第58話 海風と煙
沖の方から見えていた小さな入り江に俺とレベッカは上陸した。
ここは狭いながらも砂浜になっているのでジョリーボートでも上陸しやすいだろう。
振り返って見ると船の乗員とアリスはようやくボートに乗り込むところだった。
「先に火を焚いといてあげようよ。こう寒いと皆凍えちゃうわよ」
レベッカは小さく鼻をすすっている。
いくら鍛えてあるといってもホバーボードで受ける海風はかなりきつかった。
「ほら、その紙で鼻をかみなよ」
ラゴウ村にいた頃に召喚したティッシュペーパーを渡してやった。
異世界では鼻をかむたびにこのような柔らかい紙を使うそうだ。
ものすごく豊かなんだろうな。
この世界で鼻はハンカチでかむのが普通だ。
チーン……。
「本当に体が冷えてきた。さっさと火をつけよう」
亜空間からとっておきのアイテムをだす。
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名称: 魔導ライター
説明: 火をつける道具。zippu社が誇るシンプルで飽きのこないデザイン。スターリングシルバーを使用したシックな輝きと重みは貴方の手の中で圧倒的な存在感を示します。強風にも消えにくい構造。火打石とチャージ用の魔石付き!
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亜空間からライターを取り出してレベッカに見せてやった。
「なにそれ? 銀の……箱?」
「最近では一番のお気に入りなんだ」
俺は煙草を吸ったり料理をしたりはしないけど、こんなに簡単に火がつくというのはちょっとした感動を与えてくれるものだ。
蓋を開けて火打石をこする丸いやすりに親指をかける。
「見ててね」
シュボッ。
「ええっ! なにそれっ!」
レベッカはこちらの予想以上のいい反応をしてくれる。
「ライターっていう火をつけるための魔道具さ」
「私にもやらせて!」
ライターをレベッカに渡して使い方を説明してやるとすぐに使えるようになった。
「これ、おもしろい!」
レベッカも放出系の魔法は使えないから、まるで生活魔法が使えるような気分になって楽しいのだろう。
何度も火を点けたり消したりして楽しんでいる。
わかる、わかるよ。
砂浜のすぐ奥は林になっているので枯れた枝や草は簡単に集めることができた。
砂浜の上に積んで焚火の準備は完了だ。
「さっき鼻をかんだティッシュに火をつけてごらんよ。鼻水で湿っていても燃えるはずだよ」
「……」
「けっこうズビズバ出てたみたいだけど、大丈夫。燃えるって!」
俺の言葉にレベッカはライターを握りしめたまま固まってしまった。
「……なんかいや。レオは私に対してだけデリカシーがない気がする。他の人にはそんなこと言わないだろうに」
レベッカはすぐにふくれっ面になるクセがあるけど、今日はいつもと雰囲気が違う。
いつもよりずっと静かなのに、普段以上に悲しそうな顔をしている。
俺、そんなにひどいことを言ったかな?
でも、考えてみれば、さっきの発言もたしかにフィルやイルマさんには言わないかもしれない。
知らず知らずのうちに差別をしているのか?!
「なんというか軍人系の人には気安くなっちゃうのかな……。レベッカとかアニタとか」
「ううんマルタ隊長とかだともう少し対応が丁寧だもん」
そうかもしれない。
でも、マルタ隊長は年上だもん。
あっ、レベッカも年上か……。
確かにレベッカが相手だとよく考えない発言をしている気がする。
あんまり気を使うということはないな。
エバンスやポンセやオマリーなんかと一緒にいる時みたいな感じなんだと思う。
「ごめん。レベッカを雑に扱っているつもりはないんだ。俺たちって歳も近いし、つい友だちとして気安い口をきいてしまうのかもしれない」
「……」
レベッカは俺の方は見ずに、無言で手の中のライターを弄んでいた。
「俺にとってレベッカは誰よりも一番親しみやすいんだよ。だから考えなしの発言をしちゃうのかも。ごめん。レディーに対して無礼だったよ」
「……もういいわ」
レベッカはライターの火で直接枯れ草に火を点けた。
よく乾いていた草はすぐにオレンジ色の炎を上げる。
海風に煙のにおいが混じった。
「許してあげる……」
「だけど……」
「レオは私といて一番寛げるってことなんでしょう?」
そうなのかもしれない。
だから俺は素直に頷いた。
干し草の煙がレベッカを包むと、目の端に涙を浮かべながらレベッカはいつもの屈託ない笑顔を見せてくれた。
「ごめん……これからはもっとレベッカを大切にするよ」
「バカ」
大切にするって言ったのに、なぜか怒られてしまった。
どうしてだろうな、レベッカが相手だと大人の振る舞いができていない気がする。
レベッカが子どもだから?
