なく傷は回復していく。

 美幸はMP切れにより、久しぶりの嘔吐感に襲われていた。

 その背中に、光次郎の手のひらが当てられる。

 徐々に染み渡る魔力に、美幸の呼吸も整えられる。



 リヴァイアサンは逃げ出していた。

 その巨体を壁となった海の中に潜り込ませ、深海をどこかへと去っていった。

 残った16人と2柱は、水の神殿の前に立つ。

 門はない。そのまま奥が見える。水に満たされた神殿。その奥の主。

 水竜ラナがそこにいた。



 他の神竜に比べると、ラナとテルーはやや細身だ。

 それは水中をより速く進むことと、大気中をより速く進むための形態だ。

 そのラナが、ゆっくりと首を上げる。

「ようこそ、勇者たちよ。待っていました」

 神殿の中が淡く光り、その光から生まれる人影。

 テルーに似た姿。だがより女性らしさを思わせるわずかな違い。



 ラナの手から光があふれ、宝珠となる。

 ドラゴンオーブ。最後の一つ。

 美幸の手の中に、それは捧げられた。

「まずは、地上へ出ましょうか。ここでは力の均衡が取れていません」

 ラナが手を振ると一行の周囲の景色が描きかえられる。

 リザードマンの集落の中心、その広場に一行はいた。

 ざわめきが広がっていくが、リザードマンたちはその場にひれ伏す。

 それに向かってラナは手で制して、己の存在を示した。



「ラナ、どうしてイリーナの伝言を無視していた?」

 テルーが不審そうに問う。ラナの動作を見るに、テルーのように寝惚けていたわけではなかろう。

「占っていました」

 ラナはそう言うと、光次郎と美幸に歩み寄った。

「あなたたちの子……いえ、孫でしょうか……」

 ラナは珍しく、口ごもるというか、断定を避けるように言った。

「あなた達の地球は破壊されます」

 それは衝撃的な言葉ではあった。

 およそこの世界で成しえないことはないという神竜。その言葉である。

「私たちよりも更に上の神格を持つ存在の手によって、地球は破壊されるでしょう。ですが、地球が滅びるわけではありません」

 それは神竜たちにさえ、衝撃的な言葉だったのだろう。テルーが表情に動揺を表している。

「待て、なぜそんなことが分かる? お前の予知でさえ、そこまで幹に近い世界のことは……」

「忘れたのですか、テルー。三代目の勇者のことを。クラリスを消滅させたあの子のことを」

 三代目の勇者。

 アルスと戦い黄金竜クラリスを消滅させ、ラナの手によって異世界へと渡った少年。

 それが、このこととつながっているのか。

「あの、地球は破壊されるけど滅びるわけではないというのはどういうことでしょう」

 恐れることもなくラナに相対する美幸に、神竜は優しく微笑んだ。

「破壊され、改変されるということです。より幹に近い世界に」

「幹とは?」

「この宇宙……いえ、宇宙をも内包する最初の世界のことです。そこへ、あなたたちの地球は統合されるでしょう。そしてその役割を果たすのは、おそらくあなたの息子です」

 美幸の息子が、地球を破壊する。

 普通ならありえないと思う。だがそれは予言。

 神からの予言だ。疎かにしていいものではない。

「私からはこれ以上詳しくは言えません。ですが……悔いのない生を送るようにしなさい」

「……ご助言、感謝します」



「さあ」

 向き直ったラナは、勇者たちへ告げた。

「送還の魔法を行いましょう」

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