第9話 迷宮

 何事もなく二日が過ぎた。

 この何事もなくというのは主観的なことで、実際には夜の間に、こっそりとイリーナが狩りに出かけている。

 数時間もしない間に人より大きな熊を仕留めて帰ってきたので、見張りの兵はたいそう驚いたらしい。

 熊一頭を村で食料と引き換えにして、ほくほくとするイリーナであった。

「これで迷宮都市まではご飯の心配はいらないね」

 イリーナの武器は背中に背負った大剣である。それで熊の頭をかち割ったのだ。

 野生の熊である。いくらレベルが高くても、地球育ちの一行は光次郎と美幸の二人以外は逃げ出しそうなものである。

「魔物化もしてなかったし、皆のレベルならこれぐらい余裕だって」

 イリーナは平然と言うが、平和な日本に暮らしていた一行は、心理的にこんな大きな野生動物と戦うのは無理がある。

 やはり徐々に慣らしていかないといけないな、と考える光次郎と美幸であった。



 そして到着したのが迷宮都市オスロである。

 勇者一行は都市の北に位置する太守の館に宿を取る。イリーナも一緒だ。

 王からも連絡してあるので太守は一行を歓待し、久しぶりに豪華な食事と風呂、そして寝床が提供された。

 安眠した一行は、いよいよ装備を整えて迷宮に向かうわけだが、革鎧や鎖帷子、一部を金属で補強した革鎧という重装備の中、美幸と光次郎は制服である。

 武装としては腰に帯を巻き、それに刀を差してあるだけである。

「下手な防具よりはこっちの方が頑丈なんだよ。それに魔法で防御するから、鎧はいらない」

 釈然としない一行を連れて、二人は都市の西門を目指す。そこの二重になった門のすぐ前に、迷宮への門があるのだ。

「その前に登録をしないとな」

 ケインに連れられて一行が訪れたのは、大きいな役所のような建物である。

「こ、これはひょっとして冒険者ギルド」

「いや、探索者ギルドだよ」

 興奮する谷口たちに水を差すように、ケインが解説する。



 日常で使われる魔法具には、魔石や魔結晶が必要となる。だがふつうの獣は魔石や魔結晶を持ってはいない。これはイリーナの仕留めた巨大な熊でも同じである。

 逆に言うと、魔石や魔結晶を持つものこそ、魔物や魔獣と呼ばれるのだ。そして迷宮に生息する生物は普通、全て魔石や魔結晶を体内に持っている。

 だいたいどの大陸でも、迷宮に潜って魔物や魔獣を日常的に狩って生活する者を探索者と呼ぶ。冒険者という呼称は、遺跡の発掘や、危険な野生の生物や迷宮外の魔物を狩る者のことである。

