第84話 疲れに効きます
新しい年が始まり俺たちは毎日を忙しく過ごしている。
昼は人工魔石計画の策定、夜はパーティーを中心とした社交三昧の日々である。
今も大物貴族を交えた重大な会議が終わったばかりだ。
だけど陛下はかなり不機嫌な顔をしている。
おそらく貴族たちが人工魔石計画の資金を拠出するというのが気にくわなかったのだろう。
普通は資金が調達できるのは喜ばしいことなんだろうけど、今回はそうでもない。
資金を受け取るということは、それに見合った配当を渡さなければならないということでもある。
本当は帝室の金だけで開発をすすめたかったというのが陛下の本音だろう。
しかし、いくら中央集権化がすすんだベルギア帝国でも大貴族の意向を無視できるほど皇帝の力は完全ではない。
陛下がどれだけ優秀な皇帝であっても帝国の版図は広すぎるのだ。
大物貴族の協力なくして帝国の政治経済は成り立たないというのも事実だった。
「結局、カルバンシアから帝都までの魔導鉄道の敷設は貴族側が請け負うことになってしまったね」
「そうね。でも、それくらいは仕方がないと思うわ」
フィルはそう言ったけど、陛下が聞いたら「甘いわっ!」と怒りだしそうな気がする。
俺も最近になって宮廷というのがどういう場所なのかわかってきた。
ここは絢爛たる戦場なのだ。
気を抜けばすぐに食い物にされてしまうようなところだ。
フィルは優しいから、すぐにつけ入られてしまいそうで怖くなるけど、だからこそ俺がしっかりしないとね。
魔石を運ぶための新たな大陸縦断鉄道の資金は貴族たちが拠出することになった。
カルバンシア城伯爵のフィルとしては、自分の領地の路線は自分たちに任せてもらえる。
当然、税金を差し引いた通行料はフィルの取り分だ。
鉄道が通ればお金が入るし、その沿線は確実に発展していくだろう。
貴族たちは何が何でも自分たちの領地にレールを通したいと躍起になっていた。
一方で人工魔石プラントは完全に帝室の管理下に置くことを陛下は貴族たちに納得させることに成功している。
陛下もこれだけは譲れなかっただろうし、帝室管理の前提がなければ北方開発はしないとまで言い切ったので貴族も従わざるを得なかったのだ。
いずれにせよ領地に鉄道が通る貴族にとっては旨味しかない話だった。
貴族たちは何が何でも自分たちの領地にレールを通したいと躍起になっていて、俺たちを敵視する者は今のところ現れていない。
とはいっても、これはうまく国境線を押し上げ、魔物との生存圏を分ける壁を構築できればの話だ。
計画では既存の壁から24キロほど凸型に増築をして、その中にプラントを作る予定だ。
当然ながら大規模な派兵となるだろう。
とりあえずの先遣隊として3000人がカルバンシアへ派遣されることになっている。
しかもその先遣隊を率いるのはレベッカに内定していた。
レベッカは左翼府総監の任を解かれ、新たに千鶴将軍(せんかくしょうぐん)という地位についている。
これは将軍位としては最低ランクではあるけれどレベッカの年齢を考えれば異例の出世だ。
メーダ子爵家の本家筋、レブリカ侯爵家の意向があったのは言うまでもないが、俺の婚約者として、どこぞからの忖度があったのものとも思われた。
「はぁ……」
自室に戻ると大きなため息をついてしまった。
去年まで小さな農村の少年だったのだ。
それがいきなり宮廷闘争の中にいるのだからため息の一つもつきたくなるというものだ。
「お疲れのようですね」
アリスが俺の頭をなでなでしてきた。
「子どもじゃないんだから……」
「吸っときますか?」
今度は小さな胸を突き出してくる。
念のために言っておくけど服は着たままだよ……。
「赤ちゃんでもないし……」
「おかしいですね。気落ちした男にはこれが一番効くとデータにはあるのですが。情報の不正確さを石川播磨灘重工にフィードバックしておきましょう……」
溜息しか出てこないよ。
「本当に元気がありませんね。私の小ネタを皆殺しにしていくではございませんか」
黙殺はいつものことだけど、実際のところ少し疲れているのだと思う。
俺だけじゃなくてフィルもきっとこんな感じじゃないのかな。
決して表には出さないけど……。
「俺もフィルも息抜きが必要かもしれない」
「そうでございますね。次の休みに遠乗りなどされてはいかがですか?」
馬に乗って郊外にでも行ってみるか。
少し寒いかもしれないけど自然に囲まれた場所の空気を吸えばいい気分転換になるだろう。
「いいね。フィルに相談してみるよ」
「今晩はレブリカ侯爵家のパーティーですから元気を出してくださいね」
レベッカの大叔父にあたるレブリカ侯爵は、愛想はいいんだが狡猾そうな人で苦手なタイプだ。
遠乗りの話で少しだけ晴れかけていた気分がまた少し重くなった。
疲れた表情を出さないようにしていたのだけど、馬車の中ということで少し油断していたようだ。
レブリカ侯爵家へ向かう途中でフィルにまで心配をかけてしまった。
「レオ、大丈夫ですか?」
「す、すみません!」
「無理もないですわ。宮廷とは気の抜けないところですから……」
フィルだって疲れているのに気を遣わせてしまった。
もっとシャンとしないとな。
「殿下の方は大丈夫ですか?」
