第5話 襲来

 その日の朝も、光次郎と美幸は早起きしていた。

 この日はバルドーというケインと同じ武竜八天の騎士が訓練を見ていた。ケインよりは年嵩で、おそらくレベルも高いだろうことは気配で分かる。

「おはようございます。ちょっと訓練場の隅を貸してほしいんですけど」

「ん、ああ、ケインから聞いている。武器も好きに使ってくれ」

 光次郎は木刀を、美幸は短槍を選び、柔軟をしてから向かい合う。

「ルールはいつも通りで」

「ん」



 美幸は槍の持ち手を握り締めると、おもむろに突いてきた。

 光次郎はそれを受け流しつつかわし、カウンター気味に胴を狙う。

 美幸は石突きの部分でそれを跳ね返し、槍を旋回させ薙ぎ払ってくる。

 連続した衝突音が響き渡る。それが何十合か続いた後、光次郎の木刀が美幸の足を打つ。



 薙刀の勝負なら、それでスネ有りの一本だが、美幸は片足が使えないという状態になりながら、構えを崩さない。

 そう、一族の訓練では、小手や胴、スネといった部位を失った状態でも続けられる。

 命さえ失っていなければ、そこから挽回できるからだ。さすがに両腕や両足を失ったら戦闘続行不可能だが、片足だけならまだいける。

 だが片膝立ちという姿勢からでは、実際には逆転の目は薄い。数合打ち合って、美幸は突きを受けた。

 障壁によって実際に突きを受けたわけではないが、やはり押されるという感覚はある。



「また負けた……」

「ふはは、実力の差を思い知ったか」

「よし、次は無手で勝負!」

「負けず嫌いだなあ、本当に」

 武器を置いて、二人は向き合う。ジリジリと間合いを詰めて、手が触れ合った瞬間攻防が始まる。

 それは円運動。相手の攻撃の威力を消し、誘導し、体勢を崩し、有効打を狙う。

 流れるような動きの中に、直線的な動きが一瞬混じる。そしてまた、円運動を基本とした流れるような動きへ戻る。

 そしてくるんと回転して、美幸は地面に打ちつけられた。



「あがが」

 背中から打ちつけたのでダメージはそれほどないが、息が止まって動けない。そこへ光次郎の拳が振り下ろされ、鼻先で止まる。

「肉体言語では勝てないな。やっぱり魔法のほうを磨いてくれよ」

「サポートはするけど……あたしも前線で戦いたいよ……」

「……まあこの世界では美幸ほどの使い手はそうそういないだろうし、実戦経験も積めるんじゃないかな」



「ちょっと良いかな?」

 二人に近寄ってきたのはバルドーだった。

「はい、何か?」

 立ち上がった美幸が見上げると、この騎士は本当に背が高い。

「今は無手で戦闘していたが、武器はあまり使わないのか?」

「使います。でも、戦場で武器が壊れたり、何も持っていないところを襲われたら素手で相手をします」

 光次郎は当たり前のこととして言うが、バルドーは首を傾げつつも納得した。

「そうか、魔法のない世界ではそうするしかないか……。しかしニホン帝国のジュジュツにも似ているな」

 その言葉には、二人のほうが驚いた。

 1200年前にこの世界に渡ってきた日本人が、柔術を知っているわけはない。だが、ジュジュツは間違いなく柔術なのだろう。

 ニホン帝国についてもまた調べるべきだと、二人の考えは一致した。







 地獄のようなランニングと訓練が終わると、待ってましたの昼食である。

 昼食が終わり、午後の講義となる。今日の内容は地理に関してだ。

 地理と言ってもアセロア王国内の地理は歴史と一緒に教えられるため、今日は大陸の地理を歴史と一緒に教えられた。

 魔王が支配する魔族領だが、その中心までは何十日もの旅が必要になるらしい。

