第8話

 そして、とうとうその日がやって来ました。僕は休みを取ると、彼女の言った場所へ出かけました。もちろん、途中で何度も迷いました。彼女の言う通り、七十数年の年月は越えようがありません。最初彼女が言ったように、会わない方がお互いのためかもしれません。でも、僕はあきらめきれませんでした。どんなにささやかでもいいから、奇跡が起きることを祈って、指定された場所へと歩いて行きました。

 教えられた住所を尋ね歩いて行くと、そこには小さなお寺がありました。そして山門の前に、夏の名残の木漏れ日を浴びて、若い女性が立っていました。

 彼女は僕に気がつくと、

「失礼ですが、トシオさんでしょうか。」

と僕の名前を告げました。

「は、はい。そうです。」

彼女は目を輝かせました。

「じゃあ、おばあちゃんの話は嘘じゃなかったのね。本当に、本当だったのね。」

僕はびっくりして言いました。

「ちょっと待ってください。一体どういうことですか。」

「失礼しました。でも、これが私の祖母のたった一つの遺言だったんです。今日、ここでお昼に必ず待っているように。そして、男の人が訪ねてきたら、これを渡すようにって。」

 彼女は小さな封筒を手渡しました。僕は震える手で、それを開けました。中には色あせた小さな写真が入っていました。当時流行のヘアースタイルにした、洋装の女性の写真でした。ちょっと目じりの下がった大きな目で、生真面目そうな表情をしています。緊張しているのか、ちょっと強張った微笑みを浮かべていますが、その一心に何かを伝えようとしている表情がとても魅力的なひとでした。写真の裏にはユキコとだけ書いてありました。僕はその写真を胸に抱きしめました。不覚にも涙がこぼれました。

 彼女はそんな僕をしばらく見つめていましたが、やがて静かな声で

「こちらへいらしてください。」

と言うと、僕の先に立って寺の中へ入って行きました。僕は黙って、横に並んで歩きました。しばらく歩くと、小さな墓の前に出ました。そのそばに、手桶に入った花が置いてありました。

「祖母は、ここに眠っています。どうか、花を供えてあげてください。」

彼女はそういうと、手桶をさし出しました。

 やはり、七十年という歳月を飛び越えることはできなかった。僕は、あのひとに何もしてあげることができなかった。そう思うと、涙が止まらなくなりました。僕は墓に花を供え線香をあげると、初めて知ったあのひとの名前を、そっと口にしました。

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