第83話 この星をまた二人で

 メーダ子爵は落ち着かない様子で娘たちの到着を待っていた。

先ほどから立ったり座ったり、居間の中を無駄に歩き回ったりを繰り返している。


「少しは落ち着かれたらいかがですか?」


 シルヴィア夫人が呆れたように声をかけたが子爵のヤキモキは収まらなかった。


「落ち着いてなどいられないよ。私がこの日をどんなに待ちわびてきたか君だって知っているだろう」


 メーダ子爵が一族から突き上げをくらっていたことはシルヴィアもよく知っていた。

レオ・カンパーニは今やただのプリンセスガードではない。

召喚士として皇帝陛下の覚えもめでたく、人工魔石の作製理論さえも確立し、近く伯爵に昇爵されるとまで言われている。

そんな人物との太いパイプを望まない貴族などいない。

娘を輿入れさせるチャンスがあるのなら一族のために最大限の努力を強いられるのが貴族社会というものだ。


「お気持ちはわかりますが、二人そろってこちらに来るのですよ。きっといいお話に違いありません。貴方は当主らしくどっしりと構えていてくださいな」

「う、うむ。そうだったな」


 子爵は大きく深呼吸をして思いを巡らせた。

すでに二人の子どもの結婚に立ち会ったというのに、3人目が一番混乱するという皮肉に笑うしかなかった。

「剣豪」になりたいと言っていた娘が、養子とはいえ皇族の側室に入るというのだ。

運命の不思議を感じはしたが、それはそれで感慨深いものがあった。

しかも政略結婚なのに好いた男と結ばれるかもしれないのだ。

そのことに思いが及んで子爵の目頭は熱くなった。


「運のいい娘だ……」

「貴方……涙を流すのは早すぎなのではございませんか?」


 出されたハンカチを受け取って子爵が涙をぬぐったその時、居間の扉がノックされ執事の声が響いた。


「旦那様、レオ・カンパーニ男爵が到着されました」


 子爵は夫人と目を交わして頷く。


「お通ししなさい」


 二人は娘たちを出迎えるために並んで扉に向き合った。



 やばい……、死ぬほど緊張する。


「ただいまぁ」


 俺の緊張をよそにレベッカは実家に帰れて寛いでいるようだ。


「よく来てくれたねレオ君。レベッカもおかえり。それからアリスだったかな? 迅速に動いてくれてありがとう」


 子爵はいつもと変わらず穏やかな笑みを見せてくれるけど、顔色が少し青い気がする。

やっぱり胃を悪くしているのかな?


「このような非常識な時間の訪問を許していた――」


 俺の謝罪を子爵は手で制した。


「固い挨拶はなしにしよう。私もカンパーニ男爵ではなくレオ君と呼んでいるだろう?」


 子爵の気遣いがありがたかった。


「ありがとうございます。これは私が召喚した胃薬です。子爵はお加減が悪いと聞きましたので」


 子爵に小さな小箱を手渡した。


「お父様、先に薬をいただいてからお話にしない? レオの薬は本当によく効くから」


 国境の戦いでキズナオールSなどの効力を目の当たりにしているレベッカも薬を勧めた。


「そうか? それではそうさせてもらおうか……」

「錠剤を一錠、ぬるま湯で飲んでください」


 いつの間にかモード・ナースになったアリスが薬の服用法を説明していた。


「服用制限がございますので気を付けてください。一回一錠。一日に二回までですので」


 だけど、薬を飲みこんだ子爵は静かに首を振った。


「い、いや……。すでに痛みは治まった。まさかこれほどの効き目とは……」


 もう? 

さすがは異世界ブランド。

 アリスはじっと子爵の腹を見つめて静かに頷いた。


「スキャン完了。荒れていた粘膜が正常に戻っております」


 本当に治ったようだ。


「助かったよ。酒宴を用意していたのだが自分は遠慮しようと諦めていたんだけどね、久しぶりに美味い酒が飲めそうだ」


 子爵は実に朗らかに笑っていた。

俺もつられて嬉しくなってしまう。

よし、覚悟を決めて交際を申し込んだことを報告しよう!


