第113話 月下の疾走

 陛下の元を辞して雑用を済ませていく。

マシュンゴの手紙の配達を頼んだり、ララミーの忘れ物を取りに行ったりと、やることは多い。

ブリューゼルに残っている連絡員に必要事項を伝えると、時刻はもう3時になろうとしていた。

今すぐに出立すれば今日中にカルバンシアに帰ることはできるだろう。


 とりあえずアリスに連絡を取ろうと亜空間の入り口を開いた。

扉を開けたままなら、スカイ・クーペの通信機が使えるのだ。


「アリス、レオだけど」

「どうなさいましたか?」

「今からブリューゼルを出るよ。そっちはどう、変わったことはない?」

「それが……大事件が起きました」


 なんだって、俺がいない間に何が起こったんだ?


「どうしたの? フィルは無事なの?」

「殿下のことは心配ございません。私が鍛えた特戦隊バトルメイドチームが常におそばを守っておりますから。ただ、気を落ち着かせて聞いてくださいませ。……イルマさんの下着が盗まれました」


 はえっ?


「しかも上下セットのシルク製、色は薄紫でございますよ!」


 アリスの憤慨している様子が通信機のむこうからピンピンと伝わってくる。

まあ、事件と言えば事件だけど……。


「それだけ?」

「それだけとは何でございますか! 自分の女の下着が盗まれたのですよ。レオ様は何とも思わないのですか!?」


 いや、イルマさんは俺の女じゃないぞ。

優しいお姉さんって感じはしているけど。


「姉ちゃんの下着がっ⁉ といった感じに驚きながらも憤慨していただかないと困ります。シスコン・ブラコンは人生に潤いをもたらす大事な要素なんでございますからねっ!」


 あーはいはい。


「犯人は既に私が確保して、関係機関に引き渡しておきましたのでご安心を」


 アリスが相手では下着泥棒も逃げきることはできないな。


「それは……ご苦労様。他に事件は?」

「マクロ的に言えばカルバンシアで異変は起きておりません。私が衛星ネットワークで監視しておりますので、どうぞご安心ください」


 ハチャメチャなところもあるけど、アリスは北の守護神みたいになっている。


「ありがとう、アリス。それじゃあ、そろそろ出発するよ」

「あっ、レオ様」


 通信を切ろうとしたらアリスから待ったがかかった。


「どうした?」

「できたら買い物をしてきてくださいませんか?」

「何か必要なものかい?」


 帝都ならカルバンシアでは手に入らないようなものがいろいろあるからね。


「はい、イルマさんの新しい下着でございます」

「はあっ?」

「現物は取り返しましたが、人手に渡ったものを履くのはイルマさんも嫌でございましょう? いい機会ですから、レオ様から新しい物をプレゼントするのでございますよ。もちろんレオ様の趣味全開のもので構わないのですよ。ティー・ティー・ティー!」


 Tバックが好きなのはポンセであって俺じゃない。

いや、俺もオマリーもエバンスも好きだけどさ。


「嫌だよ! 恥ずかしくてそんなところ行けるか!」

「変装セットを使って女装すればいいではないですか。男の娘のレオ様……、ダメ……回路がショートしそう……」


 ブチッ!


 問答無用で通信を切った。

さて、帰るとするか……。



 帝都の空を飛ぶわけにはいかないので、いつものようにホバーボードで郊外の森まで向かうことにした。

スカイ・クーペを走らせてもいいんだけど、道が込み合っていてスピードが出せない。

その点、ホバーボードなら馬車や人の間をすり抜けていけるので便利だ。

それに露店で売っている物が見えたり、屋台の匂いなんかも感じられたりするから楽しいんだ。

今だって路地の向こうから串焼きの玉ネギと脂が焦げるいい匂いがしている。

こっちはスパイスのきいたスープの香りだ。

そんないい匂いに包まれているだけで幸せな気分になっちゃうよね。

スピードを出し過ぎないように気をつけながら夕方のブリューゼル繁華街を抜けていった。


 途中で下着を売る露店も見つけたけど、無視だ、無視! 

