第6話
もう真夜中でした。僕は電話のベルの音に起こされました。
「いったい何時だと思ってるんだ。」
僕はそう思いながら、目をつぶったまま、枕元の電話の受話器を取り上げました。ところが、ツーという音が聞こえるだけです。それにベルの音は、まだ聞こえてきます。ハッとして目をあけると、壁にかかっているあの電話のベルが鳴っているではありませんか。
「そんなバカな。きっと夢でも見ているんだ。」
でもベルは何かを訴えるかのように、鳴り続けています。ふしぎと、怖い感じはしませんでした。僕は震える手で受話器を耳にあてました。
「もしもし・・・。」
聞こえてきたのは、女性の明るい声でした。
「もしもし、私よ。どうしたの、ねえ聞こえてるんでしょ。」
僕はやっと声を出すことを思い出しました。
「も、もしもし。あなたは誰ですか。いったいどうやってこの電話をかけているんですか。」
相手はちょっとびっくりしたらしく、一瞬間をおいてから、
「あらすみません。また交換手が間違えたみたいですね。失礼なことを言ってごめんなさい。それじゃ・・・。」
「待ってください。あなたは、今どこから電話しているんですか。この電話は、古道具屋で買った百年近く前のもので、どことも線がつながっていないんですよ。」
「変な冗談はやめてください。いくら間違い電話で腹を立てたからって、おかしなことを言うにもほどがあるわ。もう切りますよ!」
声の主は、相当腹を立てている様子です。僕はあわてて
「待ってください。お願いだから待ってください。信じられないのは、僕も同じです。でも、何に誓ってもいい。本当に嘘じゃないんです。いいですか、今年は1987年、昭和でいうと六十二年です。お願いです。教えてください。そちらは、今何年なんですか。」
彼女はまた話し出しました。
「ええ、いいわ。少しあなたの嘘につきあってあげる。今年は大正三年、西暦でいうと1914年よ。でも昭和ってなあに。私には、わからないわ。」
「昭和っていうのはね、大正の次にくる年号なんですよ。大正は十五年で終わってしまうんです。じゃあ、あなたのいるのは、今から七十年以上も昔ということになるんだ。」
僕は七十年も昔の相手に向かって、今の東京の様子を話し始めました。
びっしりと建ち並んだビル街のこと、あの頃の人にはたぶん想像もつかないほど背の高い高層建築のこと、道路を埋めつくす自動車のこと、満員電車や地下鉄のこと、そして、何よりもその人の多さをあれこれと話しました。
彼女も、彼女の時代の東京の様子について、話してくれました。二人とも、あまりの違いに驚いたりあきれたりしました。お互いに、くすくす笑いながら、僕たちはいろいろなことを話しあいました。時間は知らぬ間にたってゆき、僕たちはいつのまにか、自分たちのことを話しあうようになっていました。ただ、彼女は自分の名前だけは教えようとはしませんでしたが。
そして、僕は不意に気づいたのです。僕たちがどんなに打ち解けあって話しているかということに。そして、まるで同じ世界を分かちあっているみたいに、二人がどんなにわかりあえているかということに。
そうです。僕は彼女を好きになってしまったのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます