10
「晶子さんっ。」
はいはい、と言いながら店の奥からふっくらした女性が出て来た。
「そんな大きな声出さなくても…」と店前に居る二人の男を見ると
「あれ?勇ちゃん?」
「はいっ!」パシッ「お前、隣にいる人の事も考えて話せ。」
がっはっはっ!あははは!と笑いが鼓膜にこだまする。
「お久しぶりです。やっぱり皆さん変わりませんね、嬉しいです。この人はすぐうるさがっちゃって。」
「お父さんに、んな口の利き方は良くねぇぞ。」「おばあさんっ!」
皆の視線が、竹内と堺に来る。
「…すみません!親父なのに嫌な言い方しちゃって。照れ隠しなんで、怒らないでくださいっ。」
皆、から笑いで誤魔化すと、おばあさんは
「そう!親は大切にしなきゃならんよ。わはは」と、機嫌を戻した。
暗黙の了解と言わんばかりに無言の視線で同意する。
「違う」と言ってしまいたいが、認知症を患ってる人に、否定しちゃいけないと聞いたことがある。その人にとってみれば、俺達は親子であり、それが現実となっている。
それを急に「赤の他人です」なんて言ってしまったら、その人の今…新しい記憶さえ否定してしまうことになる。
正してやりたい、今を知ってほしいという気持ちも分からなくないもどかしさで、心がはち切れそうになる。
「あっ、さっき言ってた、ばあちゃんのしおにぎり食べたいです!」
おばあさんは顔をしわくちゃにして笑い
「嬉しいねぇ。今握ってくるから、ちょっと待ってな。晶子さん、その間あったけぇお茶でも出してやんなさい。」
そう言うなり、店の奥に入っていった。
「お騒がせしてしまいすみません。この人は上司の竹内さんです。」
「竹内です。」
じぃーっと、二人の顔を見比べ「そうよね、そうよね」と小声で納得したようだ。
「もしかして、今日ここに来たのって…。お父さんも呼んできましょうか?」
勘づいたのか、急に来ている割烹着を直し、ソワソワしだす。
俺が話し出すより良いとみたのか
「おばさんっ、そんな気にしないで下さい。その話もそうですが、世間話をしに来たんですから。」にこやかに言う堺に、少し緊張が取れたのか
「あ、そっか。…あははっ、警察の人が来るなんて初めてだからつい。でも…あの事件の事も関係してるんでしょう?」
チラチラと竹内の顔色を伺いながら
「新聞で知ったくらいで、何も知らないからさ…あと、さっきはごめんなさいね。」
頭を下げるおばさんに「気にしないで下さい。ねっ?」「あ、あぁ」はははとまた堺は笑う。
それから二人は世間話を始めたが、どこか竹内は疎外感を感じていた。
地域の繋がり、人との繋がり…それが、何年経とうと無くなることのない様子は、よく分からなかった。人との関わりが薄れ、周りは他人だらけ…それが当たり前に感じるようになっていたから、家族以外の人とも家族同等な雰囲気に、僅かながら混乱さえした。
家族のことでさえ、自分が自分が…と、自身の都合を押し付け、よく分かろうともしなかった人間に、周りの人達に愛想でない素でいれるわけが無い。
「…さん、竹内さん?も良かったら冷めない内にお茶でも飲んでください。」
ショーケースの内側からやさしい顔で言われ
「ありがとうございます」と、一口お茶を飲む。
「おばあさん元気そうなのに、いつ頃から…」
「ここ半年かねぇ…。それまでは少しおかしな事を言うこともあったけど、それからはあっという間。人間って頑丈そうで脆いわね…。」
「じゃあ、この商店街の事もあまり憶えてないんですかね?」
堺がそう聞くと「それがねっ」笑いを堪えつつ
「ここのことはよーく覚えてるの。この場所でお店をやってる人の名前も、お客さんの事も私たち以上によく知ってるから、喜んでいいやら悲しいやら。はははっ」
隣から視線を感じ
「…じゃあ」竹内は振り返り、商店街を眺める。
「向かいの花屋や、奥の饅頭屋…端の方にある毛糸屋もご存知なんですか?」
「そうなんです。おばあさんからしたらここがお店でもあり自分の家ですから。商店街って「街」って付くくらいだから、皆この街のご近所さんなんですよ。小さいですが。
