第85話 ドライブ

 アリスの言葉が信じられないほどの衝撃だった。

目の前にある空飛ぶ自動車というものは、異世界では一家に一台あるごくありふれた商品だというではないか。

こんなものを個人所有できるなんて異世界はどうなっているんだ!? 

スルスミのときも驚愕すべき技術だったけど、あれは軍事用の機械であって個人で所有することはできないと聞いていた。

だけどこのスカイ・クーペは違うというのだ。


「それって、個人がグリフォンや飛竜を所有しているのと同じってこと?」

「まあ、そうなりますね」


 アリスの反応はそっけない。


「そんなことが可能だなんて……」

「運転するために免許は必要ですが、16歳以上でしたら基本的に免許試験を受けることはできます。どうせ召喚するなら、私としては輸送用大型ヘリが欲しかったのでございますが……」


 そういえばバルモス島でそんなことを言っていたな。


「いやいや、これだってじゅうぶんすごいだろう?」

「ええ~? 武装がついていないですよ。装甲だってアクティブ防御システムはおろかマジックシールドさえもついていません。どうせなら戦闘機かモービルスーツを召喚していただきたかったです!」


 アリスは何を拗ねているんだ? 

最高速度や持続航行距離だって飛竜をはるかに上回る性能なのに。


「さっそく中に入ってみようよ」

「それではドアに軽く触れてください」


 言われたように人差し指でつつくと、金属のドアが音もなく横にスライドした。

室内は宮殿の馬車よりもずっと広く、クリーム色をした革張りのシートがしつらえられている。

座り心地だって馬車とは段違いだ。


「エンジンはレオ様の指紋か声紋を認証するとスタートします。親指でここに触れるか、『スカイ・クーペ、エンジンスタート』と声に出せば起動します」


今回は音声認識というやつを選択してみた。


「スカイ・クーペ、エンジンスタート」


 特に音はしないが座席前のコントロールパネルが点灯し、システムが起動したことがわかった。

まだマニュアルを読んでいないので表示されているものが何を表しているのかはよくわからない。


「少し動かしてみましょうか? 私でよければ運転しますが」

「うん、お願いするよ」


 だけどここでフィルから待ったがかかった。


「あの、帝都の上空を飛ぶのは法律で禁じられています。飛べるのは帝国所属の飛竜かグリフォンだけなのです」


 軍事的、治安維持的な理由で帝都上空15mを超えての飛行は法律で禁止されているそうだ。

ララミーのように魔法で空を飛べる人もいるけど高く飛ぶことはダメということだ。

場合によっては問答無用で竜騎士の攻撃を食らうことさえある。


「竜騎士なんてぶっちぎってやる! でございます」


 できるだろうが、やっちゃダメ! 

この自動車が飛竜よりも速いことがばれたらまたまた問題になると思う。

飛行許可は申請すればおりるそうだけど、能力は隠しておいた方がいいだろう。


「では、走行モードでゆっくりと動かしてみますか。これよりモードチェンジを行います」


 また外見の変わらないモードチェンジか。


「お客さん、どちらまで?」

「はっ?」

「モード・タクシードライバーでございますよ。ワンメーターで行ける距離だと無愛想になるのでご注意ください」


タクシー? 

ワンメーター? 

とにかく行き先を告げれば運転してくれるようだ。


「そ、それじゃあエバンスの温室まで」

「はい。シートベルトをお締めください。バックオーライ! ……発車します」


 自動車は静かに走り出した。


 庭園の道は石畳なのだが自動車はまったくと言っていいほど揺れていない。


「本当に車輪で走っているの? 振動を感じないんだけど」

「クラス最高は伊達ではございません。静音には徹底的にこだわって作られております。本当は車輪ではなく反重力で浮かべばさらに静かなのですが、そこは燃費の向上を意識しているようです」


 空を飛ぶとなると魔石の消費量は段違いになる。

楽しいけど魔石がいくらあっても足りなくなりそうだ。

人工衛星を飛ばしてからアリスの魔石消費量は一気に上がっていて、俺は給料のほとんどを魔石購入に充てている。

カルバンシアに戻ったら、アリスと一緒に国境線を越えてモンスターハンターでもやらないと破産してしまいそうだ。

あっちなら大物モンスターがいるから純度も質量も高い魔石がゲットできるだろう。

だけど未開の地はまだまだ危険だ。

また伝説のスクール水着を着ることになるのか……。

だけどこのままではスカイ・クーペの運用もままならないもんな。

恥を忍んでフィルに水着を借りるしかないか……。(*1)

どうせアリスの頭の中には俺の水着姿が全方向から記録されているんだ……。


「どうしたのですかレオ? 暗い顔をして」

「そ、そんなことないよ。この自動車があまりにすごいんでびっくりしていただけさ」


 魔石のことで悩んでいるのはフィルには内緒だ。

きっと俺のために魔石を融通しようとするに決まっている。

相手が皇女殿下であっても依存しすぎるのはちょっとねぇ……。

そのうち愛想をつかされそうで怖いんだ。


「ねえレオ。今度の遠乗りだけど、よかったらこれでいかない?」

「それはいい考えだけど、警備はどうする?」


 ゆっくり走ることもできるだろうけど、どうせならスピードを上げたり、空を飛んでもみたいもんな。


「それは……深夜に見つからないようにすれば……」


 ええ? 

