第42話 デカメロン
オッセントレクトは北の離宮がある街だ。
この街の歴史は古く二〇〇年前には周囲の城壁ができていたそうだ。
城のある小高い山の上は標高一一〇〇メートルあり、周囲に連なる三〇〇〇メートル級の山々から吹き下ろす風のおかげで夏は比較的涼しく過ごせた。
俺とエバンスは離宮の中にあるフィルの居室で待機中だ。
一昨日、俺たちはマスクメロンを全て収穫した。
皇帝陛下に献上するために木箱を用意して、中にはおが屑をしきつめ、メロンが傷まないように丁寧に梱包したうえで、さらにフィルのインベントリバッグに入れてもらった。
これで鮮度も保たれるはずだった。
「エバンス、立派になって!」
お父さんの礼服を着込んだエバンスを見て、エバンスの両親と祖父母がオイオイと泣いていた。
涙もろい一族のようだ。
皆に見送られてエバンスは意気揚々とラゴウ村を出発した。
そして今に至る。
普段のエバンスはのんびりとした性格で、あまり慌てたところを見たことがない。
だけど、さすがに皇帝の居城にいる緊張で、今日は落ち着きがないように見える。
指先も少しだけ震えていた。
「大丈夫かな? こんなものを送りつけるとは何事だ! とか怒られないかな?」
「安心しろよ。エバンスだってあれを食べただろう。あんな美味しいメロンなんだ。きっとご褒美を貰えて終わりだよ」
俺がエバンスを落ち着かせていると扉がノックされた。
イルマさんが取次にたつ。
現れたのはなんと死神アニタだった。
「レ~オ~」
アニタは無言の圧力でイルマさんを押しのけて部屋の中に入ってきた。
「ブレッツ卿……」
次の瞬間、俺は動物的勘でその場を飛びのく。
死神はいきなり抱きついてきた。
「ハアハア……、あはっ、避けられた!」
アニタは避けられたのに嬉しそうな笑顔を見せた。
怖い。
死の抱擁みたいで絶対に嫌だ!
「反射神経がまた上がったのか? 以前に戦った時よりも動きがいいぞ」
恍惚とした表情のアニタがじりじりと俺に近づいてくる。
「ブレッツ卿! 何か用事があったのではないのですか!?」
恐怖のため思わず大きな声を出してしまったが、それでアニタは正気に戻った。
「……んっ? ああ、そうであった。レオとエバンスとかいう男を呼びに来たのだ」
死神が?
「なにかございましたか?」
「皇帝陛下がお呼びだ。至急、御前にて拝謁せよ」
まじかよ!?
喜ばれるとは思っていたけど、いきなり謁見とは予想外だ。
あっ……。エバンスが白くなって固まっている。
「レ、レオ~」
「大丈夫、俺も一緒に行くから」
緊張に震えるエバンスを助けながら謁見の間へと向かった。
謁見の間に入ると、意外に人が多くてびっくりした。
カルロさんのような高級文官の他に大臣の姿も何名か見られる。
その様子に一旦は落ち着いたエバンスが再び固まりそうになった。
「おお、呼んできたか。時間がもったいない。早くこっちに来い!」
陛下の呼び声に俺はエバンスを半ば引きずりながら御前まで出て跪いた。
「その方がエバンスだな。実に良いものをくれた。あのように美味いメロンは初めてだ。しかもここのところ政務が忙しくて睡眠不足だったのだが、あれを食べたらスッキリしたぞ」
それは忙しいのに子作りを止めない陛下が悪いと思う。
「あ~、それでだな、その方は農業の加護を持っているそうだな?」
エバンスは何も答えられない。
「時間がもったいないので直答を許す。持っているのだな?」
「は、はい」
エバンスの声が裏返った。
だが、陛下はまるで気にしていないようだ。
「うむ。では、今後は宮廷内の菜園でメロン作りに励め。必要なものがあれば何でも言え」
そうきたか。
「その方にはデカメロンの姓を与える。今後はエバンス・デカメロン準爵を名乗るがよい」
いきなりの叙爵きました!
だけどエバンスは俯いているだけで何も答えられなかった。
(エバンス、お礼を言って!)
「あ、あ、あ、ありがとうございます」
「うむ。それからレオ・カンパーニ」
「はっ」
「そなたもついでに男爵に昇爵だ。もっとも領地はなしだから名誉男爵みたいなものだな」
ついでって……。
「ありがとうございます」
「メロンの種を召喚したのと、カルバンシア城壁の修復に貢献したからな。それから森林軌道のことも聞いておる。超小型の魔道機関車とは考えたな。コストが安い割には役に立つようだ。今後はいろいろな場所での導入を考えているぞ」
「もったいないお言葉です」
「うむ。今回のことで45ポイント獲得だ。フィリシアのためにも頑張るとよい」
陛下がこう言うとアニタ・ブレッツが大きな咳ばらいをした。
「うむ。フィリシアとアニタのためにもだな」
死神のお嫁さんはいらないんですけど……。
アリスが言ってたぞ、セット販売はアリスの世界では違法だって……。
それに、いったい何ポイント稼いだらフィルとの仲を認めてもらえるんだろう。
怖いから質問できないけど……。
「話は以上だ。詳しいことは担当官を派遣するのでその者と話すように」
忙しそうな陛下の元から俺たちは退出した。
廊下に出るなりエバンスが質問してくる。
「レオ、これからどうなるんだろう?」
「詳しいことはこの後文官の方から話が聞けるよ。たぶんエバンスは宮廷暮らしになると思う」
菜園の近くにいくつか館を見たことがあるから、その辺に入るんじゃないのかな?
いずれにせよこれでエバンスも貴族の仲間入りだ。
でもエバンスはぼんやりとした表情のままだ。
ひょっとして堅苦しい貴族暮らしは嫌だったかな?
「エバンス、ひょっとして貴族になるのは嫌だった?」
「いやぁ、こんなことは想像もしてなかったから実感がないよ。ただ家族に楽をさせられるんなら貴族も悪くないよね。それに宮廷の菜園なら珍しい野菜を作れるだろうから面白そうではあるな」
実にエバンスらしい答えだ。
今後は費用を使い放題だろうから、もっと楽にメロンを育てることもできるかもしれない。
□□□□
二カ月後、エバンス・デカメロン準爵は庭園の側にある館を拝領した。
準爵は家族を引き連れてそこに住むこととなる。
また、アリスの提案により、帝国で初となる鉄骨とガラスを用いた温室というものが庭園の脇に設置され、デカメロン準爵がこれを管理した。
温室のおかげで寒い季節でも作物を作ることが可能になり、虫の害も格段に減ることとなる。
やがて、エバンス・デカメロン準爵は冬イチゴの栽培や厳冬期における花 (アネモネ)の栽培などでその地位を確固たるものにしていく。
だが、どんなに地位が上がろうと、自ら土をいじり、水を運び、額に汗を浮かばせながら作物の育成に心を砕く準爵の姿勢は生涯変わることはなかったという。
また普段は優しく穏やかな性格ではあったが、いざとなると芯が強く、疫病が蔓延した帝都に留まり温室と作物を守り続けたという逸話もある。
晩年は自らの経験を一冊の本にまとめた『実践的農業』を出版し、ブリューゼル農業史にその名を残す。
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