 ちなみに旅の護衛をするのは傭兵で、それぞれ違うギルドがあるのだ。



 一行はギルドで登録をし、木製の証明証を作ってもらう。五つ以上の魔石を狩ることで一人前と見なされ、これが銅のプレートになる。

 数年かけて実績を重ねることでこのプレートは銀となり、さらに大物の魔結晶を持つような魔物を狩ることで、金のプレートとなる。

 現在金のプレートを持つ探索者は存在しないとのこと。

「迷宮によっていろいろ違うんだね」

 イリーナの弁である。彼女によると登録が不要な迷宮や、証明証にランクのない迷宮の方が多いらしい。

「ちなみに難易度とかあるんですか?」

 問いかけたのはラノベ好きな今村である。

「難易度レベルというのがあるが、この迷宮の難易度は3だ。それほど敵も強くない」

 ケインは簡単に返答した。すでに最奥の手前までは探索の完了している迷宮である。

 それでも魔物が絶滅しないのは、そもそも迷宮が魔素に満たされているかららしい。その魔素から魔物が生まれ、迷宮を徘徊しているのだ。

 深い階層ほど魔素が濃く、強力な魔物が存在するのだという。

「生態系はどうなってるんだろう……」

 結城がぶつぶつ呟いているが、とにかく一行は迷宮に続く鉄門を開け、冒険へと踏み込んだ。







 迷宮は床も壁も天井も、ほのかに発光していた。

 おかげで照明の準備が要らないのは助かる。どこか幻想的な風景ですらある。広さも充分あり、5人は並んで歩けるだろう。

「まずは一階を回ってみよう。とりあえず迷宮に慣れてもらいたい」

 ケインがそう言って先頭に立とうとする。だがそれを美幸がとどめた。

「そんな鎧でガチャガチャ行ったら、敵にすぐ見つかるでしょ。あたしが斥候役するから、ケインさんと騎士の人たちは集団の先頭をお願い」

 言われてみれば、板金鎧など静音性は全くない。

「イリーナには最後尾をお願いして、ジロは遊撃。池上さんは、敵を見つけたらすぐに能力鑑定をして」

「了解だよ」

 気楽に返答して、イリーナが手を振る。

「じゃあ、行くよ」

 美幸に仕切られながら、一行は探索を開始した。



 それから数十分。

「そういえば雑魚の魔物ってどんなんだろ?」

 沈黙に耐えかねて今村が声を出す。

「ゴブリンとかスライムじゃね?」

 応えたのは谷口だが、答えはケインから返ってきた。

「ゴブリンは魔族だから迷宮に湧くことはないな。スライムは物理的な攻撃がほとんど通用しないから、割と危険な魔物だぞ」

「すると初心者向けの魔物ってなんなんですか?」

「……強さだけを言うなら、ゾンビだな」

 ぐえ、と一行の顔が歪む。

「動きは遅いし力も弱い。ただ匂いがひどいから、初心者でも避ける傾向にあるな。他に弱い敵なら、一角兎がそうだな」

「兎……」「なんか可愛い気がする」「だよね」

「油断するなよ。角に刺されて死ぬ人間が、年に何人かは出る魔物だ。まあ、この装備なら大丈夫だろうが」



 そんなことを言っている間に、いつの間にか美幸が先頭に戻ってきていた。

「この先に、大きなトカゲが一匹」

「オオトカゲだな。たいした魔物じゃない。初心者向けには安全だろう。噛み付きと尻尾の攻撃だけ気をつければいい」

 ケインは断言するが、トカゲというだけで顔をしかめる者もいる。

「あたし、爬虫類苦手なんだよね~」「俺もちょっと……普通の大きさならともかく……」「それにすごく強いオオトカゲかもしれないし」

「君たちは最初に戦ったのが魔王の眷属だから勘違いしているが、レベル30というのは一流に手が届くぐらいの探索者だ」

「あたしが尻尾を斬るから、皆は盾で防御しながら戦えばいいよ」

 そこまで言われてようやく、槍術2レベルの滝川と、遠距離魔法の使える結城が進み出た。



 結果的に、最初の戦いは楽勝だった。

 結城が風の魔法で最初のダメージを与え、滝川が槍の間合いを使って削る。尻尾は最初に美幸が切断しておいた。

 最後の一撃は、滝川の突きだった。

 彼女の祝福は『貫通』。物質であればなんでも貫けるという、光次郎の『切断』に似たものだ。

「けっこう楽勝だね」

 滝川はそう言うが、額には汗がびっしりとかいている。やはり実戦というので緊張感が違うのだろう。

「よっしゃ、じゃあ次は俺がやる」

 今泉が剣と盾を構えて進み出る。



「その前に魔石を回収しないと」

 イリーナがざくざくとオオトカゲを切断し、赤黒い石を取り出した。