そっと宮殿を抜け出すってこと? 

発想が陛下と同じ!? 

さすが親子!


「だけど……」

「私もレオと星の海を旅してみたいのです……だめですか?」


 ずるい……。

ずるいぞっ! 

そんな顔をして頼まれたら断れないじゃないか! 


「でも、大丈夫かなぁ……」


 煮え切らない俺をアリスが煽る。


「警備責任者が誘拐の主犯なのですから大丈夫でございますよ」


 まあ、そうなんだよね。


「じゃあ、夜になったら迎えに行くから準備して待っていてね」

「はい」


 フィルに笑顔で頼まれると何でも許してしまいそうで怖くなるよ。


 俺の立てた計画はシンプルだった。

夜になったらフィルの部屋を訪ねて、フィルには亜空間に入ってもらう。

その状態で俺は堂々と宮廷から外出する。

それから人気のない郊外までホバーボードで移動して、フィルとスカイ・クーペを亜空間から出して深夜のドライブを楽しむという計画だ。

何か突発的な事態が宮殿で起きたとしても、通信機をもっているイルマさんやマルタ隊長が連絡を寄こす手筈にしておく。

これで2時間くらいのドライブならなんとかなるだろう。


 宮廷からフィルを連れ出すことはあっけないほど簡単にできてしまった。

亜空間はやっぱりチートだと思う。

空間収納魔法のように内部の時間を止めることはできないけど、人や物を大量に運べるのが素晴らしい。

考えてみれば俺の能力とスカイ・クーペがあれば大型輸送ヘリなんかいらないじゃないか。

資金に余裕ができたらバルモス島開発の資材を運ぶことにしよう。


 アリスがスカイ・クーペの後部座席のドアを開いてくれた。


「どうぞお乗りください」


 ドアを開けると天井部分もスライドして、頭をぶつける心配をせずに楽に乗ることができた。

昼の内にマニュアルは全て読破していたので運転の知識だけは完璧だ。

だけど今はフィルと一緒に後部座席で夜の景色を楽しまないとね。

スカイ・クーペはスルスミと同じで全方位モニターが付いている。

車内に外の景色が投影されて自分が宙に浮いているような感覚が楽しめるのだ。


 俺たちが座席につくとアリスが良く冷えた甘い白ワインをグラスに注いで、シート横の窪みに置いてくれた。


「レカナン産のベーレンアウスレーゼでございます」


 超高級な貴腐ワインじゃないか。


「どうしたのこれ!?」

「ご心配なさらずに。レオ様にお預かりしているお金で買っておきました。今夜のデートのための必要経費でございます」


 お金がないときなので、叱るべきか褒めるべきか悩むところだ……。

まあいいや。

難しいことは後で考えることにして今は楽しむことにしよう。


「せっかくアリスが買ってきてくれたんだ。いただこうよ」

「ええ。乾杯」


 フィルとグラスを合わせて口をつけた。

濃厚な甘みと、とろみのある白ワインが口の中に芳醇な香りを広げる。


「美味しい」


 少しだけ顔を赤らめたフィルが「ホゥ……」と息をついた。

心なしか俺の方に体を預けてきてもいる。


(でかしたぞ、アリス!)


 やっぱり心の中で褒めておくことにしよう。


「それでは出発いたします」


 スカイ・クーペは音もなく夜空へ浮き上がった。


「これよりナイトビジョンに移行。車内モニターをオンにして外の風景を映し出します」


 すべての明かりが消され、車の中に星空の風景が映し出された。


「うわぁ……」


 俺もフィルも言葉が出てこない。

すると静かな音を立てて運転席側と後部座席の間に仕切りがせりあがってきた。


「この仕切りを閉めてしまえば私のセンサーさえも遮断されるようにできております」

「そうなんだ……」

「どうぞごゆっくり空の旅をお楽しみください」


 振り向かないままアリスは喋っていたが、ルームミラーに移った口元がニンマリとしていたのを俺は見逃さなかった。

仕切りが完全に上がると、まるで俺とフィルだけが夜空に浮いているような感覚になる。


「美しすぎて、少し怖いくらいね」


 フィルの手が俺の手を探って怪しく動いた。

アリスの思惑にのるのは癪だったけど、俺も自分を抑えることができない。

フィルもきっと同じ気持ちだったのだろう。

星の海の中を漂いながら互いの唇を求めて、俺たちの吐息は熱くなっていった。

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