第8話 旅路
イリーナは現在、大陸縦断の旅の途中らしい。
大陸の北東、人間の生存圏から発し、魔族領を抜け、ようやく目的地が近づいたところで、路銀が尽きた。
おまけに道に迷ったり、飢饉にある集落を助けるために食料を提供したりもしたため、食料も底を尽きかけたところだったという。
すごいのだかすごくないのだか、判断の分かれる話だ。
「魔族領を、抜けてきた?」
それは驚きの事実だったが、イリーナは特別なことをしたという意識もないようだ。
美幸は念のため、遮音の魔法を使う。王国に仕える御者やケインに聞こえたらまずそうだ。
「魔王城も撮影してきたよ。写真見る?」
そう言ってイリーナが鞄から取り出したのは、シンプルなデザインであるものの、スマホと同じようなものだった。
「え、スマホ?」
反応したのは池上だ。イリーナから渡されたそれを操作してみる。確かに操作法も、スマホに似ている。アプリが入っているかどうかの違いはあるが。
「え、これどうやって動いてるの?」
「小さな魔核を電源にしてるんだよ。ほら、これが魔王城」
そう言ってイリーナが見せたのは、アセロアの王城をも超える巨大な城と、それをバックにVサインをしている……魔王だった。
「ま、魔王?」
「これは玉座に座った魔王ちゃん」
ドヤ顔で笑みを浮かべる、あの魔王の姿がそこにあった。
殴りたい、この笑顔。
「あの、あなたは……何者なんですか?」
今更ながら混乱する美幸に対して、イリーナはにへらと笑っている。
「ただの旅行者だよ。一応武者修行の旅だけど、そっちはあんまり上手くいってないんだよね」
ただの旅行者が魔王と付き合いがあるというのは、絶対に間違っている。
「ステータスも、偽装してますね?」
「うん。見くびられない程度に強く、怖がられない程度に弱くね」
レベル50というのはそんな簡単に到達出来るものではないだろう。言葉通りなら、そのステータスも下方向に偽装しているはずだ。
「あんた、年齢とか種族も偽装してるだろ。ひょっとして魔族なのか?」
頭痛から立ち直った光次郎が問うと、それに対しても簡単にイリーナは答えた。
「年齢はいじってるけど、種族は魔族じゃないよ」
それは、人間であると言っているわけでもない。
「人間と魔族の戦いは、どう思ってるんだ?」
「別になんとも。私は中立の立場だから」
「けれど魔王とは写真を撮るぐらい仲がいいんでしょ?」
「う~ん、友達としてはそうだけど、戦争でどちらかに味方するのは禁止されてるから」
「誰に?」
「お姉ちゃん」
何者だよ、そのお姉ちゃん。
とにかくいろいろ聞きたいことが出てきたが、とりあえず光次郎は交渉してみる。
「迷宮都市に行くと言ってたけど、何をするつもりなんだ?」
「さっきも言ったけど、お金がないから稼がないとね。その後は海まで行って、縦断完了だよ」
「その後はどうするんだ?」
「別のルートで大陸を北に戻って、それから竜骨大陸に戻って、お姉ちゃんたちと合流かな。しばらく休んだら、今度は反対の大陸を縦断するかも」
「反対の大陸?」
「ここからなら直接西に行ったほうが近いけど、竜翼大陸と竜爪大陸だよ」
スケールの大きな旅である。世界旅行と言ってもいい。
「少しは時間をかけるわけだよな? なら俺たちと一緒に迷宮に潜ってくれないか? 基本的に中で手に入れた宝はそっちのものでいい」
イリーナは光次郎と美幸を見る。その瞳の虹彩が、わずかに歪んだ気がした。
「二人なら、あの迷宮でもそれほど危険じゃないと思うよ? 迷宮の主に挑むなら別だけど」
「いや、俺たちじゃなく、他のやつらが心配なんだ。二人だけで守るのは、ちょっと難しいと思う」
ケインたちの実力も、正直なところ当てにはしていない。
説明されて、イリーナは腕を組む。少しだけ考えて、答えを出す。
「いいよ、別に急いでる旅じゃないし。異世界からの勇者にも興味はあるしね」
異世界よりの勇者。
それは、美幸も光次郎も一言も言っていないことだ。
「どうして、それが分かったんだ?」
光次郎は影に手を付ける。危険感知は働いていないが、この少女は自分たちの常識の埒外にある。
「称号に書いてあるから。15人も召喚するなんて、誰かは知らないけどひどいことするね」
隠蔽と偽装はかけてある。だがイリーナはそれを見抜いてこちらのステータスを把握した。
池上の能力鑑定では見抜けないものを、この少女は簡単に成し遂げたのだ。
「ひどいことなのか?」
「だって他の世界に一方的に連れて来られて戦えって言われるわけだし、やっぱりひどいことだと思うよ」
違うの? と問いかけるようなイリーナの視線。
勇者たちはお互いに顔を見合わせる。
「その……ひょっとして、元の世界に戻る方法とか知らないかな?」
目の前の少女の得体の知れなさに、光次郎はそんな質問をしていた。