「私は平気です、と言いたいところですが正直なところ少々まいっていますね」
フィルも疲れたような笑顔を見せてくる。
「いかがですか、次の休みに遠乗りでも?」
「それはよい考えですわ。リスニア湖の方にでも行ってみたいです」
リスニア湖は風光明媚な谷あいの湖で、貴族の遠乗りの定番コースでもある。
この季節は湖が凍るのでスケートを楽しむことだってできる。
「時間を調整してみましょう。警備は特戦隊が行いますので」
「ええ。楽しみね、レオ」
そう言ってフィルは心から嬉しそうな顔をしてくれた。
遠乗りより何よりもフィルの笑顔に癒される俺だった。
美辞麗句、美酒と美食で飾られた権謀術策渦巻くパーティーは夜遅くまで続き、宮殿に帰り着いたのは深夜のことだった。
フィルを寝室へと送り、自分のベッドにたどり着いたのは深夜の1時だ。
ダンスの時についた香水の移り香を落としたかったけど、お湯を沸かす気力もない。
アリスがいなかったらそのまま寝てしまっていただろう。
「ちゃんと着替えてから寝てくださいね。ここに洗顔用のお湯をもってきましたから」
「ありがとう。助かるよ」
俺が脱いだ制服にアリスが鼻を寄せていた。
「香水の移り香がブレンドされて凄いことになっています。その昔に存在した女子大という場所の匂いはこんな感じだったのかもしれません」
「女子大?」
「女子たちの学び舎です」
異世界にはそんなところがあるのか。
「夏の暑い日には、汗と複数の化粧品の匂いが入り混じり、さながら地獄のようであったという文献が残されております。その匂いに耐え切れずに転職した講師さえもいたとか……」
女性の学び舎だなんて秘密の花園みたいな想像をしてしまったけど、現実は恐ろしいものなのかもしれない。
「これは私が洗濯しておきますのでゆっくりとおやすみくださいな」
「それはありがたいんだけど、肌着の匂いを嗅ぐのはやめてくれないか?」
「オートマタは主人の匂いを嗅ぐと安心するのでございます」
犬や猫じゃないんだから……。
アリスは出ていってしまった。
追いかけて肌着を取り上げる気力もわかないから、このまま寝てしまうとしよう。
…………………………。
「おはようございます」
さっき出ていったはずのアリスがもう戻ってきたと思ったら、朝が来ていた。
「……もう朝なの?」
「そうでございますよ。『元気な妹』『ご奉仕メイド』『素敵なお姉さん』の三種類から起こし方を選択できますが、どれがよろしいでしょうか?」
「普通でいいから……」
「つまり素のままの私がお好みであると」
そうは言っていない。
言ってないけど、実はそのとおりだから始末が悪い。
何も語らないアリスの瞳が俺の気持ちを見透かしているようで顔をそむけてしまった。
それにしても朝が来るのが早い。
まだ夜は明けていないがグズグズしているわけにはいかないな。
亜空間からゲーター・トルネードを取り出してゴクゴクと飲んだ。
体力と魔力が回復したぞ。
反射速度も微上昇したはずだけど体感できるほどじゃない。
その代り水分が細胞の一つ一つに吸収されていくような感覚を味わった。
「スポーツドリンクのおかげで気分がスッキリしたよ」
「それでは着替えを済ませて本日の召喚をしてしまいましょう」
今日もやることは山積みだ。
仕事だけじゃなくて、フィルとの遠乗りの準備もしなければならない。
警備の問題もあるので、ちょっと遊びに行くのだって皇女殿下となると大事なのだ。
今のうちにプライベートなことは済ませておかないとね。
「豊穣と知恵の女神デミルバとの約定において命ず。異界のモノよ、我がもとにその姿を現せ!」
(ピンポーン♪ 召喚物を置くスペースが足りません。もう少し広い場所に移動してください)
久しぶりに大物がきたようだ。
これはフィルにも立ち会ってもらった方がいいかな。
フィルと合流した俺たちは庭園の端でキャンセルした召喚魔法を再度試していた。
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名称 スカイ・クーペ
説明 豊橋自動車工業の飛行可能四輪車。新型反重力浮遊装置を搭載。垂直離陸が可能なので滑走路を必要としません。完全自動制御が可能で安定した走行と飛行を楽しめます。気分に合わせてクリック一つで選べるボディーカラー! レベル5の安全基準を満たしております。クラス最高モデル。一つ上の上質を貴方へ。
走行モード 最高速度260km/h 走行距離 1400㎞
飛行モード 最高速度474km/h 飛行距離 1620㎞
*魔石タンク満タン時
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「これは、スルスミの仲間ですか?」
現れた召喚物をみてフィルが感想を漏らしているが、俺も同じように思っていた。
これにも車輪が4本ついているし、素材もスルスミのボディーを構成する金属に似ている。
「とんでもない。これは一般家庭に普及している自家用車ですよ。一応、Lセグメントの最高級車ですが」
「自家用車?」
「自分ちの馬車って感じですね」
異世界の移動手段はとんでもなかった。
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