「子爵、改めてお話ししたいことがございます」


 俺は居ずまいを正してメーダ子爵に向き合った。


「私、レオ・カンパーニはレベッカさんと結婚を前提としたお付き合いをしたいと思っています。どうかお許しいただけないでしょうか」


 子爵は重々しく頷いてくれた。


「どうしようもないおてんば娘ですが、あれで情の細やかなところもあるのです。どうぞよろしくお願いします」


 全身から一気に力が抜けるような感覚だった。


「私も安心しました……」


 力が抜けたのは俺だけじゃなく、子爵も夫人も同じだったようだ。

でも、一番脱力していたのはレベッカだった。

思わず近くにあった椅子にペタンと座ってしまったくらいだ。

くつろいだ雰囲気だったのは虚勢を張っていただけだったらしい。


「み、み、みんな緊張しすぎなのよ。たかだかこ、こ、交際の申し込みじゃない」


 どうみても無理をしている。


「この子は昔からこんな調子なのですが大丈夫でしょうかねぇ?」


 シルヴィア夫人は心配そうだ。

でも俺は心配なんて一つもしていない。


「いざとなると肝が据わるのです。私たちは共に戦う戦友でもあります。レベッカさんなら安心して背中を預けられますよ」

「そ、そうよ! 私たちは深い信頼関係で結ばれているんだからっ!」


 多少照れながらだったけど、レベッカは誇らしげでもあった。


 その後、お土産の置時計を渡したり、一緒にお酒を飲んだりして瞬く間に時間は過ぎていった。


「随分遅くまで失礼しました。そろそろお暇しなければなりません」


 子爵夫妻は泊っていけと言ってくれたけど、プリンセスガードの朝は早いのだ。

それにあんまり遅くなると宮廷の門を抜ける手続きが煩雑になって大変でもあった。


「私なら警備体制の裏をかいて簡単に侵入できるルートを見つけられますが? (泊まって夜這いです!)」


 アリスは不穏当な提案をするんじゃない!


「お申し出はありがたいのですが任務もありますので」

「そうですか。名残惜しいですが仕方がないですね。レベッカ、レオ君をお送りしなさい」


 子爵が気を利かせてレベッカを玄関外まで送り出してくれた。

アリスも先に御者台へと行き俺たちは二人きりだ。


「急な展開になったけど、今日こちらに訪問できてよかったよ」

「うん。両親も喜んでた……」


 俺はあらかじめ決めていた通り亜空間から召喚アイテムを取り出した。


「これ、婚約指輪ってわけじゃないけどレベッカに持っていてほしいんだ」


 ソロモンの指輪をレベッカの左右の薬指にはめてあげた。


「これは……」

「魔力をこめると精霊が現れるんだよ。できるかな?」

「うん。やってみる」


 指輪が輝きクー・シーとケット・シーが現れる。


「すごい……」


 レベッカも充分強いんだけど、この精霊たちがいればさらに安心だ。


「俺の花嫁を守ってくれな」


 声をかけると精霊たちは戯れるように俺たちの周りで飛び跳ねた。


「もう、恥ずかしいこと言って……」


 怒ったように視線を逸らせて空を見上げたレベッカが突然声を上げた。


「レオ! あれを見て!」


 いつの間にか雪は止んでいて、雲の切れ間から星が見えていた。

そしてレベッカが指さす東の空には長い尾を引く彗星が一つ。


「うわあ、きっとあれがアレー彗星だ」

「アレー彗星?」

「うん。スピノザ伯爵が教えてくれたんだ。60年ごとに周期的この星にやってくる彗星なんだって」


 俺たちは並んで彗星を見上げる。


「レオ……」

「うん?」

「60年後も一緒にこの星を見られるかなぁ? 私たちがおじいちゃんとおばあちゃんになって、それで今日みたいに二人で今夜のことを思い出しながらさ……」


 レベッカの手を握った。


「また一緒に見よう」

「うん……それまでずっと……一緒だよ」


 控えめな重みと温もりが肩から伝わり、レベッカが身を預けてきたのが分かった。

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