まぁ…今じゃ、シャッターの方が目立っちゃって、寒々としてる分、まだ新しい方が店を始めてくれたらいいけど。なかなかこんなとこに来ないから…寂しいみたいね。あそこの毛糸とか売ってるお店は一度閉めたんだけど…今もしゃんとしたしっかりしたおばあちゃんが頑張ってるのよ。」
「何の話を楽しげにしてるんだい?」お盆を両手で持ち、奥からおばあさんが戻ってくる。
「あ…、そうそう!このにおいっ。竹…親父っ、懐かしいおにぎりのにおいするでしょ?」
「親父ぃ?」肩をとんと叩く堺の目が、合わせてください。と訴える。
「がははっ、勇ちゃんはこれが大好きだったからよぉ分かったねぇ。でも、お父さんの方はあんまし来た事ねぇから、責めちゃ可哀想だ。」
目の前に置かれたお盆の上に、皿に乗った白いご飯のおにぎりが二つ。その横に袋がある。
「ほれ、これはお土産。ちと冷めたくれぇで美味さはにげんよ。こっちは冷めねぇうちに食え。」
いただきますっと言うなり堺はかぶりつく。
風にのってふわっと塩気のあるにおいがくる。
一口…んまい。もう一口。
「コンビニとかのおにぎりとは比べ物にならないでしょっ?」と言い終わる前に
「比べんのが間違ってる。ゆっくり噛むんぞ。喉につっかえたら、美味さなんか感じらんねぇ。で、何で盛り上がってたんだ?」
丸いパイプ椅子に、よっこいしょと腰掛け、食べてる姿を嬉しそうに、顔をくしゃっとし見つめている。
「ここいらのお店の事よ。今、毛糸屋の伊吹さんのお話してたの。」
「あぁ、ユメさんかい。器用だよなぁ。あんな細けえ仕事あたしには出来ね。だからか知らんけど頭がよくまわる人だよ。」
「…一度お店閉めてたんですか?」
そうそう。湯のみに入っているお茶で口を湿らせると
「いつだったか、しばらく閉まってたから、具合悪いのかと思ったけど、んなことねぇ。前よか今の方がぴんぴんよ。たまぁに孫が来るようになったからかねぇ…なんだったか
ゆいちゃんて名前だったか、勇ちゃん位の歳でスラッとした子だったなぁ。」
堺の様子が変わるのがわかった。
「最近も来ますか?」
「いや、最近はわかんねぇけど。店じまいはこん中じゃ一番早ぇから。」
腕時計を見ると、三十分も話していたようだ。
いくら世間話も含めたといえ、このままでは時間がかかり過ぎる。
堺に時間を見せ「美味しいおにぎりありがとうございました。また是非…」「……」パシッ
「ほれっ」堺は、やっと顔を上げると
「おばあさん、おにぎり美味しかった。おばさんもありがとうございます。長居してしまったので、この辺で…。」
頭を下げ店を後にする。
後ろから
「やっぱ親子だな。歳とってからん方が仲が良くなったなぁ」がっはっはっと豪快に笑う声も聞こえる。
「先程はすみませんでした。毛糸屋の伊吹ユメさんの所へ行きましょう。」
先程より早く、焦りなのか急いでる様子の堺に違和感を感じてならない。
「おいっ」後ろから肩を掴み
「さっきは急な事でみっともない姿を晒してすまなかった。時間食っちまったが、そんな急いでも焦りばかりで空回るぞ。」
肩から手を離すと、今度はゆっくりゆっくりと歩き出した。その背中に向かって
「お前の父親…家庭の事は何も知らん。
それをお前の機転で、俺が父親なんて言われて不愉快だった…」「竹内さん。違います。」
堺はこっちを向くわけでも、立ち止まるわけでもないが話し続ける。
「俺の父親は酒だけが家族みたいな人でしたから。早々とその家族とやらと共に死にました。
俺の家族は、母親と妹だけです。
それに……」
「それに…、伊吹ゆいって彼女の名前と一緒なんです。偶然でいい…ただ同じ名前なだけでもその偶然に掛けたいんです」
声が肩が、微かに震えている。
…ふぅー……
何故、感情は二つに分かれてしまうんだろうか?
幸せと不幸せ。笑顔と涙。
幸せと涙、不幸せと笑顔の組み合わせ
それは堺をそのまま表してるようで、元気な裏に脆さを感じる
…お前、抱え込みすぎだ
聞こえたかはわからない。
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