 一定の領域を魔王の部下が支配し、魔族の中でも種族によってある程度の棲み分けがあるとか。

 もし魔王の根拠地を攻めるなら、ニホンの海軍の力を借りて、海からの攻略を進める必要があるとのこと。

 午前中の訓練の疲れか、居眠りをしている生徒が何人かいた。



 それからはまた魔法授業だが、理論的なことより実践的なことの方が受けがいい。

 二日目ともなると全員が指先に火を灯す程度の魔法は使えるようになっていた。

 さすがは勇者様、と昨日とは違う天魔十六杖のオルランが感心する。

「それでは本日の課題は、限界まで魔力を出し切ることを課題としましょう」

 その意味を知る二人は、この爺さんも鬼だと思った。

 それぞれが得意な分野で魔法を使い続けると、魔力が一割を切ったあたりから眩暈や吐き気、その他の異常が表れる。

「それがMP酔いというものです。慣れればもっと限界まで耐えられますが、今日はその感覚を覚えておいてください」

 支給された魔力回復のポーションを飲むと、たちどころに体調が回復していく。

 それでも立ち上がる気力のある者はほとんどいなかった。







 自由時間となり、光次郎は美幸に図書館での調べ物を任せると、街中へと出ていた。

 護衛として兵士が二人ほどついてきているが、撒こうと思えば撒けるし、特にその必要も感じていなかった。

 王都だけあって、さすがに大通りは人が多い。ヨーロッパ風の町並みに、店の品数も種類も豊富だ。

 中世ヨーロッパを考えていただけに、これは意外なことだった。

(下手すりゃ産業革命以降の文明レベルじゃないか?)

 思いついて大通りから路地裏へひょいと入る。

「勇者様この先は危険です」

 小声で兵士が注意を促すが、光次郎はへらへらと笑って聞こうとはしない。



 幾つかの路地を曲がると、予想通りの光景が広がっていた。

「貧民屈か……」

 みすぼらしい建物に、布切れのような服。凶暴な、それでいて自暴自棄な目をした、やせ衰えた人々が目に入る。

 兵士を連れているから絡まれることはないが、確かにここは危険なのだろう。

(富の分配が上手くいってないのかな)

 とりあえずその光景をざっと見回すと、光次郎は来た道を戻っていく。兵士たちの緊張が解けていくのが分かる。

「じゃあ次は城壁の外へ行ってみようか」

 その言葉に、また兵士たちの緊張が高まるのが分かった。



 城壁の外には、スラム以上の光景が広がっていた。

 木片を立てかけ、布をめぐらした住居とも言えない寝床。大人も子供もガリガリにやせている。

「この人たちは?」

「難民です。魔王軍の侵攻から逃れてきた……」

 魔族の脅威を恐れ、滅亡した国々や、滅亡しつつある国々から退避してきた人々。

 当然生活の基盤などはないし、職を得るのも難しいだろう。

「炊き出しとかはしてないのか?」

「主に神殿がしておりますが、何しろ人数が多いので」



「ふむ、魔族は人間を食うのか?」

 当たり前のようにされたその質問に、兵士の方が動揺する。

「食べる……種族もいますが、食べない種族もいるそうです」

「へえ」

 魔族魔族と言っているが、肝心の魔族については何も知らされていない。その生態や強さ、外見も。

「あんたたちは魔族と戦ったことはあるのか?」

「ゴブリン程度なら何度か……山林部に巣が作られる場合もありますので」

「ゴブリン? 魔族ってのはゴブリンなのか?」

「他にもいますが、主に戦場で戦うのはゴブリンやオークですね。やつらは繁殖力が高いですから」

 これは、どういうことだろう?