「それが魔石か?」

「そうだよ。迷宮を出たところで買取してたでしょ?」

 正直、そこまで見ていなかった一行である。

「皮も売れるしお肉も食べれるし、このまま持っていこうか」

 そう言ったイリーナはの手から、オオトカゲの遺体が消失した。

「な、今何をした?」

 大きく反応したのはオルランである。

「時空魔法で収納しただけだよ」

「時空魔法だと!?」

 それは魔法使いでも滅多にない適性のはずである。

 一見すると邪気のない少女であるが、見た目通りの存在ではないと、改めてオルランは悟った。

「君は……いや、あなたはいったい何者ですか」

「旅行者だよ」

 なおも問いかけようとするオルランだったが、光次郎がそれを止めた。

「今は俺たちに協力してくれることが大切でしょう。個人的な知的好奇心を満足させるのは後です」

 状況を考えた説得に、かろうじてオルランは納得した。



 次に遭遇したのもオオトカゲだった。美幸が尻尾を斬り飛ばし、今泉が剣で攻撃する。

 危ない場面もあったが、ダメージを重ねて今泉はオオトカゲを倒した。

 そしてまた同じように、イリーナが魔石を回収しオオトカゲを収納する。

「こいつら、本当にたいしたことないぞ。俺たちのレベルなら楽勝だ」

「油断するのも駄目だが、君たちにはまず戦闘に慣れて、自信を持ってほしい。魔王の配下には、私よりも強力な敵がいるのだから」

 ケインはそう言うが、既にアセロア王国に見切りをつけている一行の反応は複雑だった。







 丸一日かけて一階を回り、全員が一応の戦闘を経験した。

 レベルの上がった者はいない。技能レベルも何も上がっていない。

 つまるところ、現在のレベルに対して敵が弱すぎるということなのだ。

「明日はもう少し深いところまで潜りましょう」

 ケインの意見にも、誰も反対しない。一度生き物を殺すことを経験して、何かが吹っ切れたのだ。

 館に戻った一行は順番に風呂に入り、夕食となる。

 この日のメインディッシュは、オオトカゲのステーキであった。

 微妙な笑みが浮かんだが、味自体は美味であった。



 次の日の早朝、太守の館の中庭に、一行は集まっていた。

 朝から迷宮に潜るために、訓練はこの時間帯に行う必要があるのだ。

 訓練内容も、実戦をふまえたものになる。前衛組みは光次郎、美幸、ケイン、イリーナや騎士を相手に、武器で対戦する。

 後衛の魔法使いにはオルランが指導をしている。ケイン以外はどちらも教えられるのだが、前衛の方が多いのだ。

 騎士にしてもレベルはともかく、武器の扱いに関しては技量自体で上回っている。

「さて、じゃあ今日は五階を目指しましょうか」

 ケインは売っていた地図を元に提案する。迷宮は広大だが、五階までならどうにか日帰りで帰れるのだ。



 陣形は昨日と変わらないが、前に出る人間が変わる。昨日の経験で、自分たちの力に自信がついたようだ。

 美幸が先行して魔物を探知し、安全を確認する。そして大きな爬虫類の魔物を皆が狩っていく。

 それほどの時間もなく地下二階への階段は見つかった。

「二階の魔物はどうなんですか?」

「おおよそ変わらないみたいだが、レベルは上のようだ。おそらく体の大きな魔物が出てくるな」

「これ以上大きい爬虫類って嫌なんですけど……」

 慣れとは恐ろしいもので、そんなことを言っていた女子も、さらに巨大なオオトカゲに剣で斬りかかる。

「あ、あたし剣術の技能レベルが上がった」

 技能経験値倍化という祝福を持っていた水野が、それで剣術のレベルが上がったらしい。



 レベルというのは魔物を倒したり訓練をしたり、新たな知識、経験を得たことによって上昇する。

 だから普通なら、技能レベルが高ければ、それなりにレベルも高くなっているのだ。異世界からの勇者はそれがない。

 せっかくの筋力や敏捷性も、技能レベルが低いために活かしきれていないということだ。

「ちくしょう! 俺だって頑張るぜ!」

「死なないことを大前提にね」

 発奮する谷口に、冷水をかけるような美幸の注意であった。







 迷宮の中の魔物というのは、基本的に普通の動物や植物が巨大化、凶暴化したものが多いらしい。

 巨大な蛙を見たときなど、実は蛙嫌いの女子、別所が気絶したりした。

 それでも一行は連携がこなれてきたこともあり、さほどの危険もなく迷宮を潜っていく。