それとも俺が幼いからか?
……両方なんだろうな。
というよりも二人でいる時、俺たちは子どものままでいられるのかもしれない。
政治のこと、任務のこと、いろいろな駆け引き、そんなことを全部忘れて純粋に楽しみだけの中にいる瞬間があると思うんだ。
レベッカも同じ気持ちでいてくれたら嬉しいけど……。
風に煽られて炎はますます大きくなる。
「石で囲いを作っておいた方がよかったかしら?」
「そうだね。それだったら料理もしやすそうだ」
レベッカは驚きに目を見開く。
「料理って、このたき火でするの?」
「そうだよ。料理って言っても単なる直火焼きだけどね。取れたての魚や貝を焼いたりしてさ」
「へー、そんなの初めて」
考えてみれば子爵家のお嬢様だもんな。
「田舎では山鳩を枝にさして焼いたりしたんだよ」
「美味しいの?」
「そりゃあ、宮廷の料理には及ばないけど、塩とハーブだけのシンプルな味付けもいいもんだよ。煙の香りがアクセントになるんだ」
レベッカは感慨深げに頷く。
「そっかぁ……私の点けた火で、私が自分で獲った肉や魚を焼くんだね。まるで冒険者みたい!」
思わず俺は笑ってしまう。
「そうだよ。俺たちはバルモス島に冒険をしに来たんじゃないか!」
「そういえばそうだったわよね」
レベッカもおかしそうに笑いだした。
さっきまでの落ち込んだ気分はもう晴れたようだ。
この切り替えの早さがレベッカのいいところでもある。
「だったら枝をもっと集めて魚も取ってきなさい!」
「なんで俺ばっかり?」
「だって私のことを大切にするんでしょう? レディーにそんなことをさせる気じゃないでしょうね?」
「よく言うよ。レベッカだって狩りは大好きだろう?」
カルバンシアでは弓矢を使って何頭も鹿やカモを獲っていたくせに。
亜空間にはいろいろな食べ物がしまってあるけど自分たちで獲物を捕まえて料理するのだって楽しそうだよね。
「そうね。いい機会だから私もいろんなことに挑戦してみるわ。それにこの島の領主はレオだもんね。ご領主様を顎でこき使うわけにはいかないか」
「そうだよ。レベッカに一杯働いてもらうからね」
「うん。枝も拾うし岩も積むわ。一緒に頑張りましょう」
ジョリーボートが砂浜に乗り上げた。
すぐさま荷下ろしが開始される。
領主として最初にすべきことは船着き場を作ることかな。
スルスミを使って石を積み上げていけば、すぐにできそうな気もする。
「男爵、本当に我々は船に引き上げてもよろしいのでしょうか?」
荷物を運んでくれた水夫が心配そうに聞いてきた。
「大丈夫だよ。後は俺たち三人で何とかなるからね」
のんびりと楽しむためにレベッカとアリス以外は船に戻ってもらうことにしたのだ。
レモッツ船長が心配するだろうが、ここは我儘を通させてもらおう。
それにもしも魔物がいたりしたら、彼らを守りながら戦う方がよほど大変なのだ。
俺とレベッカだけならホバーボードで簡単に逃げられるし、アリスだったら全く心配いらない。
というよりもアリスでも敵わないような相手なら、それはもう死を覚悟しなくてはならないということなのだ。
船員たちが去ると、久しぶりに物置を召喚した。
「さあ入って。高級ホテルとはいかないけどね」
物置の中にはベッドやテーブルなどの家具を予め入れてあり、ストーブもあるので暖も取れる。
「もしかして全員この物置で寝るの?」
ワナワナ震えながらレベッカが聞いてきた。
しまった。
またやってしまったよ。
貴族のお嬢様が男と同じ部屋で寝るなんて考えられない話だよな。
ついうっかりしていた。
「えーと……俺は外に天幕を張ろうか――」
「いいの!」
急に大声を出すからびっくりしてしまったぞ。
「え?」
「構わないわ。こ、これは冒険旅行なんですもの。冒険者なら一つの部屋に一緒に泊るのだって、と、と、と、当然のことよ」
そうなのか!?
「えっと、レベッカが気になるのなら俺は――」
「構わないって言ってるでしょう!!」
怒らなくたっていいだろうに……。
「うん……。あの、変なことはしないからね」
「そ、それは………………………………そうよね」
それまで黙っていたアリスがやおら口を開く。
「私は外におりましょう。なんでしたらレベッカ様はこのまま未知の世界を冒険されるのはいかがでしょうか? この島にはお二人しか人間はいないのですから……」
パタンと扉を閉めてアリスは行ってしまった。
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