「どうだろ? 異世界への扉を開くことはともかく、元の世界に戻すのは聞いたことないかな。けれどひょっとしたら……」
考え込むイリーナ。
「俺たちは魔王を倒したら、神の力で元の世界に戻れると聞いてるんだが、これが嘘か本当か分かるか?」
「ああ、それは嘘だよ。神の力なんてもう、特定の世界との通路をつなげるほど残ってないはずだから」
そうか、嘘なのか。
そうではないかと思っていたが、やはり嘘だったのか。
「それで元の世界に戻る方法だけど」
イリーナがどこからともなく取り出したのは、世界地図だった。
精密で地球の面影があるが、明らかに違う。一番はっきり分かるのは、日本列島が大陸とつながっているところか。
「こことここ。嵐の山脈と水の神殿。どちらかの迷宮の主なら知ってるかもしれない」
イリーナの指差したのは、地球で言うならカムチャッカ半島とフィリピン諸島に当たる部分だった。なんとこの大陸ですらない。
「迷宮の主……封印された神様か?」
「違うよ。それよりもはるかに上の存在。神竜だよ」
それを聞いて、一同の表情が硬くなった。
歴史の時間に習った、神殺しの竜。それは5柱。
「水の神殿の水竜ラナ、嵐の山脈の風竜テルー、このどちらかなら、多分知ってる。他にも知っているかもしれない人間や魔族はいるんだけど……皆どこにいるやら……」
「無茶苦茶遠いな……」
光次郎は呻く。ほとんど地球を半周するほどだ。海を渡るならまだマシかもしれないが。
「あとの三柱の神竜はどうなの? 確か黄金竜クラリス、暗黒竜バルス、火竜オーマ」
記憶力のいい美幸はしっかり覚えていたようだ。
「それ、名前の情報が古いけど……。ええとね、その3柱の神竜は、多分知らない」
「どうして?」
「どうしてって言われても……オーマちゃんはひょっとしたら知ってるかもしれないけど、黄金竜と暗黒竜は間違いなく知らないよ」
少なくとも、今の言葉にヒントがある。
神竜に対してちゃん付けするような人間は普通ではないだろう。
「理由は言えないわけ?」
「うん、ちょっと秘密なの」
これで終わり、とイリーナは掌をこちらに向けた。
むむむ、とうなる勇者一同である。
「とりあえず他の奴らの話も聞いてみよう。旅に出るとしても、まずはレベルを上げておいたほうがいいだろ」
「そうだね。イリーナ、夕食の時にでも、もう少し詳しい話を聞かせてくれる?」
「いいよ。私の方も、異世界の話は聞きたいし」
その日の一行は夕暮れまで街道を進み、途中の村で宿泊した。
村の集会所のような所で勇者一行は雑魚寝だ。待遇の悪さに文句も出るが、王都での高待遇の方が、この地域の文明レベルからしたら異常だ。
「あ~、シャワー浴びたい」
「近くに川があったから、水浴びでもしてこいよ。ユキに見張ってもらえばいいだろ」
男女順番で水浴びをし、最低限の栄養が摂れる食事をする。
周囲はアセロアの騎士たちが交代で見張ってくれる状態で、男女合わせて雑魚寝というわけだが、15人は車座になってイリーナの話を聞くこととなった。
もちろん遮音の魔法で外には聞こえないようにしている。内容によってはアセロアの利益に反することになるのだから。
まず先に結城が今までのことをまとめてイリーナに話したのだが、なるほどね、と彼女は疑いもなく頷く。
「そっかー、魔王ちゃんでは勝てなかったか~」
むしろ残念そうにイリーナは言って、その後に呟いた。
「まあ魔王ちゃんより強い魔族、けっこういるからね~」
その台詞に光次郎と美幸は絶句する。
「……一番強いのが魔王じゃないのかよ」
谷口の台詞にもイリーナはきちんと答えてくれた。
「ああ、この大陸の魔族では魔王ちゃんが一番強いかな? ほぼ互角の魔族なら何人かいるけど、その魔族たちは半分独立してるし」
少なくともそのうちの一人は光次郎は知っている。あの時、魔王への止めを妨げたものだ。
それから一行はイリーナの話を聞くこととなったのだが、まず一番大事なことは、魔王を倒しても地球には戻れないということである。
「マジかよ……」
今泉が呟く。他の者は溜め息すら出ない。
「それで、元の世界に戻る方法なんだけど」
イリーナが話を続けようとすると、皆の姿勢が前向きになる。
「必要になるのは、君たちが元いた世界を見つける術式と、そこへの進路を開ける魔力となる」
地図と移動方法というわけだ。
「このうち魔力については、神竜の誰かの力を借りるしかないと思う。魔核を何十個も用意するという手段もあるけど、現実的じゃない」
魔核。勇者召喚については一つでも充分だったはずだが、召喚と送還ではそれほどまでに違うのか。
「それで術式だけど……これは聞いてみないと分からない。水竜ラナが1200年前に当時の勇者を異世界に送ってるから、彼女なら知ってるかもしれない。あと風竜テルーも同じぐらい長生きだから、知ってるかもしれない」
