第19話 魔王の都
とにかく退屈な旅であった。
朝から晩までひたすら列車に乗り、それ以外は宿にこもるかその近くを散策するだけ。
早朝訓練に励むこともあるが、それでも乗車時間が変わることはない。暇である。
トランプの類は何度も繰り返され、とにかく皆飽きがきていた。
こんなことなら船の旅の方が面白いなどとも思ったが、今更の話である。とにかく一刻も早く地球に帰還したほうがいいというのだ。我がままをいっている状況ではない。
というか、そんなに急いでいるのなら、転移が使える魔法使いの一人や二人、用意してくれてもよさそうなものだ。
そんなこんなを思いながら、一週間の列車の旅が終わった。
……地図によると、まだ旅程の半分も消化していないはずだが。
「さて、列車の旅はここまでだ」
線路はまだ先まであるのだが、レイはそう言った。
「ここからは馬車、とか?」
その質問にレイは首を振る。
「いや、ここからは転移門が使えるからな」
レイの後をついていくと、駅から近い大きな建物に入っていく。
ここでも身分証明証がわりに短剣を出して、さらに地下に向かう。
「ご苦労」
特別に厳重に守られた部屋の入り口は、短剣の紋章に合わせてレイの顔も見せる必要があった。
「レイ様、後ろの者たちは?」
「勇者だよ。アセロアに召喚された」
それだけの説明で番兵は納得したようだ。鋼鉄製の重たい門を開ける。
『光よ』
レイが魔法を使うと、暗闇に満たされていた部屋の様子が分かる。
それは、床に魔方陣が描かれた部屋だった。
「この魔方陣……」
光次郎と美幸には、これと似た魔方陣を見た覚えがある。
「俺たちが召喚されてきた時のと似てるな」
魔法を使う者としては、転移の魔法には憧れがある。一応地球にも転移の魔法はあるのだが、二人はその使い方を知らない。
「時空魔法は使い手が少ない。この魔法陣も、陛下自らが作られたものだ」
「教えてもらうわけにはいかないですかね?」
珍しく光次郎の食いつきがいいが、教えてもらう暇がないだろうというレイのもっともな意見に、がっくりと肩を落とした。
「さて、では移動するか」
レイを含めた全員が魔法人の中に入ると、彼女が登録された言語を発する。
「転移、魔王城」
複雑な紫色の光を発して、一瞬皆の体がぶれたように見えた。
「ほら、到着だ」
「な、なんかちょっと気持ち悪い」
数人が気分の悪さを訴えたが、慣れていない者には多い症状とのこと。
「大丈夫か? どうしても駄目なら休ませておくが」
数人が手を上げて、医務室のようなところに案内される。
「ここは地下、ですか」
光次郎がなんとなく察知する。空気の重さがそう感じさせるのだ。
「そうだ。ちなみに昼間はあいつ、魔王はここの近くで眠っている」
そういえば吸血鬼であるから、生活のサイクルは違うはずだ。
「この時間なら……執務室か。じゃあ付いてこれる者は付いてきてくれ」
レイはそう言って先頭に立つ。光次郎と美幸をはじめ、体調の悪化を訴えなかった者はそれに続く。
「少しだけ、寄り道をしようか」
そう言ったレイは、階段を上っていく。この世界で来る前だったら途中でへばるメンバーもいそうな段数を数えたところ、ようやく目的地へ到着した。
そこは魔王城の中でも、特に見晴らしのいい場所で。
「うわあ……」
眼下に煌く光の群れ。その光ははるか彼方まで広がっている。思わず嘆声が上がる。
「ようこそ、竜牙大陸魔族領の王都、アヴァロンへ」
少しだけ得意そうな響きが、レイの声には混じっていた。
しばらくしてようやく全員が夢見心地から醒めると、レイは魔王の待つ執務室へと連れて行く。
「謁見の間とかじゃないんですかね?」
「ああ、そこまで格式ばる必要はないだろう。下手すると変なキャラ付けしてくるしな」
キャラ付け?
それほど長くもない距離を進むと、一つの扉があった。それをノックすることもなく、レイは開けた。
「おい、帰ったぞ」
「……れーい!」
部屋からとんでもない速度で飛んできたのは、亜麻色の髪の乙女。
「うう……しんどかったよう……。書いても書いても書類が減らないの……」
「分かった分かった。手伝ってやるから」
半泣きの…魔王様の頭を、レイが慣れた手つきで撫でている。
そこでようやく他の者の存在に気付いたのか、慌てて魔王は立ち上がった。
「……みっともないところを見せたわね。あたしが魔王、アスカ・アスグストリアよ」
「はあ、お久しぶりです」
そう言って頭を下げた光次郎に、アスカは指を突きつける。
「こいつ! あたしの心臓をえぐったやつ!」
「その節はどうもすみませんでした」
そうとしか言いようがなくて、光次郎は頭を下げた。代わりとばかりに美幸が前に立ち、透からの親書を渡す。
「トールから? あんまり親しくないんだけどな……」
あの時の威圧感はどこへやら、魔王はぶつぶつ呟きながら親書に目を通す。
「……あたしがこれやるの?」
「どれどれ」
レイも親書に目を通す。不思議そうな感情がその顔に浮かぶ。
「こんなの最初から神竜に頼めばいいじゃん。っていうかイリーナはどうしてたのよ」
「そうね、わざわざ4大迷宮を攻略させる必要はないはずだけど……」
「ちょっと待って。リアに確認してみる」
そう言ってアスカが懐から取り出したのは、やはりスマホに似た何かであった。
それを流暢に操作するのだが、どうやら相手は出ない様子。
「携帯されない携帯電話に、何の意味があるのだろうか?」
アスカはそんなことを言いながら、スマホをしまう。
「とりあえず詳しい話を聞きたいから、応接間に行きましょ」
