第101話 右を見るな、真っ直ぐ進め
自室を飛び出して当てもなく廊下を歩いた。
城で働く人々はまだ起きだしたばかりだ。
朝食までには時間があるし、仕事をするには書類をとりに部屋へ戻らなければならない。
自室に戻ってアリスが胸から絆創膏を剥がしている場面に出くわしでもしたらたいへんだ。
アイツなら俺が戻ってくるタイミングを見計らってわざと見せつけてくることだって考えられる。
ララミーはもう起きただろうか?
ふと、そう考えた。
彼女に渡すソロモンの指輪は召喚済みだ。
ララミーは基本的に夜更かしなので朝が弱い。
この時間に起きているかどうかはわからないけど、今ならば誰にも邪魔されずに指輪を渡せると思った。
結局、俺はララミーの部屋の前でうろうろすることになってしまった。
はっきり言って不審者だ。
ドアに耳をつけて室内の様子を探ってみたけどララミーは眠っているようで物音一つしない。
いっそ出直そうかと考えた時、「うーん……」と、ノビをするような声が微かに聞こえてきた。
それでもドアをノックする気にはなれない。
まだ着替えもしていないだろうし、起きたての女性の部屋を訪問するなんてとんでもなく失礼だということにようやく気がついたのだ。
今日は帝都に戻るので時間はあまりないけど、指輪を渡すだけならすぐに済む。
朝食の後にでも時間を作ってもらえばいいか……。
そう考えてここから立ち去ろうとした瞬間に目の前の扉が開いた。
眠たそうなララミーの半眼がゆっくりと見開かれた。
「……カンパーニ殿!」
「おはよう……」
バタンッ!!
大きな音を立てて目の前の扉がしまった。
ララミーはいつもの暗灰色のローブを纏って、髪の毛もぼさぼさだった。
普段と大した違いはないけど、不意打ちをかけてしまったようで気が重い。
「こんな早朝にごめん」
「お、おはようございます。何か御用でしたか?」
ドア越しに聞こえてくるくぐもったララミーの声が震えている?
「ちょっと渡したいものがあって」
「あっ……」
「うん、昨日約束したソロモンの指輪……」
数秒間の沈黙が流れた。
「カンパーニ殿。私に3分、いえ、5分のご猶予を下さい! すぐに準備いたしますので」
「急いでるわけじゃないから朝食の後でも――」
「いえ!! 今がいいのです。すぐに準備いたしますので!!」
ドアの向こうから何かが崩れ落ちる音がした。
たまに「きゃっ」とか「どうしよう、どうしよう」なんて声も聞こえてくる。
本当に悪いことをしてしまった。
アリスに坊やだと馬鹿にされても仕方がないよ。
ララミーは5分と言ってたけど実際はそれ以上かかっていたと思う。
だけどそれについての文句はない。
俺が悪いんだから。
いつしか静まり返ったララミーの部屋の前で俺は直立不動で待っていた。
そして、扉が開きララミーが姿を現し、俺は我が目を疑った。
目に痛いほどのピンク色、ヒラヒラのスカートはとっても短く、手にはマジカルステッキをギュッと握りしめられている。
……なんで魔法少女のコスチューム?
しかもララミーは目に涙を浮かべていた。
「カンパーニ殿……まともな服がありませんでした。宮廷魔導士の官服さえも帝都に忘れてきてしまい……」
それでその恰好か。
変身のおかげでぼさぼさだった髪の毛もきちんと結い上げられ、顔にはうっすらとメイクまで施されている。
輝くような唇に少しだけ見とれた。
「ど、どうぞお入りください」
緊張した顔のララミーに室内へ招き入れられた。
大急ぎで片付けたのだろう。
部屋の中は意外にもこざっぱりしているが、窓から差し込む朝日に大量の埃がキラキラしていた。
きっと次の間に要らない荷物を詰め込んだに違いない。
まだ荷解きをしていない木箱がいくつか部屋の隅に積まれていた。
あれには全部魔道書が入っているはずだ。
「魔道書や研究書は忘れなかったのですが、服を詰めたトランクを自室に忘れてきたようです……」
この世の終わりのような顔をしたララミーを慰める。
「心配しないで。トランクは俺が届けてあげるから」
「申し訳ございま……」
ララミーがどんよりとした表情のまま下を向いてしまった。
「どうしたの?」
「あの部屋をカンパーニ殿に見られると考えたら……」
ララミーの部屋が雑然としているのはいつものことだ。
今さら恥ずかしがることもないだろうに。
下着とかだってその辺に置いてあるのを何度も目撃している。
「なるべく部屋の中は見ないようにするよ。トランクだけを持ってくるからね」
「ううっ、お願いします。さすがの私でも礼服一つない生活は少々まずいので……」
帝都ほどではないにしろ、カルバンシア城でだって晩餐会くらいはあるのだ。
正装が基本だからマジカルステッキで変身するわけにもいかないもんね。
それにしても魔道書の類は忘れなくても服をまるまる忘れてきたというのが本当にララミーらしい。
俺たちの間に再び沈黙が訪れた。
気まずい雰囲気を払拭するように俺は指輪を取り出した。
「ララミー、これがソロモンの指輪だよ」
「はい……」
ララミーは俺から視線を逸らして指輪を見つめた。
「俺たちの関係がどうなるかはわからないけどーー」
「言わないで。私も貴族の子女です。自分の結婚が自らの意思でどうこうできるとは思ってはおりません。もしかしたらこれはカンパーニ殿の意に沿わない展開なのでしょう。ですが、私はこの指輪を頂けることを本当に嬉しく思うのです」
ララミーはほとんど泣き出しそうな声を出していた。
「ララミー、違うんだ。俺は……君が好きだ。第二魔道研究室で過ごしてきた日々を通して俺は君に惹かれたんだ。人工魔石が結晶化していくように君への気持ちが次第に大きくなっていった」
ララミーの両眼から大きな涙の粒が零れた。
「この指輪を受け取ってくれる?」
「はい……」
二対の指輪をララミーの両手の薬指にはめてあげた。
「嬉しい……。これでカンパーニ殿と離れ離れになっても我慢できます……」
今日には帝都に帰らないといけないからね。
正式にカルバンシアへ帰還するまで後一ヶ月以上はある。
でもちょっと待ってほしい。
「ララミー、三日後にはまた戻ってくるよ。君のトランクも届けなくてはいけないし」
「そうでした!」
再びララミーが真っ赤になって俯いてしまう。
そして上目遣いで俺を見上げてきた。
「カンパーニ殿……」
「うん? どうしたの?」
「お願いがあるのです」
「改まってなに?」
ララミーの懇願が始まった。
「私の部屋に入っても決して右側の壁は見ないでほしいのです。トランクは窓際の椅子の横に置いてあると思いますが、それを取りに行く間も絶対に右側をご覧にならないでください」
「構わないけど、そこまで念を押されると気になっちゃうね。思わず見ちゃったりして」
笑って揶揄うとララミーは真っ赤になって首と手をブンブンと振った。
「絶対にダメですからね! カンパーニ殿との婚姻を考えながら厳選に厳選を重ねた勝負下着がかけてあるのです。初夜までのお楽しみですからっ!」
そ、そうですか……。
「約束する。絶対に右側は見ません」
俺の返事にララミーは少し疑わしげに頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます