第54話 メロンパンの物語

 午前中の空き時間を使ってフィルとカルロさんに洗濯バサミと軍手の量産について相談をした。

カルロさんがすごい興味を示してくれて、さっそく用地の選定や、かかる費用を計算してくれることになった。

事務系の実務はカルロさんに任せておけば間違いはないはずだ。

この計画は特に信頼できる部下たちにしか話を漏らさず、極秘裏に進めることとなった。


 他にも、ちょっとした進展があった。

なんと俺にも領地が与えられたのだ! 

皇家の婿なのに領地なしというのは恰好がつかないというのが理由らしい。

でもね……、与えられた領地というのは無人島なんだよ。

カルバンシアの西にあるルプラザ港の沖合14キロにあるバルモス島というのがその島の名前だ。

バルモス男爵レオ・カンパーニ、きちんと婿入りするとバルモス男爵レオ・ベルギアックというのが俺の正式名称になる予定だ。

バルモス島の面積は8.92㎢。

無人島だから税収はゼロで収入には結びつかない。

普段は沖で漁をする漁師や、交易船などが嵐の時に避難するために使われているようだ。

水源の有る無しは不明で人が恒常的に住めるかどうかも調査はされていないそうだ。

でも、なんか夢があるよね。

近いうちに船をチャーターして行ってみたいと思っている。

島の探検とかを考えるとワクワクするな。


 もしかしたら異世界の船を召喚できるかもと思って召喚術を試したが、出てきたのはメロンパンという食べ物だった。

そんなに都合よく船は召喚できないか。

メロンパンをフィルと分けて食べてみたらサクサク部分とふんわり部分があってすごく美味しかった。

甘いパンは初めて食べたけど、パンというよりもお菓子に近い感じかな? 

バターとハチミツの香りがした。

でもメロンの味はしないぞ? 

それとも異世界のメロンはこんな感じなのだろうか? 

なんにせよ美味しければ正義なのだ。

調理場のシェフにも一口食べさせて同じものが作れないかと聞いてみた。

アリスが異世界回線でダウンロードしてくれたレシピも添えてある。

シェフのアントニオさんは珍しそうにメロンパンを食べていた。


「これはっ! 初めて食べる味です。クッキーのようなパンのような……。二種類の生地を使っているのか! レシピがありますので再現は可能だと思われますが、火加減が難しそうです。畏れ多いことですが少々お時間を頂けないでしょうか?」


メロンパンの製作を快諾してもらえてよかった。

美味しかったらしくアントニオさんもやる気を見せている。

お願いしているのはこちらなので、そんなに急かすつもりはない。

再現できるようならフィルのお姉さんのメダリアさんに持っていこうと思っただけだ。

あの人は甘いものが大好きだからな。

孤児院の子どもたちも喜んでくれるだろう。


 孤児院と言えば、もうそろそろ新年を迎え成人した子供たちは孤児院を出ていかなければならない時期だ。

孤児院の子どもたちは12歳くらいから働き始めるが、成人するまでは院の中に住むことが許されている。

だがそれも未成年の間だけだ。

成人すれば院を出て暮らしていかなければならない。

給金は低く、大抵の者は4~5人でルームシェアをして生活費を節約するとも聞いている。

ふと気がついてフィルに相談してみた。


「フィル、メダリアさんのところの子どもたちだけど、就職が厳しいようなことを言っていたよね」

「ええ。孤児院を出ても兵士か日雇いの労働者になるしかないというのが現状のようです」


女の子は女中や農村での季節労働に従事することも多い。

お針子なんていう選択肢もあるが、いずれにせよ過酷な労働を強いられるそうだ。


「だったらさ、軍手や洗濯バサミの工場で働いてもらうことはできるかな? それから林業や森林軌道、これからは道路の整備なんかにも人が必要だろう? 彼らも手に職をつけられるし、きちんとした給金も払えると思うんだけど」

「それはいい考えかもしれませんわ。さっそくお姉さまに手紙を書いてみましょう」


フィルも喜んですぐに手紙を書いてくれた。

次にカルバンシアに帰るときは賑やかな旅になるかもしれない。




 夕方からはとある貴族のパーティーにフィルとセットで招かれていた。

元が庶民だからパーティーというのは結構気疲れがしてあまり好きじゃないんだよね。

ただのプリンセスガードの頃は話しかけてくる人も少なくて良かったのだが、婿入りが決まった今は大勢の人が俺のところにやってくる。

何を喋ったらいいのか困ってしまうことがあるのだ。

大抵は鉄道模型とカルバンシア国境線の話で済むのだが、それ以外の社交辞令となると中々難しかったりもする。

貴族のゴシップなんて興味はないし、誰が誰なのかもわからないんだよね。

俺が面倒そうな顔をしていると、カルロさんに叱られてしまった。


「軍略や内政、地理や歴史などを学ぶことも立派な務めですが、それ以上に貴族や皇族というのは人脈を大切にしなければなりません。これもレオ様に課せられた務めと考えてしっかりと役割を果たしてください」