一人で堂々と下着が買えるほど俺の精神は強くない。

身体強化魔法で極限まで動体視力を上げて、チラ見だけにとどめておいた。

後学のためにね……。


 そんな俺の目に、夕焼けを反射するペンダントの光が映った。

なんだかやけに気になって、ホバーボードを止めて露店へと近づく。


「いらっしゃいませ騎士様。うちは職人の息子が作った宝飾品を私が売っているので、仲買人を通しておりません。その分お安くなっておりますよ」


 店主のおばあさんが少し誇らしげに教えてくれた。


「この薄緑色の石はなんですか?」


 先ほど目に留まったのは薄緑色の宝石をあしらったペンダントだった。


「それはペリドットですよ。なかなかよい仕上がりでしょう?」


 銀で出来た雫型の台座に納まったペリドットはアリスの瞳と同じ色をしていた。

だからかな? 

一目見たときから気になって仕方がなかったのだ。

思えばアリスにはいつも世話になっているのに、ろくにお礼も言えてないよな。

たまにはきちんと感謝の言葉と贈り物をしたい。


「これ、いくらですか?」

「こちらは台座にミスリルを使っておりますので少々お高くなりまして……7万レナールです」


 露店の買い物にしては随分と高価だ。

俺が貴族の身なりをしていたから吹っ掛けてきたのかな? 

だけど値段交渉をする気にはなれない。

アリスのために言い値で買ってもいいような気になっている。


「わかりました。これを下さい」


 おばあさんは少しだけ驚いた顔をしたけど、保管バッグや磨き粉などのオマケをつけてくれた。


「きっと大切な方へのプレゼントなのですね」

「はい……」

「贈られた方はお喜びになると思いますよ」


 そうだといいな。

金を支払って胸ポケットにペンダントをしまうと、そこの場所がウズウズとして、落ち着かない気持ちになってしまった。

ウキウキとソワソワが同時に体を包み込んでいる。

早くカルバンシアに帰りたくなって、少しだけホバーボードのスピードを上げた。



 カルバンシアに帰りつけたのは夜も更けてからのことだった。

城の中庭にスカイ・クーペをおろすと、フィルとアリスが出迎えにきてくれていた。


「お帰りなさい、レオ」

「レオ様、お帰りなさいませ」


 二人の姿を見て、俺の居るべき場所はここなんだと実感する。


「ただいま、フィル、アリス」

「アリスがレオの場所をモニタリングしてくれたおかげで、食事もお風呂も用意できていますよ。どちらを先にしますか?」


 お腹はペコペコだけど、先にお風呂に入ってさっぱりしたい。

アリスに案内してもらってバスルームに向かった。


 バスルームは城の1階にある、石造りの部屋だ。

部屋の中央にバスタブが設置されていて暖かそうな湯気が立っていた。


「スキャン完了。水温41度、ちょうどいい湯加減となっております。どうぞお入りください」

「ありがとう、アリス。後は一人でできるから」


 そう言ったのに、アリスはいっこうに出ていく気配を見せない。

じっと俺を見つめたままその場に居座っている。


「……なにしてるの?」

「見守っております……」

「アリスがそこにいると脱げないんだけど?」

「男の子がだらしないぞっ! バーンと脱いじゃえっ! ……で、ございます」


 いつもの病気か……。


「そんなこと言われたって――」


 アリスを追い出そうとしたんだけど、ちょうど上着のポケットに入れたプレゼントのことを思い出した。


「はぁ……。アリス」

「何でございましょうか?」


 表情に乏しいアリスの顔がじっと俺を見上げた。


「これ、アリスにお土産だ。その……いつもありがとう」


 ペリドットのペンダントが入った柔らかい布袋を手渡すと、アリスは小さく首を傾げた。


「開けてみて」


 促すと器用な手つきで袋を開いていくのだけど、ペンダントトップが現れるとアリスの目が少しだけ見開かれた。


「これは……」

「綺麗だろう? アリスの右目と同じ色をしているよね。きっと似合うと思って買ってきたんだ」

「……」


 アリスは黙ったまま、ペンダントを抱きしめるようにして俯いている。

気に入ってくれたのかな?


「レオ様、ありがとうございま、ま、ま、ま、ま」

「アリス?」


 なんか様子がおかしかったけど、アリスは静かにお風呂場から出ていってしまったぞ。

普段なら裸を見せろとか、背中を洗わせろとか、もう少しごねるのに……。

ペンダントを身につけてくれたところを見たかったのに残念だ。

でも、それは後にして今はお風呂を先に済ませてしまおうか。



その晩、月下のカルバンシア国境線を猛スピードで疾走する一体のオートマタの姿があった。

彼女の行動に意味はない。

ただただ、S型AIの小さな暴走であった。

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