第11話 堕ちた神

 かすかに発光する階段を、二人は降りていく。

「長い階段だな」

「あんまり地表に近いと、戦った時被害が出るかもしれないからね」

 コツコツと足音が響く。沈黙が気まずいというわけではないが、光次郎はこの際気になったことを訊いておくことにした。

「なあ、5柱の神竜の力を借りれば地球に戻れるって言ってたけどさ、水竜と風竜に比べると、他の神竜は弱いのか?」

「そんなことないけど、どうしてそう思ったの?」

「最初に言ってただろ、風竜と水竜は地球に戻る方法を知ってるけど、他の3柱は知らないかもって」

「それは、単にその3柱が他の神竜より若いからだよ」

「そうなのか?」

「最初にこの星が生まれたのとほぼ同時に誕生したのが黄金竜クラリスと暗黒竜バルス。次に火竜オーマ。それから風竜テルーと水竜ラナなんだけど、後ろの3柱はほとんど変わらない」

「それじゃあクラリスとバルスが古参じゃないのか?」

「え~とね、4200年前に、この世界は滅亡しそうになったんだ」



 いきなり衝撃的なことを仰る。

「その時に先代のオーマが自分の身と引き換えにこの世界を救ったから、今のオーマちゃんは2代目なの」

 神竜にちゃん付けというのもなんだが、イリーナはたいがいちゃん付けだ。

「暗黒竜と黄金竜もそうなのか?」

「うん、1200年前に色々あって……クラリスとバルスちゃんも滅びたから、今の暗黒竜と黄金竜は2代目なの」

 そういえば歴史の講義でも色々教えてもらったが、ほとんど忘れている。ちゃんと聞いておけば良かったか。

 聞き流したが、クラリスにはちゃん付けしないようだ。何か理由があるのだろうか。

「その1200年前のことって、詳しく教えてくれないか?」

「う~ん、正直あの頃何が起こってたのかよく分からないから、他の人とか魔族とかに聞いた方がいいよ。魔族ならあの時のこと知ってる人、まだまだいそうだし」

「魔族って長生きなのか……」

「種族によるね。吸血鬼とかダークエルフとか三眼族は長生きだけど、ゴブリンとかコボルトは短命だし」

「人間はどうなんだ? なんだか魔法で長生きしてそうな気もするけど」

「普通に生きたら60から70年だね。魔法で寿命を延ばしても300歳が限界。だけど不老不死の人もいるよ」



 寿命は光次郎にとって切実な問題である。

 九鬼の一門の男子は、おおよそ50歳を前にして寿命を迎える。はるかな先祖が強力な力を与えてくれる修羅の呪いと引き換えに、寿命を短くされたと伝わっている。

 しかもこの呪い、男子にだけ受け継がれるのだ。よって九鬼一門の男子は押しなべて早婚である。

「不老不死って……俺もなれるのかな」

「それは無理だった。呪いを解除してあげようとしたけど、それがなくなったらすごく弱くなりそうだったし」

「! 解除出来るのか!?」

「してもいいけど、すごく弱くなるよ。多分ユキちゃんよりちょっと強いぐらいにまで」

 一瞬考えたが、答えは決まっている。

 力を失うわけにはいかない。特に、今のような状況では。

「それじゃあ駄目だな……」

「その力、使えば使うほど寿命が短くなるみたいだから、出来るだけ使わないほうがいいよ」

「ああ、それは知ってる」

 この世界に来てから、既に一回使っている。あの魔王との戦い、こんなことになるなら使うのではなかった。

「元の世界に帰る時に、ラナかテルーにお願いしてみたら? そのレベルの呪いなら、少し寿命を延ばすことは出来るんじゃないかな」

 それは悪魔の囁きにも似ていたが、あくまでも無邪気なものだった。



 階段は長い。

 イリーナは旅行の経験が豊富なので、この世界のことを色々と教えてもらった。

 通貨の単位でさえ、この時初めて知った。もっとも大陸ごと、国ごとに違いはあるらしいが、基本的に魔石を狩って換金すればいいとのこと。

 時間の数え方も知ったが、これは完全に地球と同じで、逆にそれが驚きだった。一年の長さまで同じだった。

 加えてこの世界が妙に地球に似ている理由まで聞いてみたが、さすがにそれはイリーナも知らなかった。

「でもたぶん、お姉ちゃんとかに聞いたら分かると思う。神竜に聞くのが一番簡単だと思うけど」

 ステータスについても聞いてみたが、逆にステータスの見えない地球の不便さに驚いていた。







 そして長い階段が終わった。

「なんだこりゃ……」

 光次郎がそう呟くしかないものが、目の前にあった。

 門である。ただ、その大きさが非常識であった。

 天空にそびえる…とまで行ってはさすがに言いすぎだが、アセロアの王城の尖塔を超えるぐらいはある。目算で100メートルぐらいだろうか。

 そしてその門には、これまた巨大な鎖で封印がしてあった。なるほど、確かに封印された神がいてもおかしくはない。

「やー」

 間の抜けた気合の声と共にイリーナは跳躍した。