そうなんだよね。

フィルの夫になるということは、このようなパーティーなんかもソツなくこなしていかなくちゃならないってことなんだから。


「はい。今晩はなるべく多くの人の顔と名前を憶えて帰りますよ」


素直に謝るとカルロさんはにっこりと笑って頷いてくれた。


「つまらないことを申し上げました。お許しください」


そう言って丁寧に頭まで下げてくれる。

本当は頭を下げたいのはこちらの方なのだが、皇族になれば人前だとそんなことも許されなくなる。

もし、カルロさんがいなかったらカルバンシアでの政務は半分も進まなかっただろう。

一応は臣下の形を取っているがカルロさんは俺とフィルにとって政治と経済の師匠でもある。

フィルにとっては実の伯父さんだしね。

今は帝国二等文官という地位にいるが、今後はフィル直属の家臣として仕えてくれることになっているから、俺もフィルも心強く思っている。

カルバンシア城代の地位と厚遇を持って報いるつもりだとフィルも言っていた。

だけど、当のカルロさんはそんなものにはあまり興味がないようだ。


「私は、私の理想を形にしていける機会を頂いております。カルバンシアの森に鉄道が走り、やがてはトラックが荷物を運送し、数々の特産品が帝国の各地に運ばれていく、そんなワクワクするような国造りの一角を担えるのです。これに勝る喜びはありませんよ。私はフィリシア殿下だけでなく、レオ様にも忠誠を誓います。あなた方と作るカルバンシアに私は私の人生を捧げたいと願っています」


カルロさんほど有能な人がここまで言ってくれるんだ。

俺も頑張らなくては! 

フィルも感動して涙ぐんでいる。


「今夜のホストはマーロン伯爵よ。地図で伯爵の領地と特産物などの予習をしておきましょう」

「そうだね。他に何か仕入れておいた方がいい情報はあるかな?」


俺が聞けばカルロさんはすぐに答えてくれる。


「マーロン伯爵と言えば競走馬に目がありません。エモロト種の黒鹿毛がご自慢のようです」


馬か……。

俺も騎士のはしくれだから乗馬の練習をしなければと思っているうちに騎士爵から男爵になってしまった。

まあそれはいい。

ホバーボードもあるしね。

でも、ホバーボードの長距離移動って疲れるんだよね。

どんな馬がお勧めか伯爵に聞いてみるのもいいかもしれないな。

一家言(いっかげん)ある人は自分の専門分野を質問されると喜ぶと聞いたことがある。

俺も馬についての知識を深められるかもしれないし、馬についていい気分で語れるのなら伯爵にとっても楽しい時間になるかもしれないな。



 厨房ではシェフアントニオがパン生地の二次発酵の成果を確かめていた。


「ここまではいい……。問題は170度という温度を石窯の中でどれくらい維持できるかだ。頼みましたよモレルさん」


モレルと呼ばれた痩身の男は急に自分の名前を呼ばれて驚いたようにアントニオの顔を見た。


「はぁ……、最善は尽くしますが……」


モレルは国営の窯で陶器を焼く職人だった。

火の扱いにおいては料理人であるアントニオを凌ぐ。


「料理用の石窯なんていうのは初めてですからね。少し様子を見させてください」

「それはもちろんです。自分もこんなタイプのパン生地を捏ねたのは初めてなのでしばらくは調整が必要だと思っています」


レオは軽い気持ちでメロンパンの作製を頼んだのだが、アントニオにとってはいずれ皇族になる方からの依頼だ。

自分の手にあまると感じたアントニオは知人のつてをたどり、すぐにモレルに協力を仰いだのだった。


 その後、モレルは料理用の石窯を改良し、パン焼き専用の新しい窯の作製に成功。

アントニオはパン生地の新しい可能性に目覚め、それまでは数種類しかなかったパンの世界に新風を巻き起こす。

ブリオッシュやバターロール、クロワッサンといったパンを次々と発明し、その地位を確固たるものにしていき、ついには皇帝より文化勲章を受けるほどの功績を上げた。

レオの召喚物と何気ない依頼が一人の男の人生と帝国の食文化を大きく前進させる結果となる一例だった。

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