第28話 暗黒竜と東へ

 よく見ればどの武器も防具も、魔法がかかっている。それでいて本来の機能を存分に発している。

「あ~、いい槍。欲しいなあ」

「つーか、この剣本当に鉄製かよ? アセロアで借りたミスリルよりも切れそうなんだけど」

「この鎧はミスリルっぽいよ。……あれってオリハルコン? ぴかぴかしてる……」

 それなりに長い時間を異世界で過ごして、武器や防具に対する関心は高まっている。

 武器や防具に目をキラキラさせている一行だが、とりあえず話をしないといけないだろう。

「人数が多いからな。工房の方に行こうか」

 レイアナが提案しカーラが頷く。お隣のドワーフの女の子に店番を任せて、一行はレイアナの工房へ向かう。



 鉄を叩く音。熱気。蒸気。そして男たちの汗の匂い。

 奥へ進めば進むほど、それは顕著になる。そしてドワーフの比率が上がっていく。

「変わらないね、ここは」

 サージがにこにこと言うと、レイアナも笑って言った。

「変わってほしくないからな、ここは」

「変わりませんよ、きっと」

 カーラが続けて言って、オーマが欠伸をした。







 レイアナの工房はドワーフの里の奥、一際大きなものであった。

 中には何人ものドワーフが働いていて、帰って来たレイアナに声がかけられる。

 レイアナは姉御と呼ばれ、それに手を上げて応えていく。

 奥には板の間があり、さらに奥には畳敷きの和室があった。

 当然のごとくここでは靴を脱ぐ。カーラは甲斐甲斐しくお茶の準備にかかる。

「あ~、まず謝っておく」

 気の抜けたレイアナの言葉から会話は始まった。

「イリーナから連絡は受けてたんだがな。周りに話すのを忘れていた。ちなみにお迎えの準備もすっかり忘れていた。すまん」

 胡坐をかいたレイアナはそう言って頭を下げた。



 これはなんだろう。

 イリーナは重戦士であったし、オーマは浮浪児に見えた。それに比べてもこの目の前の美女は、人界の芥に塗れている気がする。

「ちょっと刀を鍛えるのに集中しすぎていたからな。マジスマソ」

「あなたという人は……」

 少し呆れたような声で台所から戻ってきたカーラは、人数分の茶碗を宙に浮かべて持ってきている。

 ふわりと空中を漂った茶碗は各自の前に置かれた。熱々の緑茶を、オーマはずいと啜っている。

「羊羹もあったんじゃないか?」

「そうですね。出しましょう」

 台所から飛んで来た羊羹と包丁と皿。包丁が羊羹を切り、皿の上に乗せていく。

 なんというか……これほど魔法を魔法っぽく使うのは初めて見た一同である。



「カーラさん、術理魔法のレベル11になったんじゃない?」

 サージの言葉に、カーラは首を傾げる。

「どうでしょう。確かにここ数百年、レベルは上がってませんが……」

「姉ちゃん、どうなの?」

「ん~?」

 レイアナは目を細める。金色の虹彩がカチカチと眇められる。

「そうだな。レベル12相当になってるな」

「姉ちゃん、世界のシステムアップデートしてよ。そんでちなみにおいらの時空魔法はどうなってるかな?」

「あ~、お前も11になってるな。アップデートは……オーマやってくれないか?」

「あたしにやらせると細かいところがなあ。ラナかテルーにやってもらうしかないだろ」

 システムアップデートとは随分とゲームっぽい言葉である。

「ああ、ステータスのシステムは元々クラリスとバルスが作ったもんだからな」

 オーマが言うには、4200前に聖帝リュクシファーカが神竜に願ってステータスのシステムを作ってもらったという。

 そういえば前にも似たような話を聞いた。称号がどうとか、賞罰欄がどうとか。



「やっぱりお前がやれよ。カーラに手伝ってもらえば楽だろ?」

「そもそも私は魔法が苦手なんだ。……術式をカーラに組んでもらって、魔力だけを提供するなら可能か。……数年はかかりそうだな」

「まあ、詳しいことは5柱揃ってから考えればいいさ。こいつらを送り返すとき、揃うわけだし」

 オーマは残った茶を飲むと立ち上がった。

「それじゃあそろそろあたしは帰るぜ。……楽しませてくれてありがとうよ」

