第130話 欠けたピース
帝都ブリューゼルの街は数日前からソワソワしたお祭り騒ぎの中にあった。
それもそのはずで、何かと話題の多いレオ・カンパーニ伯爵がついに皇室へ婿入りする日がきたからだ。
しかも今回はただの婚礼ではない。
有力貴族の娘を合わせ、四人もの花嫁を同時に迎えるとうのだから、人々の騒ぎも当然のものだった。
■■■
とうの昔に礼服に着替えた俺は窓辺により、グランセム大神殿の控室から中庭の糸杉を見上げた。
べつに糸杉の生態が気になったわけじゃない。
そうでもしていないと、なんとも落ち着かない気分を持て余していたからだ。
「ふふ、普段は冷静なレオがこんなに緊張するとは驚きだね」
新郎の付き添いとして来てくれているエバンス・デカメロン準爵がにっこりと微笑む。
「そりゃあ結婚だもん」
「カルバンシアではいつも数千の魔物を相手にしているのだろう?」
「俺にとっては数千の魔物より、四人の花嫁の方が緊張するよ。内外の招待客もいっぱいいるしさ」
「まあね。そうか、レオが結婚か……」
エバンスは遠い昔を懐かしむような目つきをする。
「今さら何だよ。式はもうすぐ始まるんだよ」
「みんなで、DVD! とか大合唱していたのがついこの前だったのに、ほんとうに時は目まぐるしく過ぎていくと思ってさ」
ミヤゾノ・ヒメカちゃんのイメージビデオを見てみんなで盛り上がったよな。
ほんの数年前の話なのにずいぶん昔のことのようにも思える。
ラゴウ村の幼馴染であるポンセとオマリーも当然結婚式に招待した。
今は大神殿の礼拝堂で式が始まるのを待ってくれているはずだ。
「いつかまた、男だけで集まってお酒を飲みたいね。あの時みたいにさ」
「そうだね。レオの都合がつけば僕はいつでも付き合うよ」
皇室菜園と温室の管理を任されていて忙しいはずだけど、エバンスは俺が頼むといつでも時間を作ってくれる。
今も昔も変わらず優しいやつなのだ。
ノックの音とともにアリスが姿を現した。
「お待たせいたしました、レオ様。花嫁たちの着替えが終わりましたよ。こちらへいらして、よく幸せを噛みしめて下さい。ドレスは私がS型第五世代AIの威信にかけて創作したオリジナルでございますからねっ!」
普段は無表情なことが多いアリスなのに、今日はやけにはしゃいで見える。
「はぁ~、ついにこの日がやってまいりましたね。感情が暴走気味で、さっきからチップに過負荷がかかりすぎでございますよ」
興奮気味のアリスにかえって毒気を抜かれてしまい、俺は少し落ち着くことができた。
「本当に張り切っているんだね」
「当然でございます。私が目指したトゥルーエンドがついにやってくるのですから」
トゥルーエンドねぇ……。
「本当はイルマさんやマルタ隊長も手中に納めていただきたいのですが、それはおいおい……」
「何がおいおいだ! 彼女たちに失礼だろう」
「それはどうでしょうか? お二人ともそれを望んでおられるかもしれませんよ」
「はいはい。今はそんなことは考えられないよ。4人だけでも俺の許容範囲のギリギリなんだからね」
喋りながら通路を歩き、花嫁たちの控室までやってきた。
「さあ、存分にご覧ください!」
アリスが両開きの扉を開けると、目に飛び込んできたのは純白のドレスを纏ったフィルたちだった。
「…………」
あまりの感動に言葉が出てこない。
「レオ様、お言葉をかけてあげてくださいませ」
「うん……みんな綺麗だよ」
「それでは12点でございます。もう少し気の利いたことはいえないのですか?」
「そんなこと言われたって俺は詩人じゃないんだから」
「次は詩集でも召喚してくださいませ」
そんなやり取りを見守っていたフィルがはにかみながら近づいてきた。
「こちらの準備は整いましたよ」
「レ、レ、レオは少し緊張しているんじゃない?」
君ほどじゃないよ、レベッカ。
「心の準備はいいか? 私から逃げたりしないよな? 逃げ出したとしても必ず捕まえるが」
「大丈夫だよ、アニタ。ドレスがよく似合っている」
お化粧のおかげか目の下のクマが消えていて、いつもより表情が明るく見える。
「そうか。うん、レオなら私の斬撃を受け止めてくれるはずだと信じてた」
「斬撃じゃなくて気持ちとかね」
斬撃も受けるけど。
受けなきゃ死んじゃうからね。
「そろそろお時間でございます。むっ……」
ずっと笑顔だったアリスが急に難しい顔をした。
「どうした?」
「いえ、なんでもございません」
こちらを振り向いたアリスは先ほどまでの笑顔だったので俺は大して気にも留めなかった。
ドレスにほつれでも見つけたのか?
