第111話 男爵・伯爵
興奮状態のアニタを何とか落ち着かせて、話の出来る状態まで持っていく。
それだけで一苦労だ。
これでまともな結婚生活なんて営めるのだろうか?
不安になっちゃうよ。
「なあ、アニタは俺と結婚してもそんな感じなのかな?」
「ほえっ?」
突然の質問に、アニタは呆けたようにこちらを見つめた。
「だってさ、これからはもっと一緒にいる時間が増えるだろう? アニタの部屋を訪ねる機会だって多くなると思う。だけど、そのたびにこんな殺伐とした雰囲気じゃ神経が参っちゃうよ」
朝の挨拶をするたびに「剣を抜け!」じゃ、俺の身がもたない。
「殺伐? 私なりの愛情表現なのだが?」
そうかもしれないけどさ!
「だって、気を抜くとアニタは寸止めしないだろう?」
「他の者ならともかく、レオなら避けるか受け止めると思って……」
「だからって思いっきり振りぬくなよ。死んじゃうんだぞ!」
「レオが死んじゃう? いなくなる……。それは……ダメだ」
ようやくわかってくれたらしい。
「戦うのは訓練のときだけ。こんなところじゃだめだからね。約束してくれないとおちおち遊びにも来られないよ」
「す、すまん。レオが来てくれたと思ったら興奮して何も考えられなくなっていた。もうしない! しないから……また……遊びに来てほしい……」
「まあ、わかってくれれば……」
困惑しているアニタを見て俺も動揺してしまった。
だって、あの死神アニタが動揺しているんだもん。
こんな反応は予想外だ。
なんだか新鮮でカワイイとさえ思ってしまった。
「そうだ! 来客のときはもてなしをしなければならなかったな。えーと、ど、どうすればいいのだ?」
いきなりアニタがまともになった!?
「いや、おかまいなく」
「……っ! 飲み物か! うむ、私も訪問先ではいつも紅茶を出されている。さっそく飲み物を持ってこさせよう!」
アニタが常識的になっているのはいいことだけど、用件を先に伝えたい。
陛下は忙しい方だから、なるべく早く依頼を伝えておきたかった。
「待ってくれ、アニタ。今日は頼みたいことがあって来たんだ」
「頼みたいこと? おお! 訓練か? 組手か? 試合なのか⁉」
嬉々として叫びながら腰の剣に手をかけている。
コイツ、やっぱり反省していないな?
一瞬でも死神をカワイイと思ってしまうとは……。
「そうじゃなくて、内密に陛下へ謁見したいんだよ。アニタから話を通してくれないか?」
「な~んだ、そんなことか。つまらん。まあ、レオの為ならやるけど」
「悪いな。実はスカイ・クーペのことを報告しておこうと考えているんだ」
「ああ、あれか」
アニタはどうでもよさそうな態度で頷いていた。
「いつまでも黙っているのはまずいという判断だよ」
「そうかもしれないが、あんなおもちゃを与えたら陛下の暴走が止まらなくなるぞ? 今度こそマインちゃんの胃に穴が開くな」
ただでさえフットワークの軽い陛下がますます行動的になってしまうか。
マインバッハ伯爵の悩みの種を増やすのは申し訳ないが、スカイ・クーペは陛下と帝国の役に立つアイテムであることは間違いない。
さて、どうしたものか……。
「誰だ⁉」
壁の向こう側に気配を感じて、思わず声を上げてしまった。
どうやら俺たちの会話に聞き耳を立てていたようだ。
相手によっては捕縛しないといけないかもしれないと考えたが、一緒にいるアニタはのんびりとした態度を崩していない。
コイツだってあの気配を感じないわけがないのに……。
アニタはゆっくりと立ち上がり、壁に少し近づいた。
「恋人同士の語らいを邪魔しないでいただきたいですな。盗み聞きとはいい趣味とはいえませんよ、陛下」
陛下だって?
アニタの正面の壁が音もなくスライドし、現れたのは皇帝プテラノ二世その人だった。
俺は慌てて膝を折る。
「よいよい。隠し通路を通っていたら、アニタとレオの声が聞こえたのだ。イチャついているようだったからわくわくしながら聞いていたのだが、どうやら余に話があるようだな」
ワクワクって……。
心の中でだけ陛下にツッコミを入れておく。
皇帝にリアルツッコミを入れられるのはベルギア帝国ではただ一人、アニタ・ブレッツだけだ。
「余もレオに話があったのだ。ちょうど良い機会だが、レオの話は長くなるか?」
「取り扱いに判断を要するアイテムを召喚いたしました。お喜びいただける品かと存じますが、表立って献上してよいか迷っております。それで内々にご披露しようと考え、ブレッツ卿に協力をお願いしていたところです」
陛下の目がいたずらっ子のように輝きだしている。
「ならば余の話を済ませてしまってからじっくりレオの話を聞こう。そなたの伯爵位の話だ」
そういえば、人工魔石製造実験を成功させたときにそんな話が出たな。
「ルプラザ地方の南部を割譲して伯爵位をつけることで話が決まったぞ。今後は南ルプラザ伯爵レオ・カンパーニを名乗るとよい」
ベルギア帝国において爵位は領地につく。
たとえばバルモス島を治めるのは男爵だから、俺はバルモス男爵レオ・カンパーニだ。
ちなみにバルモス男爵の地位は島を没収されない限り消えることはない。
だから、バルモス男爵であり南ルプラザ伯爵でもあるという状態になる。
「過分なご褒美を頂戴いたしまして恐縮でございます」
「何が過分だ。本当はルプラザをまるまるくれてやっても惜しくないほどの功績だがな……世の中には嫉妬深い者が多い」
ルプラザの中心は北部最大の港がある北ルプラザだ。
ルプラザ港は収入の多い直轄領なので、そこを割譲すると俺に対する嫉妬が集まり過ぎるという判断だな。
しかも、その嫉妬は帝国貴族たちからというより一部の皇族からだと思う。
皇太子のシリウス様は俺を可愛がってくださるけど、第二皇子のノック殿下がなぁ……。
露骨に俺のことを避けている。
成り上がりの平民は嫌いみたいだ。
「陛下のお気遣いに感謝いたします」
南ルプラザか……。漁業と農業が盛んで、リンゴを使ったお酒が名産品だ。
海岸線には小さな漁港が点在していて、大きな港町はなかったと記憶している。
とりあえずルプラザ港へ魔導鉄道をつなげて、主要港を建造かな……。
「ふん、レオに任せておけば南ルプラザは発展する。そうなれば直轄領たる北ルプラザにも恩恵があるだろう。魔導鉄道を繋げるならすぐに許可だけは出してやるからな」
陛下には俺の考えなどとっくにわかっているのだ。
「フィリシアがカルバンシアへ帰還する前に公にする予定だ。レオもお披露目パーティーの準備をしておくように」
「承知いたしました」
今フィルが宮廷にいないことを陛下は知らない。
まさかカルバンシアまで日帰りできるとは考え付きもしないだろう。
それもこれも、これからお披露目するスカイ・クーペのおかげだ。
「余の話はこれで終わりだ。さて、レオの話を聞こうか。新しい召喚物のことであったな」
陛下の瞳がまたキラキラと少年のように輝きだした。
「実はとんでもない物を召喚いたしました」
「そうか、とんでもないものか! クックックッ、して、どういったものだ?」
「一言で言えば空を飛ぶ馬車のような乗り物です。アリスは飛行自動車と呼んでおりました」
輝きだした目が、今度はクワッと見開かれた。
「飛ぶ馬車だと⁉ 面白そうではないか! すぐに見せてもらおう。どこにある?」
「それなのですが、私は自分の召喚物を亜空間という場所にしまえるようになりました。陛下がフィリシア殿下にお貸ししていらっしゃるインベントリバックのような感じです」
この際だから、陛下にはこれくらいの情報開示をしてもいいよね?
近いうちに義理の父親にもなるんだし、俺は陛下のことが好きだし。
「それでは、すぐにでも取り出せるのだな?」
「はい。ですがここで取り出すわけにもまいりません。どこか人目につきにくい適当な場所を探しませんと」
「だったら、飛竜の発着場所がいいのではないか?」
ずっと黙っていたアニタが突然声を上げた。
「それはいい考えだね」
屋上の一角にある発着場ならスカイ・クーペを置くスペースはじゅうぶん確保できる。
しかも、あそこは外部の人間が来ることは滅多にない。
「よし、さっそく発着場へ行こうではないか!」
陛下は元気よくドアへ向かって歩き出した。
「マインちゃんに話を通さなくてもよろしいのですか? また、怒られますよ」
珍しくアニタが陛下をお諫(いさ)めしている。
といっても、陛下の為というよりは自分が叱られるのが嫌だからなのだろう。
陛下とアニタはセットで叱られることが多い……。
「誰がマインちゃんだ」
隠し通路の奥から重々しい声が響いてロイヤルガードのリーダーが姿を現した。
「おお、マインバッハ。今ちょうどお主を呼びにやろうとしていたのだ。なあ、レオ」
「は? はあ……」
嘘の片棒を担いでしまった……。
「資料を取ってくると仰せになったままお帰りにならないので探しに来たのです。どうされたのですか?」
マインバッハ伯爵の視線が鋭い。
「うむ。飛竜の発着場へ向かうのだ。緊急の案件であり、ことは極秘に進めなければならん。マインバッハよレオの召喚物を見たらお主も腰を抜かすぞ」
陛下の興奮を見て、マインバッハ様が俺の顔を真剣に見つめてきた。
スカイ・クーペは帝国の秘宝になりうるアイテムであることは確かだ。
完全な嘘ではないから俺も頷いて見せる。
それでようやくマインバッハ伯爵も納得してくれたみたいだ。
「至急用意をさせましょう」
伯爵は俺のことを信用してくださっているようだ。
先日プレゼントした胃薬が効いているのかな?
この人も苦労しているからなぁ……。
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