 ゴブリンやオークというのは、地球のファンタジーに出てくる種族だ。それが、ネアースにもいるという。

 これも調べるべきことだな、と光次郎は頭の中でメモしておいた。







 夕食時、お互いの情報を交換する。

 他の生徒たちは魔力切れの影響か、軽く城内を見て回ったものが数名いるだけらしい。

「なんだかさ、1200年前にやってきた日本人ってのも、21世紀の日本人っぽいんだよね」

 チーズをフォークで刺しながら美幸が言った。

「どういうことだ?」

「1000年前には既に、鉄造艦を作ってたらしいの」

 江戸時代の末期に蒸気船を見て、それから数年で日本は同じく蒸気船を作製した。

 全体が鉄の戦艦を製造できたのが何年ごろかは知らないが、100年も経ってない太平洋戦争の時には大和のような超巨大戦艦を製造している。

 この世界に来て平安時代から始めたとしたら、200年でその進歩は、魔法があると言っても早すぎるだろう。

「SFであったな。そういう設定?」

「どういうこと?」

「平行世界が幾つもあったら、1200年前に既に21世紀だった世界があってもおかしくないだろう?」

 美幸はしばらくその言葉の意味を考えて、どうにか納得したようだ。

 それはつまり、この世界が未来の平行世界の地球であるという可能性も高まったわけだが。



 話は変わり、城外の様子となる。

「避難民が多いし、スラムもある。あまり治安が良いとは言えないんじゃないかな」

「富が集中しているってこと?」

 少なくとも城内には生活に苦しんでいるような人間はいない。むしろ貴族はおおいに着飾っている。

「ここだけ中世っぽいのか、それとも軍事力で無理やり抑えこんでいるのか知らないが、あまりいい傾向じゃないな」

「単に特権階級が搾取してるだけじゃないの?」

「魔族の脅威が意図的に宣伝されている可能性もある」

「どういうこと?」

「魔族よりはマシと思わせることで、民衆の怒りを外に向けさせている」

「外敵に敵意を向けさせるってこと?」

 光次郎は頷いて、食堂の入り口に顎をやる。

 前ぶりもなくやってきたのは、国王とその護衛であった。



 バルドーとオルランが立ち上がるのを見て、一行も合わせて立ち上がる。

 このあたり右に倣えの日本人らしく、二人も合わせる。

 国王は鷹揚に手を振って、皆を座らせる。

「ボイドから聞いたのだが、そなたらは余らには未知の知識を持っているらしいの」

 それに反応したのがスマホ女子、池上である。

「はい、スマホの中にはいろんなレシピ入れてま~す!」

「マヨネーズとかアイスクリームの作り方知ってます!」

「手押しポンプとかどうですか!」

「顕微鏡の作り方知ってます! 理論だけなら電子顕微鏡まで!」

「理論だけなら核兵器知ってます!」

 反応したのは知識チートの連中である。あまりの勢いに国王が仰け反るほどの食いっぷりである。



 残念ながら、それらのほとんどは既に再現されているらしい。特に食事に関してはニホン帝国に優る国はないという。

 電子顕微鏡や核兵器も、魔法で再現可能なそうだ。恐ろしい。

 だが国王はニコニコと笑っている。咄嗟には出ないながらも、応用できる知識があれば嬉しいだろう。

「この後も何か思いついたら、遠慮なく言ってほしい。この国を豊かにするためにな」

 それだけを言って、退座しようとする。その時――。







 それはやってきた。







「伏せろ!」

 叫ぶと同時に、光次郎は身を伏せていた。それとほぼ同時に、衝撃。

 轟音と共に王城が揺れた。

「キャー!」「地震か!」

 違う。地震ではない。

 凄まじい魔力による攻撃が、王城を守る障壁に激突したのだ。

「陛下を守れ! 勇者様方もこちらへ!」

 間断なく揺れる城の廊下を一行は走る。時折躓いて転ぶ級友を、光次郎は立たせる。

 自然と美幸と共に殿を努めることになる。



「勇者様! 早くこちらへ!」

「謁見の間へ急げ! あそこが一番頑丈だ!」

「武竜八天! 天魔十六杖集結せよ!」

 多少の動揺はあるが、城内の人員は的確に動いているように見えた。

 それに対して勇者一行は指示通りに謁見の間へ動くものの、内心は混乱している。

「な、何が起こったんです!?」

 結城の問いに、バルドーが答える。

