第55話 ミントフレーバー

 訓練場の真上にレモン色をした満月が浮かんでいた。

秋も深まり空気は夜毎にひんやりとしてきている。

俺は今、アニタと二人で訓練場にいる。

だが、今日のアニタはいつものバトルジャンキーな雰囲気じゃない。

むしろ風のない湖面を見ているようで、達人に相応しい風格さえ感じる。

不気味なほどに落ち着いたその姿は、また違った意味で緊張を強いてきていた。

 俺たちは訓練場のど真ん中で向かい合い両手を繋いでいた。

他には誰もいない。

だけど、二人で深夜の逢引きを楽しんでいるわけじゃない。

俺はアニタに戦闘訓練をしてもらっているのだ。


「そのまま深く静かに呼吸しろ……。鼻から吸って口から吐く。……そうだ、ゆっくりと焦らずに」


訓練場に灯りはなく、月光だけが俺たちを照らしている。


「意識をへその下あたりに向けてみろ。自分の魔力を感じ取れないか? ほら、ここらあたりだ」


繋いだ手を通して、アニタは俺にも分かりやすいように自分の魔力パルスを俺の魔力にぶつけてきた。

俺はアニタに魔力操作を習っていた。

一般的に魔法を使える人間というのは成人の儀式で魔法系のギフトを授けられた者だけということになっている。

だが、それは厳密にいうと違う。

正しくは放出系の魔法はギフトを授けられた者しか使うことができないのだ。

だが人間は誰でも魔力を有している。

そして知らず知らずのうちにその魔力をつかっているのだ。

つまり身体強化に代表される内的な魔法というのは訓練次第で誰もが使うことが可能なのだ。

俺も戦闘時には意識せずに魔法で身体を強化したり、武器や防具を魔力でコーティングしている。

そして、アニタは国一番の剣士らしく、魔法による身体強化でも他に類を見ないほどの才能を持っていた。


「それでは私から魔力を流してみるぞ。レオも自分の魔力を私の魔力に絡ませて流してみるんだ」

「うん……」


左の手のひらが急にひやりとした感覚がして、アニタの魔力が俺の中に流れ込んできたのがわかった。

俺はその感覚を受け入れたまま、自分の魔力をアニタの魔力に混ぜて右手から出していく。


「そうだ。……くくくっ、ようやく私たちも一つになれたな。レオのあったかいのが私に入ってきた……」


表現が微妙だよ……。


「次は左手から入ってくる私の魔力を遮断してみろ。さもないとレオの身体を好きなように蹂躙してしまうぞ」


アニタの目がいつものように怪しく光る。

まずいっ! 

俺は自分の中の魔力を左手に集めた。


「くっ!」


俺の努力にもかかわらず左手は氷を握っているかのようにどんどん凍えていく。


「アハハ。貧弱、貧弱ぅ! そんなことでは私の侵入は防げないぞ」

「舐めるな!!」


下腹に溜まっていた魔力を循環させ左手に送り込む。


「はぁ……その必死な顔がたまらない。いい表情だ。レオ、愛しているよ……」


アニタの顔が快感に歪んでいる。

こっちは必死なんだぞ!




 大きく全身を震わせてアニタが絶頂に達していた。

そしてゆっくりと繋いでいた手を離す。

肩まで凍り付いたような感覚がしていたが、自分の魔力が循環していくおかげで、じんわりと温かみが戻っていく。


「ハア、ハア……ハァ……。なかなか良かったよレオ」


俺は言葉もない。

結局アニタの魔力を跳ね返すことができなかった。


「そんなに、しょげるな。初めてにしては頑張ったではないか」


満足そうな吐息をつきながら慰めてくれるがちっともうれしくない。


「日々の鍛錬がものを言うからな。これからは魔力循環の訓練もきちんとすればいいのさ」


アニタは乱れた髪を整えながらそう言った。


「わかった。毎日鍛錬に励むよ。次はそう簡単に侵入させないからね」


俺の言葉にアニタは眼を輝かせる。


「もちろんだとも。そして私はそんなレオを無理やり組み伏せるのが大好きなんだ!」


こいつは……。


「でもな、いつかはレオの魔力に蹂躙されたいという私もいるのだぞ。私という人間はそのどちらにでも快感を見出せるからな」

「どちらになってもアニタには損がないじゃないか。死角なしかよ!」

「ははっ、その通りだ! なにせ私は帝国最強の女だからな」


本当にアニタには敵わない。


「とにかく今夜はありがとう。おかげで魔力操作が少しわかった気がするよ」

「うむ。こういう訓練もたまにはいいな。身体ではなく心が満たされる感じがする」


ぜんぜんわからないよ。


 見れば真上にあった満月は随分と西の方に傾いていた。


「随分と遅い時間まで付き合わせてしまったね。明日の任務に差し支えないようにアニタも早く寝てね」

「いや。私はあと一時間ほどで深夜任務だ。陛下が後宮へ入られるお供をしなければならない」


 陛下が寝る時は必ずロイヤルガードの誰かが側に付き添うことになっている。

当番の者は寝ずの晩をして陛下を見守らなくてはならないのだ。

かなり過酷な仕事だ。


「大変だね。眠くならない?」

「正直なところ、たまに寝ているぞ」


おいっ! 


