第45話 襲来
灼熱の夏が過ぎて、季節は秋だ。
あと一カ月もしないうちにベルギア帝国は社交界のシーズンを迎える。
帝国の社交シーズンは地の上月(10月)の終わり頃から始まるそうだ。
冬の訪れを前に、それまで領地にいた貴族が家族や使用人を引き連れて帝都ブリューゼルに集まり、連日のようにあちらこちらでパーティーが開催されるようになる。
特に舞踏会というのは若い貴族にとってはお見合いを兼ねているので、未婚の子どもを持つ親はこぞってダンスパーティーを開くようだ。
男も女も行き遅れないように思いっきりお洒落をして出かけるのが通例だ。
俺にもレベッカの実家であるメーダ家から早々にダンスパーティーの招待状が届いている。
わざわざカルバンシアまで送ってくることもないだろうに。
招待状とは別に手紙も入っていた。
なんとメーダ夫人は妊娠していて、もうすぐ赤ちゃんが産まれるそうだ。
「私もお姉さんになるのよ!」
とレベッカが嬉しそうだった。
手紙には子爵と夫人の連名で娘のことをお願いしますという言葉と、できれば以前に貰ったブランデーをもう一本都合してもらえないだろうかという言葉が添えてあった。
もう一人作る気か?
こんな風にいろんな貴族が社交シーズンに向けて動きだしているのだけど、我が皇女様はパーティーにはあまり興味がないようだ。
今年はカルバンシアの領地運営の基盤を固めるために帝都への帰還を免除してほしいという書状を陛下に出していたくらいだ。
先ほどその返事が届いたのだがフィルの表情は浮かない。
「ハァ……。カルバンシアの状況を聞きたいからブリューゼルまで戻ってきなさいだって」
陛下はフィルの願いを聞き届けてはくれなかったか。
俺としては帝都に戻るのは微妙だな。
庭園にいるエバンスには会いたいけど、俺をつけ狙う死神アニタには会いたくなかった。
ロイヤルガードのあいつは、基本的には陛下の側を離れることはできないけど、絶対に時間を見つけて俺に戦闘を仕掛けてくるはずだ。
しかもあいつは戦闘と性行為の境界線があいまいなところが恐ろしい。
求愛行為の度に剣を抜かれたら堪らないぞ。
陛下はフィルとセットでアニタを俺に押し付けようとしているけど、アニタと普通の結婚生活なんて送れるのかな?
アニタは眼の下に厚いクマはあるけど、よく見れば美人でスタイルは抜群なんだよね。
……自分でもどうしたいかよくわからない。
ただ、試合に負けっぱなしは悔しいから次こそは勝つつもりでいる。
そのためにアリスに付き合ってもらって技を磨いているのだ。
「陛下が催される宮中晩餐会が、地の上月三〇日にあります。これに間に合うように出発しなければなりませんよ」
イルマさんがフィルに注意を促した。
スルスミで強行すれば一日で帝都には戻れるけど、無理をする旅はうんざりだ。
「どうせならのんびりと帝都までの旅を楽しみたいよね」
俺の提案にフィルも目を輝かせた。
「レオと二人っきりの旅……」
「いや、それは無理だろう? ほかの皆だってブリューゼルに戻らなければならないんだし」
「わかっていて言ってみただけです」
フィルが可愛く拗ねてみせる。
だけど実際に帝都に帰る時はカルロさんたちも一緒だし、警護の特戦隊も連れていかなければならない。
今や特戦隊は三五〇人を超えた。
「どうしよう、特戦隊の全員を連れていくのは経費が掛かりすぎるだろう?」
「そうね。一応五〇人くらい連れていけば面目は保たれると思うわ」
俺やアリスがいれば護衛などどうにでもなるのだが、供回りを全く連れていないというのは皇女としての権威に関わってしまうのだ。
「それについてですが私に一つ考えがございます」
アリスが口を開く。
相変わらずの無表情だが、瞳が輝いている気がする。
「なにか悪いことを考えてない?」
「滅相もございません。ただ、昨日レオ様が召喚した特定小型魔導通信機を使わせていただきたいのです」
####
名称: 簡易無線機×10台
説明: 操作性と拡張性を追求したモデル。交互通話方式。通信距離1~12キロ(条件により変わります)アコースティックイヤホンマイク付き。防水防塵。
####
昨日これを召喚して、一台はフィルに渡した。おかげで夜中までフィルと話すことができた。
これまで二人だけになれる時間は少なかったので、昨晩は遅くまで話し込んでしまった。
二人とも寝不足だけどすっごく楽しかったな。
でも、そのことをレベッカに知られて、彼女も強引に一台もぎ取っていった。
国境線のパトロールにも持っていったので、さっきまで五分に一回コール音が鳴り響いて大変だった。
ようやく連絡が途絶えたけど、おそらく通信圏外に出たのだろう。
他には魔道具好きのララミーが欲しがったので一台、特戦隊とのやり取りが楽なのでマルタ隊長にも渡してある。
アリスは何をしたいんだろう?
