第30話 男の館

 他の皇族のことは知らないが、フィルは規則正しい生活をしている。

夜は十時くらいには就寝し、朝は六時に目覚める。朝食はいつも七時半と決まっていて、遅れることはまずない。

食事の給仕はイルマさんをはじめとする上級メイドが受け持ち、俺は側に控えて護衛兼、話し相手を務めるのが常だ。

そしてフィルの食事が終わると俺たちも朝ご飯を食べることができる。

 俺やイルマさんが食事をするのは厨房に近い比較的大きな一室だ。

上級メイドや護衛騎士などが集まり、下級メイドたちに給仕をしてもらいながら食べることになる。

席などは決まっていないので空いている席に適当に座る習慣だ。

食堂は宮廷で働く者にとっての社交場にもなっている。

今もイルマさんが後輩のメイドと話をしながら食後のコーヒーを楽しんでいた。


「イルマ先輩、最近ますますお肌が綺麗になっていませんか?」


俺があげた化粧水が役に立っているね。


「そうかしら?」

「またまたぁ。何か秘密があるんでしょう?」

「うふふ」


イルマさんは微笑むだけで何も答えない。

そうしてくれた方が俺としてもありがたい。

皆に化粧水をねだられたら、それだけで毎日の召喚がいっぱいいっぱいになってしまうだろう。


「さては男ができましたね!?」


断定するように後輩メイドが問いただす。


「そんな感じかな」

「キャー!」


ほんの一瞬だけだけどイルマさんが意味ありげな視線を送ってきた。

完全にからかわれているな……。

純情な少年を弄ぶのはやめてほしい。

俺は目の前にあるスクランブルエッグをかきこんだ。


「ショタ道を爆進中のところ失礼します」


いつもの調子でアリスがやってきた。


「どうしたの?」

「少々御相談がありまして」


改まってどうしたのだろうか。


「何か問題でも起きた?」


「アリス……魔石がほしいなぁ……でございます」


普通に言えよ、上目遣いじゃなくて。


「あれ、もう足りなくなってきた?」

「最近は魔石を使う道具が増えていますから。それとシステムの更新や記憶のバックアップを取るために長時間の時空間接続をしたいのです」


システムの更新や記憶のバックアップというのはよくわからないが、時空間接続には多量の魔力が必要だということは知っている。


「わかった。どれくらいの魔石が必要なの?」

「B級品で四〇キロもあれば」


およそ二四〇万~二六〇万レウンか。

かなり高額の出費だ。

というよりもそんな高額な買い物をした経験がない。

これまで一番高かった買い物ってヤギだったからなぁ。

三万二千レウンだったかな。

あ、今履いているブーツが六万レウンくらいだった。

ヤギよりも高いのか……。


「申し訳ございません」


珍しくアリスが済まなさそうにしていた。


「大丈夫。アリスにはお世話になりっぱなしだからね。これくらいどうってことないよ」


俺がそう言うとアリスは微かに微笑んだ。


「もう……惚れなおしちゃうぞ! でございます」


 俺の年俸は二八〇〇万レウンで年に四回に分けて支払ってもらえる。

最初の支払いは既に貰っていて七〇〇万レウンがほとんど手つかずで残っていた。

衣食住の内、食と住は保証されているし、衣も制服が与えられているので当分新しい服を買う予定もない。

魔石を買うくらいなら何とでもなるのだ。

今日は午後から休みなので久しぶりに街に出て買い物をすることにした。



 ラムゼイ通りを川沿いに進むと、教えてもらった魔石問屋はすぐに見つかった。

大量購入なら小売店よりも安いと聞いて王室御用達のこの店に来たのだ。

今回は五〇キログラム入りの木箱を二九〇万レウンで購入することができた。

この量を小売店で買ったら三〇〇万レウンは下らないので、大分経費を抑えられたと思う。


「王宮までの運賃はおまけしておきますね」


と、店の人は言ってくれたが、アリスがひょいと肩に担いでしまった。

まさか持ち帰るとは思っていなかったらしくとても驚かれてしまった。


 これで用件は済んだけど、久しぶりの街なのでもう少し見物していきたい。

帝都ブリューゼルに来たはいいけど、宮殿の外のことはほとんど知らないんだよね。


「もう少し街を見ていきたいんだけど、アリスはどうする?」

「私は先に帰ってもよろしいでしょうか? システムの更新が楽しみで待ちきれないのです」


システム更新はアリスにとっては大事なことらしい。


「わかった。じゃあ先に帰ってて」