「アニタ、その発言は拙いよ」

「大丈夫だ。レオ以外には言ったことがない。それに誰かが近づいた時点で起きる」


アニタくらいの達人ならそうなんだろうけどさ……。

そういえばいいものがあったな。

先日召喚したばかりの物だ。


####


名称: ブラック・キシリトールガム

説明: ヒンヤリとした辛みが貴方の眠気をシャットアウト。


####


 プラスチックという素材でできたガムのボトルをアニタに渡した。


「その壺の中にガムというものが入っているよ。甘いんだけど辛い食べ物で噛むと眠気がおさまるんだ。あ、でも、飲み込んじゃダメだって」

「???」

「味がしなくなったら壺の中に入っている小さな紙にくるんで捨てるんだ」

「ほう……」


アニタはボトルからガムを一粒出して口の中に放り込んだ。


「おお! これは面白い。後で陛下に見せびらかして羨ましがらせてやろう」


そんなことができるのは帝国でもアニタ一人だけだ。


「ほどほどにね……」

「ああ。でも助かったぞレオ。最近は少し気が抜けない事態が起きているからな」

「どうしたの?」

「アッセンブル子爵が病死した事件は知っているか?」


それなら、何日か前に耳にしている。

死因は確か急性の心不全だったはずだ。


「あれは病死ではないぞ。おそらく毒殺だ」

「な……」


それにしては事件になっていない。

どういうことだ?


「証拠がないからな。だが、状況は間違いなく毒殺だよ。アッセンブル子爵はライバルであるヘグリー伯爵との和解の宴席で死んだのだぞ」


 アッセンブル子爵とヘグリー伯爵は酒税の税率で争う間柄だった。

自身も酒造会社を経営し酒造組合からも賄賂を受け取っているヘグリー伯爵と会計局の主要ポストにいたアッセンブル子爵は日頃から仲が悪かった。

だが、間に入る貴族がいてようやくこれまでのことを水に流そうという宴席でアッセンブル子爵が急死したのだ。

毒殺を疑われてもおかしくはないとはいえる。

 状況として、二人はお互いの仲を深めるために一羽の調理した雷鳥を二つに切り分け、それぞれ一切れずつ食べていたそうだ。

料理はアッセンブル子爵が用意し、ヘグリー伯爵が切り分けたそうだ。

切り分ける時も多くの人間が見守っていたので、その場で毒を盛ることはできなかったはずだ。

しかも料理を用意したのは死んだアッセンブル子爵だ。


「どういう手を使ったかはわからんが、怪しくないと言ったら嘘になるだろう?」


ちなみに死んだアッセンブル子爵は皇帝派で、ヘグリー伯爵は皇帝に対立する貴族派の重鎮でもある。

最近貴族派の貴族たちが勢力を伸ばしているのでアニタたちも念には念をいれて警護しているようだ。

皇帝陛下の食事は必ず毒見がされるが、どこに落とし穴があるかはわからない。


「そういうわけで私も気が抜けないのだ。これはありがたくもらっておくぞ」


アニタはガムのボトルをポケットにしまい込んだ。

俺はふと気がつく。


「ナイフは?」

「どういうことだ?」

「肉を切り分けたナイフは誰が用意したの?」

「さあ?」


もしそのナイフをヘグリー伯爵が用意したとすれば……。


「ナイフの片側だけに毒を塗っておけば、毒殺も可能じゃない?」

「なるほど!」


まあ、今さら分かったところで証拠なんてとっくに隠滅されているだろうけどね。


「レオは冴えているな。こっちに来い」


アニタが手招きしてくる。

もしかしてまだ秘密の情報があるのか? 

俺は耳をアニタの口元に寄せた。

だけど、アニタは俺の頭をがっしりと掴むと無理やりキスしてきた。


「賢いレオにご褒美だ」


迂闊……。

アニタは笑いながら夜勤に行ってしまった。

魔力だけじゃなく舌の侵入まで許してしまったか……。

はあ……ミントガムは甘辛い。

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