「おそらく魔族の奇襲です。大丈夫です。この城の結界は、魔将軍クラスの攻撃でも突破できません」

 人はそれをフラグという。



 謁見の間の中心へ重要人物が集まる。

 それを待っていたかのように、結界は砕けた。

「ジロ」

「やばいやつがやってきた」

 魔力感知で、二人は空からやってきたそれを察知していた。

 ステンドグラスを砕き、謁見の間に侵入したそれは、玉座の上に華麗に立った。



 マントとローブで身を包み、面頬付きの黒い兜をかぶったそれ。

 凄まじい威圧感に、兵士たちは全く動けない。武竜八天や天魔十六杖でさえ、動揺を隠せない。

「異世界から勇者を呼ぶとは……禁断の魔法に手をかけたその愚行を、己が身で知るがいい」

 くぐもった声が響く。その冷徹な響きに、光次郎も背中に汗をかく。

 やめておいたほうがいいのかもしれないが、鑑定の魔法を使ってみた。

 そして後悔する。目の前の存在の圧倒的なレベルに。



 レベル190。



 人間としてはかなりのレベルに達しているというローガンの倍以上のレベルを持っている。

 だが注目するのはそこではなかった。

 名前は隠されているが、それはどうでもいいだろう。その称号が問題なのだ。

「魔王……」

 呟いたのは、王の杖ローガンに対する者、王の剣であるバーバロ。

「魔王だと……」

 青ざめた顔で国王も呟く。

「誰かと思えば、あの時見逃してやった小僧か。なるほど我が目に狂いはなかったようだな」

 バーバロを見て、むしろ楽しげに、魔王は語る。

「30年でその高みにまで昇ったか。だがそれが限界か」



 嘲弄するような魔王の言葉に、もはやバーバロは応えない。

「武竜八天は前へ! 天魔十六杖、八名は八天を援護! 残りは陛下と勇者様方を守れ!

 自らは一歩前に出て、魔王と相対する。

 だが魔王はすいと手を出すと、その指先を一人の人物へ向けた。

 光線が、彼女を貫いた。

「シーラ様!」

 胸元を貫かれたシーラは、間違いなく致命傷。だが十六杖は動けない。

「巫女を失えば、勇者はもう召喚できまい」



「ユキ」

 応えるまでもなく、美幸はシーラの元へ走った。

 血の混じった息を漏らすシーラは、かろうじて生きている。だが放置すれば間違いなく死ぬ。

『治癒』

 美幸の治癒魔法で、それを最低限癒す。あまり魔力は使えない。

 なぜなら、これからこの目の前の超存在と戦わなければいけないからだ。

「さて勇者たちよ、我はお前たちに特に害意があるわけではない」

 一転して穏やかな口調で魔王は告げた。

「異世界より無理やり突然に召喚された困惑は、ある程度分かるつもりだ。私と敵対しないというならここでの命は保障するし、なんなら魔族領での生活も保障しよう」

 それは、この巨大な敵を前にしては、魅力的な提案だった。



 だが、それが分かるほど、勇者たちは彼我の戦力差を分かっていない。

「ふざけんな! こっちはお前を倒さなけりゃ地球に帰れないんだよ!」

 今泉が前に出る。威嚇するように吠えるが、それは魔王にはなんらの脅威も感じさせないものだ。

「あなたにはなくても、こちらには戦う理由がある」

 結城もつられて前に出る。皆、戦闘の姿勢を取る。

 だがそれは虚勢でさえない。彼我の実力差が隔絶し、また戦闘勘を持たないがゆえの愚かな選択だ。

「ちょっとまった!」

 だから光次郎はそれを止める。

「もしあんたが俺たちを元の世界に帰せるというなら、俺たちは戦わない」

 それは裏切りにも感じられただろう。非難の視線を浴びながらも、光次郎は魔王の返答を待つ。

「それは不可能だな。無数の世界の中から力ある者を召喚することは出来ても、それを元に戻すことは出来ない。だからこそ、勇者召喚は禁じられている」

 光次郎は横目で国王を見る。その顔色の青さは、どういう意味を持っているのだろう。

 だが、これで決まった。たとえ国王たちの言うことが嘘だとしても、一縷の望みに賭けるしかない。

「ならあんたを倒して、神様の力を借りるしかないな」

 光次郎から発される殺気を感じて、魔王は溜め息をついたようだった。

「哀れな……」

 そしてマントをたなびかせる。

「ならばもう言うまい。我はただ、愚か者たちを引き裂くのみ」

 そして戦闘が始まった。

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