「はい。バックアップとシステム更新の間は無防備になりますので、スルスミの中で時空間接続をしたいと思います」

「了解」


アリスは抑揚のない声で鼻歌を歌いながら帰っていった。



 気ままに街を歩くというのも楽しいものだ。

俺は立ち並ぶ店を覗いたり、行きかう人々の様子を眺めたりしながら午後を過ごした。


「そこに行くのは我が心の友レオ・カンパーニ君ではないか!」


往来のど真ん中で人の名前をフルネームで呼ぶ人がいると思ったら、レレベル準爵だった。


「準爵、恥ずかしいから人の名前を大声で呼ぶのはやめてください」

「はっはっはっ、相変わらずレオ君は初心(うぶ)だなぁ。一別以来じゃないか。元気にしていたかね?」


レレベル準爵とメダリアさんの修羅場を逃げ出してから、もう一カ月以上が経つ。


「あの後、メダリアさんには許してもらえたんですか?」

「もちろんだとも! あの事件からこっち、二人の愛はより深まっているよ」


二人は仲直りできたようだ。


「それは良かったですね」

「ありがとう。ところでプリンセスガードともあろう君がこんなところで何をしているのかね?」

「自分は非番なので魔石の買い付けに来たのです。準爵は?」


俺が質問するとレレベル準爵は嬉しそうに鼻をうごめかした。


「よくぞ聞いてくれた! 実は先日の投資で儲けた金をさらに増やすために商売を始めたのだよ。この近くの酒場なのだが居抜きで買い取ってね。五日前にオープンしたのだが非常に評判が良くて、毎日満員御礼状態なんだ」


居抜きというのは備品などはそのままになった状態での物件買取だそうだ。


「商売繁盛のようで何よりじゃないですか」

「ありがとう。レオ君は非番と言ったな。だったら、ぜひ私の店によってくれたまえ。君には世話になったからな、たっぷりとご馳走しないと私の気が済まないよ」

「そんな、お気遣いなく」


やんわりと断ったのだが、レレベル準爵は持ち前の腰の低い強引さで俺を店まで引っ張っていった。


 連れてこられた場所は歓楽街だった。

通りの両脇には酒場が並び、奥の方には娼館もあるようだ。

準爵の説明によると、ここいら一帯は平均より少しだけグレードの高い大衆店が多いとのことだった。

辺りは丁度宵闇が迫りだし、店店の軒先には明かりが灯りだした。

俺はその安っぽい絢爛さに圧倒されてしまう。

ここがポンセとオマリーが話していた歓楽街か。


「さあさあ、こちらですぞ」


レレベル準爵に促されて細い路地に入ると、いくつものランプに照らし出された石造りの建物があった。

正面の大きな赤い扉は観音開きに開け放たれて中からは明るい笑い声が聞こえている。


「ここが私の店ですよ」


準爵の指し示す方向に大きな看板があった。


『男の館 ハニートラップ』


なんてひどいネーミングセンスなんだ。

ボッタクリ店の臭いしかしないぞ。


「いかがかな? センスを感じさせる屋号でしょう? 私が考案したのですよ」


犯人はお前か! 

だけど怪しさ爆発の店名なのに、客の入りは悪くないようだ。

俺たちが話している横を新たに三人の客が入っていった。

正直、こんな店に入った経験は一度もない。

お酒だってエバンスたちと飲んだチェリービールくらいのものだ。

だから……ちょっとくらいは興味もある。


「これはオーナー! ようこそいらっしゃいました」


店の奥から店員らしき男の人が出てきた。


「おお、支配人。こちらは私の親友であるレオ・カンパーニ卿だ。VIPルームを用意してくれたまえ」

「畏まりました。どうぞこちらに。カンパーニ卿をVIPルームにご案内するんだ」


俺はわらわらと現れた女の子二人に両腕を掴まれ、室内へと引きずられていった。



 ハニートラップは名前とは裏腹に良心価格で楽しいお酒を飲ませる店だった。

性的なサービスはなく、美人の女の子が酒の相手をしてくれて、楽しく盛り上げてくれる店のようだ。

ただね、普段からフィルやアリス、イルマさんにレベッカなどの美女に囲まれているせいかそんなに楽しいという気持ちにはなれなかった。

レレベル準爵の手前、礼儀として笑顔は絶やさなかったけど、どこか冷めた気持ちでもあった。


(そろそろアリスの更新とバックアップは終わったかな?)


酒を飲んでいる間にも、なぜかそのことばかりが気になっていた。

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