 人間の限界をはるかに超えた跳躍だ。そのまま門を封印した鎖を切断する。

 着地も見事に決めたイリーナだったが、切断された鎖がその頭の上に直撃する。

「ふぎゃ!」

「お、おい」

 駆け寄った光次郎だが、イリーナは何事もなかったかのように鎖の下から立ち上がった。

 あの質量で叩き潰されれば、普通は死ぬ。しかしイリーナの鎧にはへこみもなく、本人もちょっと苦笑いするだけだ。

「じゃあ行こうか」

 イリーナの手が扉に触れる。

 動くはずもなさそうな大質量の扉を、イリーナは一人で開けた。



 中は闇に満たされていた。

 光次郎の目は闇の中でも見える。それが捉えたのは、東京ドーム何個分という換算さえしづらいほどの、広大な空間だった。

 そしてその闇の中に、そいつはいた。

 二人が入った瞬間から、洞窟は次第に光を放って、それの全貌を明らかにする。

 小山ほどのそれがなんであるのか、最初光次郎は分からなかった。

 だが良く見てみれば、普段目にするものだ。ただ、その大きさが非常識というだけで。

 それは巨人だった。

 特大の十字架に、特大の鎖でつながれたそれ。



「これが神かよ……」

 その言葉に反応したように、巨人は目を開いた。

「我が眠りを妨げるのは誰か」

 言葉が洞窟に響き渡り、光次郎は圧力さえ感じた。だがイリーナは悠然と立ち、背中の大剣を構える。

「堕ちた神よ。選ぶがいい。永遠に眠り続けるか、それともここで滅ぶか」

 イリーナの言葉も普段とは比べ物にならない力に溢れている。少女の姿をした彼女が、ずっと年月を重ねた大人に見える。

 巨人は彼女の姿を目にし、咆哮をあげた。

「我が封印を解け、小さき者よ。再び地上に顕現し、竜と人間への復讐を果たしてくれる」

 それは支配の言葉だ。強制力を秘めたその言葉に、光次郎は揺れたが、イリーナは微動だにしない。

 そもそも光次郎の力では、この封印など解けないだろう。

「ならば、滅びるがいい」

 イリーナは扉の鎖を切断したのと同じように、跳躍して神を縛る鎖を切断した。



「おお、自由だ……」

 動きを取り戻した巨人が立ち上がる。やはり小さな山ほどはある。それに対してイリーナは剣を構える。

「武装解放」

 イリーナの大剣が黄金の輝きを放つ。ただでさえ巨大なそれが、およそ人の扱える大きさではない、10メートル以上に伸びる。そして鎧もまた、黄金の輝きを放つ。

「封印解除」

 その言葉と共に、イリーナの魔力が解放された。

 光次郎は思わず後ずさった。魔王ですら比ではない。人間はおろか、生物の限界でさえ超えているような圧倒的な魔力。

「貴様……竜か!」

 巨人の言葉に怒りと……怯えの感情が混じる。

 イリーナはもはや応えず、剣を振りかぶり巨人へと襲い掛かった。



 それは壮絶な戦いだった。

 イリーナの大剣――もはや大剣とさえ言えない巨大な刃が、巨人を切り裂いていく。

 巨人は無詠唱の上級魔法を当然のように使ってくるが、イリーナの鎧の表面で全て跳ね返される。

 その巨体で殴りかかってもきたが、逆にイリーナの大剣で腕を切断される。

「おのれ」

 巨人の巨体が洞窟を揺るがす。光次郎は足を取られないように浮遊するが、イリーナは地上に陣取ったままだ。

 揺れる大地をものともせずに、イリーナは攻撃を続けた。

「おのれ!」

 巨人の魔法が乱舞して、洞窟中を破壊する。光次郎は落ちてくる岩に潰されないよう、必死でそれを避けるのみ。

 イリーナの攻撃は的確に巨人にダメージを与えていく。巨人は全身から血を流し、その血からは何か…魔物に似た何かが生まれる。

 だが生まれた魔物は、一瞬の間もなくイリーナの発する魔力で叩き潰されていく。



 実際の戦闘時間は、それほどでもなかったろう。だが光次郎には長く感じた。

 イリーナの大剣が巨人の胸を裂き、そこから彼女は何かを取り出した。

 それは巨人の生命を司る中枢であったのだろう。巨人はその動きを止め、そして塩となって崩壊した。

 イリーナは大きく飛びのき、光次郎の隣まで戻ってきた。

「思ったより弱かった」

 不満そうな顔でのたまうイリーナは、もはや膨大な魔力を発してはいない。武装も元の姿に戻っている。

「それはなんなんだ?」

 イリーナの手には、両手で抱えるほどの球状の物がある。巨人から取り出したものだ。ほのかに白い輝きを放っている。

「神核だよ。肉体を滅ぼしてもこれが残っていれば、100年ぐらいで神は復活する」

「それを、どうするんだ?」

「吸収する」

 神核はその輝きを減じて、イリーナの中に取り込まれた。輝きをなくした神核は、巨人の肉体と同じように塩となった。



「あ~、やっとレベルが上がった」

 疲れたようにイリーナは言ったが、あまり疲れたようには見えない。