「無線機でどうするつもりなの? 」
「帝都に帰還する特戦隊に要人警護のスキルを叩き込みます」
「要人警護?」
「はい。特戦隊は元々がフィリシア殿下の護衛部隊ですが、それは対魔物や対山賊などを想定した一般兵士でしかありません。要人警護部隊はパーティーや慰問先などで、殿下をお守りする特別なノウハウを持ったチームとお考えくださればいいと思います」
工兵の次は要人警護か。
どんどん何でもできるマルチ部隊と化していくな。
でも、警護の人間は絶対に必要だ。
伝説のスクール水着を下に着ていれば安心なのだが、パーティー用の肩が大胆に出たドレスなどの場合はそれもできない。
プリンセスガードとしては率先して警護部隊を作るべきか。
「わかった。警護部隊は何人くらいにする?」
「レールの敷設もございますので、先ほどお話がありました通り五〇人でよろしいでしょう。レオ様の方で近接戦闘が得意な者をピックアップしてください」
彼らの実力はいつも組手をしている俺が一番よく知っている。
頭の中にすぐにリストが浮かび上がった。
「了解。マルタ隊長に話を通しておくよ」
プーッ! プーッ!
突然無線機のコール音が鳴り響く。
またレベッカからかな?
こんなに頻繁に連絡を寄こさなくてもいいのに。
楽しいのは理解できるけどさ。
だが、俺が無線を掴むと、聞こえてきたのはレベッカの切羽詰まった叫び声だった。
「(返して! それは私の無線機よ!)」
レベッカの声だけど、かなり緊張している。
というか怯えている?
「(キャッ!)」
レベッカの叫び声!?
何かあったのか?
「レベッカ、どうした!? 何かあったのか?」
レベッカは見た目こそ少女だけど、闘技大会で優勝もしている猛者だぞ。
「(あっ! レオの声だ~)」
無線機から聞こえる声に冷や水を浴びせかけられた気分になった。
「(んっ? 聞こえないのか? レ~オ~、私だ。アニタだよ。レオを迎えに帝都から来たんだよ~)」
死神がカルバンシアまでやってきた!!
「(もうすぐ着くから準備運動をして待っているんだぞ。いっぱい愛し合おうじゃないか!」
愛し合おう=戦おうってことだよな……。
「(ちょっと! それ私のホバーボード!)」
「(こちらの方が速そうだ。借りていくぞ。お前は私の馬を使え。あははははっ)」
通信が途切れた。
「レベッカ、大丈夫か? レベッカ!?」
…………。
「こちらレベッカ……。ホバーボードを取られちゃった……グスっ……うぅ……」
泣いているようだ。
「レベッカ……。動けるのか?」
「うん……それは大丈夫」
「怪我は?」
「かすり傷……。手加減され……た……グスッ……」
そうか、やっぱりアニタとレベッカはやりあったんだな。
それで負けたか……。
自分も経験があるからよくわかるけど、レベッカのプライドはズタズタだろう。
「とにかく戻ってこいよ」
「うん……」
「慰めにはならないかもしれないけど、俺が
「うん……」
レベッカは通信を切った。
さて、本当に準備運動をしておいた方がいいな。
予定よりは早くなってしまったが、ついに来るべき日がやってきたという感じだ。
俺は死神を迎えるべく軽く屈伸を開始した。
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