第30話 嵐の山脈

 眼下を流れるのは白い雪をたたえた山々。

 風から守られた状態の二人は、その絶景に驚嘆する。

『嵐の山脈は、いずれ人の手によって踏破されるだろう』

 頭の中に直接響くレイアナの声。

『だが何度踏破されても、犠牲なしには踏破できまい。なぜか分かるかね?』

 少し考えて、美幸が発言する。

「ガーハルト帝国の帝都の発展振りを見ますと、その内装備を整えるか、上空から飛行手段で向かうかしたら、踏破出来ると思います」

『前者については、道中の魔物の強さで必ず犠牲が出るだろう。暴風すらも超えた嵐の中では、ほとんどまともに武器も振るえまい』

 山脈と山脈の連なりの中には、細い道がある。だがそこを気まぐれな風が襲い、運の悪いものを谷底へと運んでいく。

『後者についてだが、まあ見ていれば分かる』

 一つの山脈を越えると、完全に雲に包まれた山嶺が目に入る。

 レイアナはその中に平気で突っ込んだが、その背にまたがる二人には異常さが分かった。

 ただの雲ではないのだ。

『雷の魔力を帯びた雲だ。機械でこの中を飛ぶのはまだ技術が足りないだろうな。そして竜はともかく、他の飛行種の魔物では、この高さは越えられない』



 そんな雲の中を苦もなく飛ぶレイアナは、やがてその切れ間に至った。

 四つの巨峰に囲まれた、銀色の神殿。

 その前にある庭に、レイアナは降り立った。

 人の姿に戻ったレイアナは、案内もなく神殿に踏み込む。

「テルー! いるんだろ! 起きろ!」

 その後を追った二人は、神殿の中に無限の空間を見た。

 外側の神殿よりもはるかに広大な空間。

 そこに多くの竜が眠っている。あの火炎迷宮のように。

 そしてその中央に、銀色の竜が眠っていた。

 巨体である。他の竜の10倍はある全長。そして鱗がごつごつとしている。



「起きろ、こら!」

 容赦なくレイアナは竜の顔を蹴り、その衝撃で神殿が揺れた。

 しばしの後、そんな衝撃などなんともないというふうに、神竜は目を開けた。

『むう、レイアナか?』

 のっそりと首を上げた神竜は、大きく欠伸をした。

 威圧するつもりもないのだろう。だが光次郎と美幸は、入り口で足を止めてしまっている。

 イリーナやオーマ、レイアナは、かなり手加減してくれていたのだろう。

 だがこの目の前の神竜は、存在そのもので威圧感を与えてくる。

 正直、怖い。膝が震えるし、座り込みそうになる。

「寝惚けるな。イリーナから連絡が来てただろう」

『連絡?』

 神竜は首を傾げ、それからようやく頷いた。

『そういえば数日前に……』

「もう一月以上前だ」

 神竜はまたも首を傾げ、そして唐突に人の姿となった。



 風の神竜テルー。

 銀髪に碧眼というのはカーラと同じだ。だがその身から発する威圧感が、全く違う印象を与える。

 無地の白い布をまとい、手には杖を持っている。魔法使いか巫女のような印象だ。

「そうか。深い眠りに入っていたので、時間の感覚がおかしくなっていたようだ」

「ならラナも同じだろうな。全く、世界の危機なのに、どうして感じないのか」

「すまなかったな。……勇者か」

 テルーの瞳が向けられ、光次郎と美幸は硬直する。

「15人か……。なぜ人は異世界から勇者を呼ぶのだろうな」

「竜には分からんことだよ。それで、完全に目は覚めたか?」

 頷いたテルーの手には、銀色の宝珠があった。

 これで四つ目。残りは一つ。







「それで、ラナが残っているだけなんだが」

「あれは1200年前の勇者を排除したときに力を使ったからな。その力を蓄えているのだろう」

「するとイリーナの声が届いていない可能性が高いか。元々水の中だしな」

「うむ、ではあとはよろしく頼むぞ」

「こら待て。また眠るつもりか」

 うずくまるテルーの頭に、レイアナの踵落しが決まった。

 またも神殿全体が揺れた。少し顔をしかめたテルーだが、それほど痛くはないらしい。

 恐らく人間であれば、その一撃でひき肉になっているのだろうが。

「むう」

「一緒に行くぞ。とりあえず山嶺の麓まで飛ばしてくれ」

「年寄りにはもう少し優しくするものだぞ」

 テルーの杖がコンと床を鳴らすと、一行ははるかに山々を見上げる大地に戻っていた。