豪奢な……そう、人間の目から見ても豪奢な応接間で、勇者一行は話をしていた。
「なるほど、それで4大迷宮を踏破しろと……」
アスカとレイは顔を見合わせ、そして同時に溜め息をついた。
「あのね、あんたたち、4大迷宮踏破する必要ないから」
「へ?」
思わずそんな声を漏らしてしまったのは、誰だったろう。
「どれか一つの迷宮を踏破したら、他の神竜に連絡してもらって、そのまま地球に帰ればいいから」
「そうだな。それがいい」
二人は頷いているが、どういうことだろう。
「そもそも神竜は、君たちにすぐにでも帰ってもらいたいはずなんだ。世界と世界の接触の危険性を考えればね」
それがわざわざ宝珠を集めて5柱の神竜に会えという。
「ラナやテルーがすぐ動かないというのは分かるのよね。あの方たちは時間のスパンが長いから、一年や二年は気付いていない可能性が高い」
「それに比べるとオーマ、リア、イリーナの3柱はまだ若いから、気付いているはずだ。なのにイリーナは他人任せ、他の2柱は迎えに来ない」
「これは神竜の怠慢ね」
うんうんと頷いている二人。それがこの世界での感覚の常識なのだろう。
「とりあえず火耐性の宝珠はあたしが作る。悪いけどその間の政務は……」
「私が引き受ける。どれぐらいかかる?」
「レベル7だから……。一日一つが精一杯ね。15日間、無駄になるけど……」
「まあその間はゆっくり都の観光でもしていればいいさ。誰か適当な者をつけよう」
レイはそう言って、女官に人を呼ばせる。
しばらくしてやってきたのは猫獣人の女の子だった。
「シャーリー、まかりこしました」
白いふわふわした毛並みの猫獣人だ。触ってみたい。
「シャーリー、話ぐらいは聞いているだろう。アセロアの馬鹿者が呼び出した勇者諸君だ」
「はあはあ、これはこれは」
胸に手を当てて、ぺこりとお辞儀をするシャーリーである。
「しばらく逗留することになるから、その間の世話を頼みたい。部下を使っても構わない」
「了解しました」
「とりあえず今日は、もう休んでもらったほうがいいだろう。迎賓館を使ってくれ」
「はい」
そして一行はシャーリーの案内で迎賓館へ通されるのだが…遠い。
「随分大きな建物ですね」
美幸が話題を振ると、シャーリーは頷いた。
「大陸を事実上統べる魔族領の中心ですからね。色々な機能が集まっています」
宮殿としての機能だけでなく、役所や裁判所、元老院議事堂まであるという。
「そういえば魔族領はどういう政体を取っているんですか?」
結城が気になって問うと、基本は魔王とその下の大臣、官僚が物事を進め、年に何日かの元老院が開催されるという。
もっとも魔族領は自治区が多いため、その折衝が大きな役割を占めているのだとか。
魔王の交代はあるのかと問えば、一応リコールの制度があるが、一度も使われたことがないという。
「魔王が代わっても、誰もやりたがらないですからね。圧政を強いたりしたら、大魔王様からお叱りを受けますし」
魔王といえば魔族の頂点にも思えるが、竜骨大陸に大魔王がいると考えると、中間管理職に近いのかもしれない。
そう考えると書類に埋もれていた魔王様が少し可愛く思えてきた。
案内された迎賓館は、むしろ魔王の応接間よりも豪華な印象を受けた。
他領や他国からの施設を宿泊させるため、やはりある程度の豪華さは必要とのこと。
明朝お迎えに上がりますと言って、シャーリーは去っていく。
さて光次郎は今後のことを話すために美幸の部屋を訪れようとしたのだが。
影に入れない。
魔法による結界だろう。アセロアとは魔法文明においても差があるようだ。
仕方なく光次郎は普通に部屋を出て、美幸の部屋のドアをノックした。
ドアは自然と開く。美幸が影を使って開けたのだ。ちょっと横着が過ぎる。
「さて、なんだかまた展開が変わってきたな」
どっかりとソファーに座り、光次郎は呟く。
「まあ良いほうに変わってるみたいだね。火炎迷宮を踏破したら、それで終わりみたいだし」
ありがたいはずなのだが、どこか拍子抜けもしている。
「明日からどうするよ?」
「皆はどうするか分からないけど、あたしは魔法を学びたい」
「まあ、せっかくだしな」
魔王の都と言うからには、魔法の研究も盛んだろう。
魔王は宝珠を15日かけて作ると言っていたからそれほどの時間はないが、全く体系の違う魔法を学ぶのは後々のためになるはずだ。
「そうだな……俺もそうするかな」
光次郎はそれだけを言うと、他には何も用事はないとばかりに、美幸の部屋を出ようとする。
「先が見えちゃうと、面倒だったことも楽しく思えてきちゃうね」
「そうかな? ……そうだな」
自分の部屋に帰って、光次郎は考える。
元の世界、地球での自分の役割。敵対する組織と戦い、あるいは妖とも呼ばれる存在を影から抹殺する。
そこに自分の選択はない。ただ命じられたまま、任務を遂行するだけだ。
……ニホン帝国の取材攻勢は、だから少し楽しかった。
それでもこの世界に残るという選択肢はない。
勇者召喚で世界間の距離が縮まってしまうという話だったが、このまま地球の人間が残っていても、影響はあるだろう。
地球とネアースが衝突することになどなれば、地球の裏の世界で活動している魔法使いがどう出るか。
噂にしか知らないが、惑星を丸ごと消滅させる魔法は、地球にもあると言う。
「寝るか」
考えても仕方がない。まずは帰ることだ。
光次郎はそうして、目蓋を閉じた。
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