第10話 門番

 その日、イリーナは夢を見た。

 否、夢とは眠りながら見るものだから、眠りについていない、ただ寝転がっているだけのイリーナが見たのは、夜でも夢とは言えないものだったのかもしれない。

 とにかくイリーナは夢のようなものを見て、そして唐突に悟った。悟ってしまったのだ。

「なるほど~」

 起き上がり、腕を組む。

「う~ん、そうだったのか」

 悟ったのはいいものの、それをどう伝えるかが問題だ。

 正直にそのままを伝えるのが一番なのだろうが、それはイリーナの隠し事も伝えなければいけない。それはいけない。

 むむむ、と唸ったものの、なかなか答えは出てこない。そもそも答えを自分で生み出さないといけない問題だからだ。

 唸ったままこてんと転がり、そしていささか強引な手段を思いつく。

「これでいっか。うん、そうしよう。皆にも連絡して……」

 それでは準備をしなければいけない。もっともその準備はたやすい。あとはどのタイミングで渡すかだ。

 別れる時に渡すのが一番いいだろう。本当ならイリーナ自身が一緒に行くのが一番安全なのだろうが、自分がそこまで人間に干渉するのも違う気がする。

「じゃあ作るとするかな」

 魔力をこねて物質化させ、磨く。その間わずか1分。

 かすかに金色の光を発する、世にも貴重な宝珠が誕生していた。







「次の挑戦で、この迷宮は攻略しようか」

 朝食時、さりげなくイリーナは宣言し、何人かがむせた。

「それは難しいでしょう。この迷宮は今まで攻略されたことがない、未踏破の迷宮ですよ?」

 ケインが常識的意見を口にしたが、それを遮るように美幸が問いかける。

「何かあったの?」

「うんとね、皆が地球に帰る手段が分かったの」



 それは勇者一行だけでなく、ケインたちアセロア王国の人間にとっても衝撃的な話だった。

「今まで勇者召喚は4回行われている。3200年前、2200年前、1200年前、そして今回。今回を除いては、勇者は全て一人。そして誰もが元の世界には戻っていない」

 一同は1200年以上前の歴史に関しては、記述がされている書物がほとんどなかったため知らなかった。しかしそれほど珍しいものだとは。

「でも、帰れる方法があると?」

 光次郎の問いに、イリーナは得意そうに頷く。

「5大神竜全部の力を借りたら、元の世界に戻れると計算できた」

 イリーナの言葉に、その場にいる全員がひどく複雑な表情をした。

「神殺しの竜、全ての力を借りると? そんなこと出来るのか?」

 光次郎が問う。

「それに関しては大丈夫」

「大丈夫って、どうして?」

「あのね、竜っていうのは基本的に、この世界を守護するために、他の世界から移動してくる者を拒んでるの。例外はあるけど、今回の場合は例外に当たらないから、ちゃんと話したら協力してくれるよ」

