第38話 夏はあれの季節
城壁の修復作業にスルスミを投入した結果、作業効率が驚くほど上がった。
重い資材も楽々運べるし、高所の作業も二本のアームで難なくこなしている。
ララミーの操縦技術も長足の進歩を遂げていた。
一方、森林軌道の準備も着々と進んでいる。
まずはカルバンシア城付近に集積地を作り、そこから山間部へとレールを延ばしている最中だ。
この作業を担当しているのは我らが特戦隊だ。
作業を通じて隊員に工兵としての教育も施すとアリスが息巻いていた。
「工兵といえば工兵シャベルでございます」
今も図面を引きながら新しい道具を嬉しそうに発注している。
機嫌が良さそうなので何も言うまい。
バルカシオン将軍も対魔法部隊用の塹壕という戦法を思いついたらしく、興奮した様子でシャベル開発に協力していた。
特戦隊の隊員たちもいろいろな経験を経て、技術スキルが上がるので喜んでいるようだ。
最近では近隣の住人で特戦隊に志願してくる者も多い。
今後のカルバンシア防衛や森林軌道の運営人材を育てるためにも、優秀な人は積極的に採用している。
特戦隊の人数もいつの間にか二八八人まで増えていた。
俺とレベッカは日課となっているパトロールに出ていた。
今日もホバーボードで城壁上を巡回中だ。
「今日の召喚はもう終わったの?」
ホバーボードを軽快に扱いながらレベッカが聞いてくる。
「まだこれからだよ。今朝は少し寝坊しちゃったんだよね」
「昨日の消臭剤というのはよかったわ。トイレの匂いがだいぶ気にならなくなったもの」
昨日召喚した消臭剤はカルバンシア城のトイレに設置した。
強いラベンダーの香りがするだけではなく、匂いの原因菌を除菌して悪臭を封じ込める品物だ。
これでバルカシオン将軍が大をした直後でも、多少は楽に用を足せるようになった。
将軍は善良で優秀な人物だが腸内環境は悪いとみた。
「ねぇ、レオが召喚する様子を私も見学していいかな?」
「うーん……」
実をいうと新しいものを召喚する時はフィルでさえ近づけずに、なるべく一人で召喚することにしている。
一人で集中したいというのが建前だ。
だけど本当は、宮園姫香ちゃんの次なるDVDを召喚することを諦めていないというだけだ。
フィルやレベッカの前でアレを召喚してしまったらまずい気がする。
下手すれば没収、レベッカならDVDを叩き割る可能性もある。
いつか三枚目のDVDを召喚して故郷に帰る。
これが俺の密かな大望だ。
待ってろよ、エバンス、ポンセ、オマリー。
俺は必ず成し遂げてラゴウ村に帰るからな!
先日、フィルがトルネードキャノンで地竜を討ち取ってからというもの、国境線は比較的静かだ。
たまに虫系のモンスターが現れて城壁をガリガリしているくらいで大規模な集団での攻撃はない。
飛行可能な虫が村を襲うこともあるが、村の自警団で何とか処理しているようだ。
魔物をよく観察してみると、集団を作って攻めてくる魔物は比較的知能の高いものに限られているようだ。
だから知能の低い虫系ばかりが突発的に現れるのかな。
その虫系も本来は森の中で暮らす魔物ばかりなので滅多にやってくることはないようだ。
いま俺たちがパトロール中の長い城壁ができる前は、オークやゴブリンが辺境の村を襲うという事態が日常茶飯事だったそうだ。
今でも北の暮らしは厳しいようだが、一昔前に比べればだいぶ楽になったと聞いている。
パトロールを始めて一時間が経過している。
カルバンシア国境線は異常なしだ。
「レオ、少し休憩してそろそろ戻りましょう」
「うん。あそこの影がよさそうだ」
城壁の縁にレベッカと並んで腰かけた。
日差しはいよいよ熱くなってきている。
青い空の向こうに見える大きな雲が夏を感じさせる。
北の大地にも本格的な夏が到来しようとしていた。
「ほら、スポーツドリンクをララミーが魔法で凍らせてくれたんだ」
よく冷えたペットボトルをレベッカに渡してやると、レベッカは嬉しそうにはしゃいでいた。
その姿はとても年上には見えない。
「冷たくて気持ちいい……」
火照った肌に冷たいペットボトルをあてる姿が可愛らしい……。
「遠慮なくいただくわね」
レベッカは喉を鳴らしてスポーツ飲料を飲んでいた。
これでレベッカの素早さはまた少し上がるだろう。
俺も喉が渇いた。自分の分を飲むとするか。
……。
「あれ?」
鞄の中に入れておいたペットボトルがどこにもない。
おかしいな。ララミーが凍らせてくれた時に二本とも鞄にしまったはずなんだけど。
「どうしたの?」
「二本持ってきたと思ってたんだけど、一本しか入ってなかったんだ」
二人の間を初夏の熱い風が吹いていく。
レベッカの顎から汗の雫が一滴落ちた。
なんとなく気まずい雰囲気が流れた後、レベッカがペットボトルを突き出してきた。
「……いいわよ」
「えっ?」
「だから、飲んでいいわよ!」
「だけど……」
「レオも喉が渇いているのでしょう? 脱水症状を起こして倒れられたら、迷惑なのはこっちなんだからねっ!!」
「わ、わかったよ……」
レベッカの勢いに押される形でペットボトルに口をつける。
なぜだろう?
スポーツドリンクはいつもより甘酸っぱい味がした。
「わ、私にももう一口貰えるかな!? さっきからもの凄く暑くて……」
レベッカの顔が真っ赤だ。
俺も一口飲んだはずなのに喉がカラカラになっている。
「うん……一緒に飲もう……」
視界に広がる平原に敵影は見えない。
北部国境線は本日も異常無しだ。
□□□□
アリスはカルロら文官たちと小型魔道蒸気機関車の設計に取り組んでいた。
普段は無表情なことが多いアリスが微かに笑っている気がしてカルロは気になった。
「アリス殿、なにか良いことでもございましたかな?」
「わかりますか? 私の演算通りなら今頃レオ様は……」
「レオ君が?」
「なんでもございません。それよりも少し休憩にいたしませんか? ここによく冷えたスポーツドリンクというものがございます」
そう言ってアリスは半分凍っているスポーツドリンクをテーブルの上に出した。
「これは冷たそうだ。今日みたいな暑い日にはありがたいですな。ですがいいのでしょうか? これはレオ君のものでは?」
「レオ様も皆様に飲んでいただけるなら喜んでくださると思いますよ」
「それでは遠慮なくいただきましょう」
アリスは取り出したコップにスポーツドリンクを注ぎ分けた。
「どうぞお飲みください。少量ですが青春のおすそ分けですよ」
「青春のおすそ分け?」
アリスはたまに意味の分からない言葉を話すが、やはり今日も何を言っているのかカルロには理解できなかった。
「夏でございますね……」
窓の外を大きな入道雲が流れていく。
「たしかに夏の風情ですな」
「ええ。……夏と言えばやっぱり間接キスの季節でございますね」
「か、間接キス?」
カルロの疑問の声には答えず、アリスは微笑みを崩さないまま空に視線を向けたままだった。
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