「かもしれない、か。確実なことは言えないんだな?」
「そうだね、むしろ術式に関しては、魔法都市とか竜骨大陸の魔族領で研究してるかもしれない」
それも、かもしれない、か。
そんな情報を知っているイリーナこそ何者なのだとも思うが、本人曰く武者修行中の旅行者とのこと。
「それで、今後俺たちはどうしたらいいかなんだけど」
光次郎が話を変える。
「まず、レベルを上げるのはいい。その後だ」
「王都に帰るんじゃないの?」
恋バナ女子の米原が問い返すが、光次郎は頭を振る。
「魔王を倒しても元の世界に帰れないんだから、危険を冒す必要はないだろ」
「でも、けっこうお世話になったよ?」
「そもそもあいつらが一方的に召喚なんかしたんだぞ?」
言われてみれば、ひどい話である。
一方的に拉致してきて、命がけで戦ってください。帰る方法はありません。
確かに義理立てする必要はないだろう。
「魔王ちゃんが支配したほうが、いい国になると思うよ。別に魔族領に人間が住んだらいけないわけじゃないんだし」
イリーナは帰還の方法だけでなく、この世界の常識も教えてくれた。アセロア王国の、人間に都合のいい常識ではなく、本当の常識を。
魔族領とは、基本的に他種族の混淆した領地である。そこには人間だけではなく、エルフもいれば吸血鬼もいるし、ゴブリンもいれば獣人もいる。
もちろん巨人族など共生の難しい種族はあるが、敵対しているわけではない。
実際にこの大陸の北部、人間の領域と教えられた国々は、亜人や魔族と共生しているのだ。
「つまりアセロア王国と他の二国は人間至上主義の差別国家ってこと?」
「うん、それ。だってこの国では他の種族なんて見ないでしょ?」
戦争でも捕虜を取らず、殺してしまうのだ。そこにあるのは狂信だけだ。
元々この大陸の南部は、人間の多く住む地域だった。
だが前魔王の統治していた頃は、それなりに魔族や亜人とも上手くつきあっていたらしい。
それが現魔王に代替わりした時、魔族側でちょっと内紛があったのだ。
それに付けこむようにして、南部の人間の国家が侵略を始めた。
それだけでなく国内の魔族を奴隷化、あるいは抹殺しようとした。
魔族側はそれに激怒。現魔王のもとに協力体制を樹立。
あっという間に侵攻を跳ね返し、それどころか次々と人間の国家を支配していった。
本当なら、どうしても人間以外と住むのが怖いという人間のために、幾つかの国は残しておこうとも思ったらしい。
だが頑なに魔族を排斥する大陸南端の諸国家の姿勢に魔王も諦めた。
それで今では魔族側の総意として、南部の人間の国家は滅ぼすと決めたのだ。
夢も希望もない。
ゲーム的なシステムが存在するこの世界に、かつての地球のような狂信的差別がある。
それが現実。
「俺は地球でやることがあるから、正直戦争なんかには付き合ってられない」
光次郎が宣言すると、美幸も頷く。
「あたしも同意。でもジロはあの魔王に恨まれてるんじゃない?」
「う~む、敵に回さなくてもいいやつを敵に回してしまったか……」
「大丈夫だよ。魔王ちゃん忘れっぽいし、事情を知らなかったって説明すれば許してくれるって」
断言するイリーナに、一行は苦笑した。
「それで、少しレベルを上げてからどう進路を取るかだが」
視線を向けられて、イリーナが首を傾げる。
「俺たちはこの世界の常識を知らないし、地理にも詳しくない。出来れば案内人がほしいんだけど」
「ん~、でも私も、行きとは違う道を歩いて帰るつもりだから、相当時間はかかるよ? それでいいなら案内するけど」
それは問題である。アフリカ大陸を徒歩で縦断するなど、はたしてどのくらいの時間がかかるのか。
「陸路を行くなら、魔族領の都への鉄道を使って、そこから竜骨大陸に出るのが早いね」
鉄道があるのか。どうやら魔族領はアセロアよりも文明の水準が高いらしい。
「海路はどうなんだ?」
少し不思議に思って光次郎が問う。ルートによっては陸路より海路の方が早いだろう。
「そうだね。ニホンに行って、そこから大陸の東沿いを北上する船があるはずだから、それに乗るのが一番早いよ」
ニホン。
その単語を聞くだけで、一同の表情が明るくなる。
「ニホンってどんな国? イリーナは行ったことあるの?」
池上が勢い込んで尋ねると、イリーナは少し考え込んだ。
「私も一度しか行ったことないけど、皆目も髪も黒いから、区別が付きにくかった」
妙に納得させる意見であった。
結局イリーナは迷宮都市まで同行することとなった。
それ以降は自分たちの力でニホンに渡り、そこから船で大陸の端まで行って、そこで乗り換え。
中央の大陸の南東にあるという水の神殿を目指す。
そこまで行っても確実なことは言えない。なんとも先の見えない旅になりそうだった。
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