「しかし神竜は……中央大陸の最難関迷宮に住んでいると伝説にはあります。それも伝説の話で、実際に見たものはいません」

 オルランが披露した知識に、イリーナはちっちっちと指を振った。

「本当にいるよ。実際、私は会ったことがあるんだから」



 正体不明のイリーナの謎が、さらに深まった。

 これに対してケインやオルランは反発せざるをえない。

「そんな、伝説にしか存在しないもの……」

 オルランの顔色は青い。竜とは神話の時代に存在したものだ。神との戦いの末に、絶滅したのではと言われている。

 それを勘案することなく、イリーナは止めの言葉を発した。

「それにしてもアセロアは馬鹿だよね。条件を満たさずに勇者召喚なんてしたら、竜に滅ぼされるのに」

 聞き逃せない台詞に、ケインが立ち上がる。

「アセロアを滅ぼすとは、どういうことだ!」

「そのままだよ。勇者召喚の儀式を不用意に行うと、竜がその国を滅ぼす。1200年ぐらい前にも同じことをして滅亡直前にまでなった国があったんだけど、知らないかな?」

 1200年前となると、白銀暦、つまりこの大陸の歴史が始まる頃だ。

「その時はものすごく強い人が3人いたから逆に竜を倒したんだけど、普通は無理だから。今の魔王を撃退出来ないなら、竜の撃退も無理だよ」



 イリーナの声音は特に感情を感じさせるものではない。それだけに言葉の意味が浸透すると、絶望が心を満たす。

 丁度その時、勢い良く食堂の扉を開いて太守が現れた。手には何やら書状を持ち、余裕のない顔でオルランに駆け寄る。

 その表情に尋常でないものを感じたのか、オルランも立ち上がる。ケインと共にその内容を読み取ると、顔色が青を通り越して白くなった。

 がっくりと椅子に座り込むオルラン。ケインもテーブルに両手を乗せて、頭を振っている。

「あの……何があったんですか?」

 意を決して結城が問うと、呆然とした口調でケインが呟いた。

「王都が竜に襲われて壊滅。死者は10万人以上になるそうだ…」







 それからケインとオルラン、また4人の騎士も、王都に戻ることとなった。

 勇者一行は放置された。王城だけが破壊された魔王の襲来と違って、今回は王都全体が壊滅したのだ。王族の安否の確認など、しなければいけないことはたくさんある。

「それじゃあ行こうか」

 イリーナは普段どおりに大剣を背負い、勇者一行に呼びかけた。

「行くって、どこへ?」

 事態の推移についていけない者からそんな声が上がったが、イリーナは当然のように言った。

「迷宮だよ。攻略しなくていいの?」

「だって王国が壊滅したって……」

「つまり」

 光次郎は分かっている。美幸も分かっている。

「俺たちのバックアップをしてくれる存在がなくなったってことだろ」



 王都に戻って復興を手伝おうかという意見も出たが、少数派だった。

 この状況では頼りになるのは、王国より知識を持っていると思われるイリーナである。彼女は王都に戻る気は全くないし、神竜に対する情報も、詳しいことは話していない。

 護衛をしてくれる人間は減ったが、戦闘経験は積んである。光次郎と美幸、そしてイリーナがいれば、それほど危険はないだろう。

「じゃあ、行くか。川島、食料頼むな」

「了解」

 食料を補充して一行は迷宮へ入る。イリーナが魔法を使って、一行は地下10階へ転移した。







 地下10階には地図によると階層の守護者というボスがいるらしい。ケインが忘れていった地図に注意書きがあった。

「ミスリルゴーレムか……」

「ミスリルって高く売れそうだよな」

「いや、道中のお宝は全部イリーナに渡す約束だろ」

「あー」

 こほん、と咳払いして美幸がイリーナとの交渉に入る。

「ごめん、こっちも路銀が必要になったから、条件見直してくれない?」

「いいよ。半分ずつでいいよね」

 さすがに頭割りは都合が良すぎるだろう。イリーナは鷹揚に頷いた。



 護衛が減った分、皆が慎重になる。それでも高レベルの3人が牽制をして、他の皆に止めをさせる。

 そうやって30分も歩いたところ、広大な空間に出た。

 形状はほぼ円形。向こうには先に進む階段が見えている。そして部屋の中央には、全身を銀色に光らせた巨大なゴーレムがいる。

「まずいよ。あいつ、下級魔法無効だって」

 池上の能力鑑定によると、レベルも80はあるらしい。