「で、でっかい蟹だ!」

 人間の胴体ほどもあるハサミを向けてくる魔物に、前衛の戦士は及び腰になる。

 だが刀を二度振って美幸がハサミを切り離してしまえば、あとは戦闘力もない。

「よっしゃ経験値だ!」

 勢い込んで駆け寄るが、今度は蟹の甲殻にダメージが通らない。

「どっせい!」

 戦鎚を武器としてた土屋が蟹に止めをさす。彼の祝福は『破壊』。物質ならなんでも破壊できるという、武器と相性のいいものだ。

 それでもレベルは上がらなかった。



「今日は蟹鍋だね」

 イリーナは呑気に言って、魔石を回収した巨大蟹を収納する。

 さて目的地である五階には到着したが、ほとんど成長はない。

 それでも魔物に対する恐怖心や戦いにおける連携は取れてきたが、肝心のレベルが上がらないのだ。

「一応『宝物庫』にテントとか入れてきたけど」

 アニメと雑誌のチェックで崩れ落ちていた川島の祝福は『宝物庫』。俗にいうアイテムボックスだったが、魔法具より収納できる量が格段に多いため、念のために宿泊セットも入っている。

 睡眠中の警戒もこの人数なら充分で、先に進むことも可能なのだが。

「え~、でも汗かいたし~」

「着替えもしたいよね~」

 主に女性陣から抗議が出る。着替えは魔法の袋に入っているが、さすがに風呂はない。

「じゃあ作ろうか?」

 変な顔をする一同の視線を背に、イリーナは手を床につける。



 魔法が発動する。床がへこみ、水がたたえられ、それが熱せられてお湯となる。

 ついでとばかりに遮蔽となる壁も作られる。

「ふ、風呂だ……」

 イリーナは唖然とする一同に、さらに風呂桶やスポンジ、石鹸やシャンプーまで出してくれる。

「ふ、風呂?」

「一人旅だと無性に入りたくなる時があるんだよ」

 そう言ったイリーナは一瞬のうちに肌着一枚となり、壁の向こうへ消えていった。

「あ、じゃあ」「うん、あたしたちも」「はい、いってらっしゃい」

 どこか釈然としないながらも、壁の向こうへ消えていく女子たち。

 オルランはその魔法の無駄な精密さに目をむいていた。



 さらに六階まで進んだところで、一行はテントを張る。

 夕食はメインに蟹鍋だ。硬い甲殻は光次郎がナイフを使って切断する。

「こんなことに祝福が役立つとは思わなかった……」

 ぼやく光次郎だが、確かに今までで一番役に立っているかもしれない。

 さて就寝となるわけだが、テントの周囲に光次郎と美幸で魔法の結界を張る。

 一応騎士たちは交代で番をするようだが、イリーナもそれに加わっている。

「一週間ぐらいなら眠らなくても平気だよ」

 それでも念のため、光次郎と美幸は交代で睡眠を摂った。







 迷宮の踏破は順調だった。

 一行のレベルはそれほど上がっていないが、技能の熟練度は確実に上がっている。連携もこなれてきて、同じ敵を相手にしても、危なげなく勝つことが出来るようになってきた。

 地下10階。当初の予定の倍の階にまで到達したが、ようやくこの辺りの敵を倒すと、レベルが上がるようになってきた。

 浅いところではすれ違っていた探索者も、ここまでくればかなり少なくなっている。

「どうする? 私はまだ潜りたいんだけど、一度戻ってもいいよ」

 イリーナは全く疲れた様子を見せない。光次郎と美幸も、体力的には問題がない。他の一行も適度に休息を取っているため、肉体的な疲労はない。

 だが迷宮の中に長くいると、それだけ精神的な疲れが溜まるものだ。集中力を欠けば、意外な一撃をもらうかもしれない。



 勇者一行も護衛の騎士も、動きに精細さを欠くようになっていた。

「俺たちはまだ行けるが、さすがに一度戻った方が良さそうだな」

「じゃあ続きはここから始められるようにしておくね」

 イリーナはまたどこからともなく取り出した石板を、迷宮の少し広くなった部分の隅に置いた。

「……それは何だ?」

「転移板。いちいち弱い敵を相手にするのも面倒でしょ? 次からはここに転移できるようにするの」

「て、転移の魔法だと?」

 またオルランが興奮しているが、イリーナは手を止めない。

「じゃあ帰ろうか」

 無詠唱でイリーナの魔法が発動し、一行は都市の西門の前に脱出していた。

 ギルドの窓口で魔石を換金し、全員の探索者証明証が銅製のものとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る