 実際、戦闘では一度も攻撃を受けていなかった。ただ魔力はそこそこ使ったのだろう。

「イリーナは……神が言ってたけど、竜なのか?」

 人間の姿にしか見えないが、神とも呼ばれる巨人がそう言っていたのだ。

「それも違う」

 じゃあ何者なのか。人間でも魔族でも神でも竜でもない。

「とりあえず、帰ろうか」

「あ、ああ……」

 イリーナは自分の正体だけは頑なに隠している。ひょっとした嘘をついている可能性だってないわけではない。

 力ずくで聞き出すのは無理だし、正体が分からなくても、自分たちに不利益があるわけではない。



「それにしても……この迷宮は今後どうなるんだ?」

 ちょっと気になったのはそれだ。

 迷宮の主がいなくなった以上、迷宮ではなくなるのではないか。すると魔物も生まれないようになって、魔石を確保することが難しくなる。

「大丈夫だよ。竜が自分の巣にするから。やっぱり竜もマイホームはほしいみたいだし」

 迷宮がマイホームなのか。その感覚はどうなんだ?

「それは、アセロアを襲った竜のことか?」

「多分ね。せっかく綺麗に残った迷宮だし、使わないともったいないから」

「竜ってのは、かなり大きな生き物なんだろう? どうやってここまで来るんだ?」

 それは多少ならず疑問となっていたことだ。

 巨人が封印されていたのはまだ分かる。だが改めて竜がここまで来るなら、迷宮を破壊しなければいけないだろう。

「古竜は人間に変身出来るからね。ここまで普通に来れるよ」

「やっぱりお前、竜じゃないのか?」

「違うよ」

 イリーナはぱたぱたと手を振る。嘘を言っているようには見えないのだが…。







 二人は迷宮の外へ転移した。そこでは仲間たちが二人を待っていた。

「なんだかぐらぐら揺れてたんだけど」

「ああ、イリーナが無茶したからな」

 美幸の確認に光次郎は疲れた声で応えた。

「やっぱり迷宮の主は強かったの?」

「いや、イリーナが強すぎた。ハンパじゃねえ。ちょっと自信なくした」

 光次郎をしてそこまで言わせるとは。美幸はイリーナに目を向ける。

「人間でも魔族でも神でもないとなると……竜なの?」

「ジロちゃんにも同じこと聞かれたけど、違うよ」

 美幸はまだ納得がいかないのだが、どのみちイリーナとはここでお別れだ。

 ギルドの受付で清算を済ませる。既に夕暮れも近い時間帯だが、イリーナはもう旅立つそうだ。

 一行は一度太守の館に戻って、あれからどうなったかを確認する予定だった。



「これをあげるね」

 イリーナが光次郎に渡したのは掌に収まるぐらいの、淡く金色に輝く宝珠だった。

「これはドラゴンオーブと言って、5つ集めると神竜が現れてどんな願いでも叶えてくれるの」

「7つじゃなくて5つでいいのか?」

 川島が確認する。オーブの中には星印が入っているわけでもない。

「そう。それで残りの4つは、それぞれの神竜が持ってるの」

 イリーナがやはりどこからともなく取り出したのは世界地図だ。

「火炎迷宮、暗黒迷宮、水の神殿、嵐の山脈の4つが、神竜の住処だから、頑張ってね」

 イリーナは自分を基準にして考えているから分からないが、それは人間には不可能に近い。

 幸いにもその難易度を知る者はいなかったのだが。

「そこを攻略して、神竜と戦うのか? 正直勝てる気がしないんだが……」

「大丈夫、神竜は迷宮を踏破したら、ご褒美に何か一つ願いを叶えてくれるから」

「それってやっぱりドラゴ○ボールじゃ……」

 川島に最後まで言わせずに、結城が口をはさむ。

「何か一つ、の内に僕たちを元の世界に戻すことは含まれないんですね?」

「うん、不完全な形ならともかく、ちゃんと元の世界に戻すには、5柱そろわないと無理だから」

「どうしてそれが分かるんですか?」

「どうしてって言われても困るけど、分かるものは分かるんだよ」

 このあたりイリーナは感覚的で、理詰めでものを考える結城には理解しがたい。



「つーか、神竜は5柱いるのに迷宮は4つなんだな」

 ふと土屋が漏らした言葉に、イリーナは難しい顔をする。

「黄金回廊っていう迷宮があったんだけど、1200年前になくなっちゃったんだよ。それから黄金竜は世界中を旅して、新しく自分の迷宮を作る準備をしてるんだ」

「待て。その黄金竜のオーブをどうしてお前が持っている」

 光次郎の当たり前の突っ込みに、イリーナは少し強張った笑みを浮かべた。

「ここまできたら言ってもいいか。クラリスは先代の黄金竜の名前で、今の黄金竜の名前じゃないんだよね」

 勇者全員の視線を受けて、イリーナはついに白状した。

「2代目、現在の黄金竜の名前はイリーナ、つまり私のことなんだよ」

 竜ですらなく神竜であった。

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