 それでもこのメンバーにすれば余裕だが。

「俺とユキで両足を潰す。その後は土屋と滝川で下半身から攻撃して、イリーナは他の皆の護衛を頼む」

「了解だよ」

 イリーナの気楽な返事と共に、戦闘は開始された。



 結果的には圧勝だった。

 光次郎が右足を『切断』で潰すと、美幸も強度を上げた刀で左足を断つ。

 あとは土屋の『破壊』と滝川の『貫通』でミスリルゴーレムは素材と化した。

「ミスリルなのは表面だけか……」

 光次郎は残念そうに呟くが、それでも厚さ数センチはある。この巨体からミスリルを剥げば、それなりの量になるだろう。

 胴体の真ん中で綺麗に切断して、イリーナと等分する。

「それじゃあ、さくさく進もうか」

 板金鎧をまといながらも軽い足取りで、イリーナは階段へと向かった。







「悪い、なんだか調子がおかしい」

「あたしも……」

 ミスリルゴーレムと戦った土屋と滝川が不調を口にした。

「ああレベルアップ酔いだね。少し休もうか」

 地下11階の階段の下で、二人は鎧を脱いで横になった。

 イリーナの説明によると、MP酔い、レベルアップ酔い、ポーション酔いの三つには気をつけなければいけないらしい。

 MP酔いは経験があるが、レベルアップ酔いというのは初めてだ。

 回復系のポーションも連続して服用すると、気分が悪くなるのだという。

 この場合はレベル40前後の二人がレベル80の敵を倒したため一気にレベルが上がったのが原因だろう。



 数時間の足止めを食らったが、特にイリーナは文句を言わなかった。

 その後探索は再開され、多くの魔物を狩っていく。

 度々レベルアップ酔いの症状を出す仲間が増え、そのたびに攻略は止まる。

 少しずつ魔物が強くなるので、それは丁度いい休憩となった。



 道中では何度も睡眠を摂った。

 地図があるので迷うことはないが、単純に敵が強い。

 それだけ経験値も多いということで、最深部にいたる頃には、皆のレベルが50前後となっていた。技能レベルも3から5あたりまで伸びている。

 この数日で、武竜八天や天魔十六杖にほぼ匹敵する強さになったということである。

「あ、あたしもレベルが上がった」

 98だった美幸のレベルが、99へと上がった。

 それに対して、イリーナのレベルは50で止まったままである。

「イリーナって本当は何レベルなわけ? ひょっとして100ぐらいある?」

 池上が問うても、イリーナは笑って誤魔化すだけである。







 休息、食事、睡眠、ついでに風呂と、およそ一週間の時間が過ぎた。

 そしてついに一行は、最深部とされる地下20階の扉の前へと至った。

 鋼鉄の巨大な門を、イリーナが軽々と開けていく。

 そこには今までの迷宮と異なる、煌々としたまばゆい光で満たされた空間があった。

 その中央に立つのは、まるで彫像のような表情のない美女。

 背中には羽を生やし、急所を金属の鎧で堅め、右手には槍、左手には盾を装備している。

「レベル……120……種族は戦乙女」

 池上の鑑定結果に、一同は唖然とする。ここまでの雑魚敵とは、文字通りレベルが違う。

 これが迷宮の主だとしたら、踏破直前で攻略が止まっているのも無理はない。



「まあ、魔王に比べれば楽な相手だな」

「そうだね。あたしたち二人で倒せると思う」

 気楽に光次郎と美幸は言うが、イリーナは腕を組んで考えている。

「120……120か……」

「イリーナには部屋に入らずに、皆を守ってほしいんだけど」

 美幸は提案するが、イリーナは難しい顔をしている。

「いや、120なら私にも経験値が入るかもしれないから、出来れば戦いたいんだよね」

 それはつまり、今までの敵では経験値の足しにもならなかったということで。

 そしてこの敵でも、まだイリーナには余裕があるということだ。



「あのさ、イリーナってひょっとして、神様なの?」

 ずっと皆が疑問に思っていたことだ。口に出したのは米原である。

 恋バナ以上に、それは知りたいと思っていたことだ。

「違うよ」

「でも人間でも魔族でもないんでしょ?」

 さらに米原は追求するが、イリーナは首を振る。

「それ以上は秘密だよ。別れる時には教えてあげてもいいけど」

 考え込んでいたイリーナは、まあいいかと組んでいた腕を解いた。

