二章 黒い保護色
声
ちょっとこっちに寄っていきなさい
お茶でも飲んでさ
少し聞かせたいお話があるんだよ
今では遠の昔のこと
小学校の家庭科の教師をしていました。
簡単な料理や、縫い物
包丁や針を使うため、先生は怪我がないよう見守りながら教えます。
出来るか出来ないかなんて気にしませんし、得意不得意は誰にでもあるものです。
ですが、立場上、決められた時間内はそれを教えなければなりません。
時に厳しく言ったこともあります。
「やる気がないのなら危ないから、しなくていいのよ」と。
そうすると
言われた事が悔しいのか、ぶすっとした顔でお皿を洗ってみたり針を動かしたりしていました。
まったく楽しそうじゃないでしょう?
苦痛な時間でしかないんです。その子達にとって。
黙々と頑張る子もいましたが、もっても三十分。
あとはぼーっとするか、おしゃべり。
どうしたら楽しく学べ、苦痛がやわらぐかひたすら考えました。
あー楽しかった
この授業あるいはこの時間好き
そうみんなが思ってくれたら、それ以上望むものはありません。
例えれば、料理の味付け。
味が濃いのが好きだったり、塩っぱい甘いを小さいうちから「これは何グラムこれも何グラム」なんて決め付けていたら、一体何が育つんでしょう。
それより、個々の良さを見つけることにしました。
それは、家庭科の五十分のうち十五分を絵本を読み聞かせること。十分読み聞かせ、五分だけ思うことを聞く時間にしました。
絵本にした理由は深く考え込まないこと。わかりやすく、それでいて自分と違えば意見を言いやすいからです。
今の時代にそんな事をしたら怒られるでしょう。
でも、はじめ戸惑っていた子もちゃんと静かに聞くようになり、たったの五分で気持ちを伝えようと賑やかになりました。
決まりは十五分ですから、その後はきちんと家庭科の時間です。
今までとがらっと変わりました。
不器用ながら針をゆっくりと刺す子、ただ調理を見ていた子も、皮むきや皿洗いと動くようになりました。
いい事です。…ただ、全員がそうなる訳ではありません。ぼーっとしていると言うよりどうしたらいいかわからない様子の子もいました。
「ごめんなさいね、引き止めて。」
もういくの?と言う間もなく出て行った。
次また来た時、聞いて欲しいと思っていたが
その次は、新聞の感情の感じられない文字でだった。
教師なんて肩書きは邪魔になるだけだ。と、ただの編み物好きとしてやっていた。
身体はピンシャンしてるのが憎い程、心が追い付かなくて暫く店を閉めていたら、まさか…。
早くから遅くまで起き、同じ話をした。
孫の方は
「続きまた教えて下さいね」
なんて言ったけど、また生きた体で来ることはなかった。
私の言葉と絵本は違う。
言わなきゃと思うだけ長くなる…あんた達に話したかったのは……
ある時、一人の男の子が「せんせい…」と小さな声で授業が終わってすぐに来ました。
「どうしたの?」と。
「ぼくね、勉強できないと、ダメな子とかいらないとか言われてた。けどね、せんせいは本を読んでくれたりして、たのしくて、頑張ったんだ。そうしたら家庭科だけ成績があがってうれしかった!」
先生の顔は自然な笑顔に溢れていました。
その顔を見てか、男の子は
「ぼくは、しんでいなくなれば良かったんだって。しぬと喜ぶ?って何したらいいかわかんなかったんだ。だからね、いつかしぬまでぼくは得意なお皿ふきとか縫い物がんばるって思った。」
「せんせい、ありがとうっ」
と。
今その子が大人になり、どうしてるか分からないけど、私は信じてる。
あんた達…我儘だよ。
せめて嫌なこととか嬉しかったこと少しは教えてくれていいじゃないか。
私は、いつかまた話せる日が来るまで、元気でいるからね。…もう悔いは残したくないんだよ…生きてる間なら化けてでも来い。この続きを聞いてからにしてくれないと、私が死ねないよ…
朝方の冷えたシャッターを開ける。
あんた達がいつでも来れるようにしとくから
届く宛のない返事は私のここにある。
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