 手をひらひらと振って、オーマの姿が消えた。







「あ~、じゃあとりあえずこれを渡しておこう」

 リアが空中から取り出したのは、黒のドラゴンオーブ。

 代表して美幸が受け取る。すべすべしていて泥団子のようだ。

「それでどうする? すぐに嵐の山脈に行くか? それとも何か用事があるか?」

 もう一度武器が見たいという一行はカーラが里を案内することとなり、光次郎と美幸はレイアナに向かって一手ご指南を、と頭を下げた。

「あと、これ直りませんか?」

 光次郎が取り出したのは村正の破片である。完全にばらばらになっていたため、復元の魔法が効かなかったのだ。

「それは私が直しましょう」

 カーラが柄を握る。わずかな魔法の発動。そして刀は元に戻る。

 復元の魔法なのだろうが、完全な無詠唱。発動の言語さえなかった。



 きらきらとした目でそれを受け取る光次郎。長年の相棒の復活に、感謝の念は絶えない。

「結構上物の村正だな。それで戦うのか?」

「はい」

「じゃあ、この広場でやってみるか」

 ドワーフの里の中央。普段なら祭りの時にでも宴会が催される場所だ。

 光次郎が村正を手にするのに対し、レイアナは木刀である。

「最初に言っておくが、お前と私の間には、越えようのない壁がある。だから真剣でも遠慮せず向かって来い」

 レイアナの言葉は嘘ではないだろう。トールも言っていたが、この女性の構えは隙だらけのようでいて、全く隙がない。

 まずは試しに面を狙う。ぬるりと空中で刀が滑って、地面に刺さる。

 レイアナの木刀は、中段に構えられていた。ただし片手で。

「ほら、立て直せ」

 ゆっくりと木刀の先端がこちらに向けられる。光次郎は飛び離れた。



 叶わない。届かない。

 切っ先が届いたと思うと、実は届いていない。

 粗くなった攻撃には、木刀で小手を触られる。

「身体強化を使ってもいいぞ。全力で来い」

 言われたとおりに全力でかかるが、刀は何もない空間を泳いでいる。

 木刀で真剣を捌く。受け流す。それが何度も続く。

「そろそろこちらから攻撃するぞ」

 そう言った次の瞬間、レイアナの突きが光次郎の首を狙った。

 とん、と軽く触れられただけだ。痛みはない。だが、動けなくなった。

 致命的な隙だが、レイアナは追撃しない。

「さて、もう一本行こうか」

 実力の隔絶した訓練は、もうしばらく続いた。







「さて、準備はいいか?」

 装備を整えた一行に、レイアナが声をかける。

 そういうレイアナとカーラも旅の服装だ。しばらく店はお隣さんに任せるらしい。

 肯定の応えの中、サージが手を上げた。

「おいらはそろそろ戻るよ。まだ時間はあるけど、そろそろね」

 転移しかけたサージの魔法が、発動直前で止められた。

「せっかくだ。墓参りに一緒に行こう」

 サージの肩を捕まえたレイアナが言う。

「墓参り……。ああ……」

 この世界には、墓参りの風習があまりない。

 もちろん先祖を敬うことはあるし、偉人の生誕祭などはあるのだが、日本人の風習としてはない。

「そうだね、こんな時期だった……」

 軽く頷くレイアナに、サージも頷き返す。そして一行は、また転移した。



 小さな集落だった。

 人間の集落ではない。歩いているのは、ほとんどが猫獣人だ。

「うわ、可愛い……」

 女子受けの良さそうなその集落を入ってすぐの広場に、小さな祠がある。

 そしてその祠には、躍動感あふれる姿の猫獣人の石像があった。

「マール……」

 おそろしく写実的な石像は、笑みを浮かべている。

「おいらと姉ちゃんが試練の迷宮に挑んだ時、六人だったんだ。そのうち三人は寿命で死んだけど、マールはこの里を守ってね……」

 手を合わせるレイアナとサージに倣って、皆も手を合わせる。

 アルヴィスだけはただ俯き黙祷した。



「もし、そこのお方」

 声をかけてきたのは、当然のように猫獣人だった。

 黒い猫獣人だ。足取りがしっかりしているにも関わらず杖を持っていることから、獣人の中では珍しく魔法の素養があるのだろう。

「何か?」

 向き直ったレイアナの姿に、猫獣人は目を瞠る。