「早かったですね」

 野営していたテントの中からカーラが出てきた。もう少しかかるだろうという口ぶりだったが、実際には一日も経っていない。

「ああ、寝惚けてたこいつを起こすだけだったからな。水の神殿と違って嵐の山脈はショートカットできるし」

 成竜以上であれば、雲を越えて行けるということだろう。レイアナの場合半日とかからなかったわけだが。

 コホンと咳をしたテルーは全員を見回し確認する。

「これで全員だな?」

「あと一人」

 川島がテントを収納してやってくる。

「では飛ぶか」

 テルーの杖が大地を叩き、一行は転移した。







 森と湿地の境に、18の人影が現れた。

「少し歩くぞ」

 そう言ったテルーを先頭に、湿地の中の細い道を一行は行く。

「直接は飛べないんですか?」

 美幸の問いに、テルーは振り返りもせず頷く。

「森からこちらは、既にラナの神域だからな」

「気をつけろよ。魔物はいるぞ」

 レイアナの警告が終わらないうちに、巨大な鰐が突然現れた。

「装備装備!」

 慌てる一行の中、光次郎が一太刀で大鰐を仕留める。

「川島、装備出して」

「了解」

 その場で足を止めて防具と武器を装備する一行だが、板金鎧のメンバーは足が少しずつ埋まっていく。

「駄目だ。鎧脱がないと……」

『軽量化』

 カーラの手が当たった鎧が、その重さを失う。

「これで大丈夫でしょう。行きますよ」

「すげー。軽いわ、これ」

 土屋がぴょんぴょんとその場で跳ねる。スキップしながら道を行く。



 湿地と普通の地面が混じるところに、わずかな森があった。

 そしてその森の中から視線が向けられている。ついでに弓矢も向けられている。

「止まれ人族。何をしに来た」

 多少発音が悪いが、大陸共通語だ。

「水竜ラナに用事があって来た。なんなら迂回してもいい」

 しばらくがさごそと音がして、革鎧を身にまとったリザードマンが一人姿を見せた。

「そなたらは何者か。我らが守護神に何の用か」

「我は風竜テルーなり。同族を訪問しに参った」

 テルーが前に出ると、リザードマンはぎょっと驚いたようだった。表情は分からないが、動きが硬直する。

「しばしお待ちを」

 言葉遣いも丁寧になり、森の中へ戻っていく。



「爬虫類系の亜人って初めて見た……」

 ここまで見たのは確かに妖精族や獣人ばかりであった。

「あれ? 竜ってひょっとして爬虫類の親玉?」

 今村の言葉に、テルーが振り返る。表情は変わっていないが、気分を害したのかもしれない。

「竜は見た目こそ爬虫類に近く、ラナはリザードマンを眷属としているが、実際は人間に近い。滅多にないが人と竜の間に子が生まれることがあるが、ほとんどは人間が相手だな」

「私の先祖も竜と結婚して子供を産んだからな」

 レイアナはそう言った。歴史の講義で習った、カサリアのレイテ・アナイアという女王がそうらしい。

「もっとも人間との混血では、ほとんどが人間の特徴を持って生まれてくるんだ。多少は生命力や筋力、寿命が長いことがあるが」

「私とリアの間に生まれた子は、200年ほど生きました」

 カーラのその言葉に、一同は驚いた。

 オーマは人間との間で子供を作るなら相手は女がいいと言っていたが、ここにその実例があるとは。

「オーガス帝国は皇帝の寿命が比較的長く、政権が安定している。それが発展した要因の一つだろうな」

 もっとも実際は、馬鹿な皇帝をカーラが責任をもって排除した要因が大きい。



 そんな話をしていると、森の中から人影が現れた。

 リザードマンだ。しかし中央に立つリザードマンは、背が極めて高く、ローブを着て杖を持ち、首にじゃらじゃらと宝石をつけたネックレスをしている。

 何より特徴的なのは、竜のように頭に角があることだ。

「おお、まさに神竜……」

 そのリザードマンはテルーの前まで来ると、膝をついた。

「私はこの大湿原の集落の長の一人、ゲガスと申します。どうか神竜様の力をもって、神殿への道をとざした魔獣を排除してくだされ」

 何やらまた、厄介ごとの予感である。

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