花嫁たちの控室を出ていこうとする俺の背中にアリスがにこやかに声をかけてくる。
「レオ様、幸せになってくださいね」
「ありがとう、アリス。これからもよろしくね」
「はい」
これまでに見たこともないような飛び切りの笑顔でアリスは俺を見送ってくれた。
花嫁たちより一足先に俺は礼拝堂へと足を踏み入れた。
婚礼の儀の出席者の間を縫って、式を取り仕切る大神官の前まで進み、ここでフィルたちを迎えるのだ。
やがて後ろの正門が開き、フィルを先頭にアニタ、レベッカ、ララミーが入室してきた。
四人はゆっくりとした足取りで俺を見つめながらこちらにやってくる。
みんな晴れやかな笑顔をしていて、見ている俺の胸にも温かな感動が広がっていった。
あれ?
俺は不意に違和感を覚えた。
この感覚は何なのだろう?
落ち着かないのは朝からずっとそうだけど、これは今までの感じとは何かが違う。
当然ある物がないような、大切なピースの欠けた空間が目の前に広がっている。
俺は気になって周囲を見回した。
席には皇帝陛下やシリウス皇太子をはじめ、皇族や貴族たちの顔が見える。
違う。探しているのはそんな人たちじゃない。
っ!
わかった。
アリスがどこにもいないのだ。
どこかに隠れている?
いや、そんな必要はないだろう。
アリスはある意味俺以上にこの日を待ち焦がれていた。
本来ならフィルのウェディングベールの裾を持つ、ベールガールを務めるはずだったのだ。
だが、今ベールガールをしているのはイルマさんだ。
どうしよう、このまま式を進めてしまっていいのか……?
俺の戸惑いをよそに、フィルたちも大神官の前まで到着した。
俺は小声でフィルに話しかける。
「アリスは?」
「それが突然いなくなってしまって……」
フィルも異変を感じたのだが、とりあえずイルマさんに代役をしてもらったようだ。
「レオは何も聞いていないのですか」
「おかしいよ。アリスが無断でいなくなるなんて」
俺たちの会話に焦れるように大神官が割って入ってきた。
「カンパーニ殿、そろそろ式を始めたいのですが」
礼拝堂には皇帝陛下をはじめとした国中の重鎮が揃っている。
これ以上結婚の儀を遅らせるわけにはいかない。
普段の俺なら促されるままに儀式を進めてしまったかもしれない。
だけど……。
「フィル、みんな、ごめん……」
「どうしたの、レオ?」
謝る俺をフィルたちはじっと見つめてくる。
「やっぱり気になるんだ。だって、アリスがここにいないなんてことはあり得ないから」
なかなか始まらない式に会場がざわつきだしたけど、俺の花嫁たちは落ち着いていた。
「レオはアリスを探すべきだと判断するのですね?」
フィルの質問に俺の迷いは消えていた。
「うん」
「仕方がありませんね。出席者には少し待っていただいてアリスを探しましょう」
フィルはどこまでも優しく冷静で大胆だ。
本来皇帝陛下を待たせるなんてことはあり得ない。
場合によっては皇族でさえ処罰を受ける可能性があるというのに……。
「レオがそうしたいのなら好きにしろ。私は構わん」
ありがとう、アニタ。
「しょうがない夫ね。まあ、許してあげるけど」
ありがとう、レベッカ。
「半径12キロ以内にいるのなら通信機で連絡が取れるはずですよ。早い方がいいでしょう」
ありがとう、ララミー。
俺は四人に感謝しながらポケットの通信機を取り出した。
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