「もしや、竜帝リュクレイアーナ様では?」

「懐かしい呼び名だな」

 肯定したレイアナに、猫獣人は頭を下げた。

「私はこの集落の巫女でございます。遠き母の像に参られているのを見かけて、声をかけさせていただきました」

「そうか、お前はマールの……」

 黒い毛皮がよく似ている。レイアナの目には猫獣人の区別がつく。マールの面影が、こんなにも遠い子孫に受け継がれている。

「よろしければ一晩、おもてなしをさせていただきたく」

「そうだな……」

 考え込むレイアナに、アルヴィスが囁く。

「私は席を外そう。マールのことは名前しか知らないし、アルスの元へ先に行くよ」

 振り返ったレイアナは、勇者一行を見る。

「少し時間をもらっていいか?」

 否はない。そして一行は、猫獣人の集落で一晩を過ごすことになった。







 猫たちが踊る。

 軽妙に、喜びを表現して。

 それを見つめながらリアとサージは、マールについての話を子孫たちにしていく。

 猫たちに混じって勇者たちが踊る。

 それは少し滑稽で笑いを誘ったが、暖かいものだった。

「可愛らしい子でした」

 カーラはそれほどマールと接触していたわけではない。だが、レイアナの後ろをとてとてと続く姿を覚えている。

「リアはとても強い人ですが、マールを失った時ほど傷ついた姿を見たことはありません」

 全ては昔のこと。

 けれどそれを記憶している。



「カーラさんは暗黒竜とどういう関係なんですか?」

 川島が問う。とても親しい関係なのは見ていれば分かるが、親友と呼ぶにしても親しすぎる。

「私はリアの妻です」

 男性陣の表情が凍った。

「それは……あの……オーマが言っていた、竜は女しかいないというあれですか?」

 カーラは頷くと、レイアナとの馴れ初めを話し出した。

「竜を……倒したんですか……」

 一番驚いたことはそれである。深窓の令嬢としか見えないカーラが、竜をも倒す魔法剣士だったということ。

 事実今も、普段着の上にローブを羽織っただけである。帯剣してもいない。

「その時は勇者とギネヴィアが一緒に戦ってくれましたから、私は止めをさしただけです」



 カーラが話すのは、レイアナは人として生きていた時代。

 オーガの戦士を率い、騎士たちの筆頭を駆け、敵を蹂躙していた時代。

 そしてカーラと共にレイアナの妻となった二人の女性。

「ハーレムは作らなかったんですね」

 意外と言えば意外である。

「竜はあまり子を作らないんです。それでも7人産まれましたが」

 カーラは既に魂の輪廻に入った我が子たちの話をする。

 オーガス大公国が発展し、カサリア王国を飲み込み、巨大なオーガス帝国となる。

 レイアナが退位し、カーラと共に諸国を巡った旅路。

 それは世界を旅することであった。



「ニホン帝国のこともよく覚えています。珍しくリアが長く逗留し、基盤を築くのに協力しましたから」

 入植者たちによる国家の形成。

 種族による対立。差別。そして解放。

 アセロアを含む竜牙大陸の人間国家の滅亡を、カーラは静かな表情で聞いていた。







 翌朝、一行は獣人たちに見送られ、集落を後にした。

「じゃあ帝都に跳べばいいのかな?」

 サージが問うと、レイアナが首を振る。

「せっかくだから新幹線を使おう。帝都まで行って、そこからは転移する」

「じゃあ、おいらはここでお別れか」

 サージは勇者たち一人一人の顔を見つめていく。長い人生の中で、ほんのわずか関わりあった、遠い故郷に似た人々を。

「二度と会うことはないと思うけど……魂の輪廻の果てで再び出会えることを願って」

 サージは手を振る。それに一同は振り返す。

 ありがとうと言う声を聞いて、サージは最後に笑ったようだった。



「さて、じゃあガーハルト帝国の西端までは、私が運んでやろう」

 そう言ったレイアナが目を瞑り……しばしして息を吐く。

「竜に変身する方法、忘れた……」

 一同がずっこけたが、カーラだけは呆れた溜め息をついた。

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