「やっぱり私はここで見てるから、二人に任せるよ。危険だと思ったら介入するね」

「うっし。じゃあユキ頼む」

「頼まれた」



 補助魔法が光次郎を包む。それが完了して、光次郎は部屋に足を踏み入れた。

 それまで微動だにしなかった戦乙女が、光次郎を認識する。

 わずかな瞬間の間に、光次郎は間合いを詰めていた。刀を振りかぶり、そして振り下ろす。

 戦乙女の盾を、村正が切断する。戦乙女の表情は変わらない。

「こりゃ、相性のいい相手だな」

 そう言葉にした瞬間、切断された盾が復元された。

 隣には美幸が位置する。いつものポジションだ。

「あんまり油断しないでよ。魔王に比べれば楽でも、格上の相手には違いないんだから」

「そうだな。うん、油断だった」



 それでも結局は、魔王に比べれば格段に楽な相手だということは確かだった。

 光次郎が切断の祝福で戦乙女を切り裂き、美幸が後方から援護の魔法を飛ばす。

 戦乙女は与えられた傷を癒しながら戦っているが、ダメージ自体は与えている。

『影よ』

 美幸の増幅された影の束縛に耐え切れず、戦乙女はその場に倒れこむ。

 そしてその首を、光次郎の刀が切断した。







 光となって戦乙女が拡散し、光次郎と美幸はその場に座り込んだ。

 傷一つ負っていないが、かなり魔力を消耗させられる相手だった。

「レベル上がったな~」

「そうだね~。う、気持ち悪い」

 光次郎はともかく、美幸はレベルアップ酔いに陥ったようだ。

 これまでは厳しい訓練や、レベルなどない地球で戦いをしていただけに、初めてのレベルアップ酔いであった。

「気持ち悪い。……もう二度と経験したくない」



 戦闘の余波でぼろぼろになった部屋に、他のメンバーが入ってくる。

「お宝とかないんだね」

 川島が呟く。財宝を持って帰る気満々だっただけに、失望しているのだろう。

「そりゃ、ここはまだ最深部じゃないからね。それに全部の迷宮に、財宝が眠っているわけじゃないよ」

 イリーナが言うのとほぼ同時に、入り口とは反対の壁が音を立てて開いていく。

 全力を出し切った二人だけでなく、他の皆もそれを呆気に取られて見ていた。

「じゃあ迷宮の主を倒してくるから、皆はここで待ってる? 外に出るなら先に送るけど」

「ちょっと待った。一人で戦うつもりか?」

 美幸はレベルアップ酔いで戦力にならないが、光次郎はまだ戦える。

「う~ん、ジロちゃんだけなら大丈夫かな? 自分の身は自分で守ってもらわないといけないけど」

 つまりこの先には、イリーナでも苦戦するほどの敵が待っているということだ。



「俺はイリーナに付き合ってくる。皆は美幸と一緒に先に外に出ていてくれ」

「そりゃねえだろ。ここまで来たなら、最後まで付き合うぞ」

 今泉が強気に言うが、イリーナは首を振る。

「この先に眠ってるのは、戦乙女なんて簡単な相手じゃないよ。あれはただの門番だから」

 光次郎と美幸だけしか太刀打ち出来なかった相手を、簡単と言ってしまう。

 それこそこの先の敵が、常識外れの相手だということだ。

「もともと私の武者修行の相手にする予定だったから、皆には関係ないしね」

 そういえば、そんなことも言っていた。

「この先に眠っているのは、いったいなんなんだ?」

 光次郎の問いに、イリーナはあっさりと答えた。

「封印された神だよ。弱体化してるから、レベルは250ぐらいなんじゃないかな」

 それは予想を超えた答えだった。



「お前、本気でそれを一人で倒すつもりなのか?」

「大丈夫。経験はあるから」

 それは戦った経験か? それともやはり倒した経験か?

「ちょっと後学のために俺は付いて行きたい。他の皆はやっぱり帰還してくれ。イリーナ、どれぐらいの時間がかかる?」

「相手次第だけど、そんなにはかからないと思うよ。30分ぐらいかな」

「じゃあ他の皆はギルドで待っていてもらえばいいか」

「そうだね。大丈夫だとは思うけど、念のため迷宮からは出ておいたほうがいいね」

 いささか疑念を覚えることを言いながらも、了解を取ったイリーナは皆を迷宮の外へ転移させた。

「さあ、それじゃあ行こうか」

 元気一杯のイリーナに従い、多少ならず緊張して、光次郎は部屋を出た。



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