第29話 死神に魅入られた

 遠くの方で虚ろな瞳で俺を見ていた死神が、こちらに向かってヒタヒタと歩いてきた。


「ちょうどいい、相手をしろ」


有無を言わせない物言いで訓練用の木剣を俺にさし向けてくる。

これはヤバい状況だ。

アリスにはこいつとだけは戦うなと言われているのに、向こうはやる気満々のようだ。


「あの、俺は訓練を――」


死神は俺の言葉には一切耳を貸さず無造作に距離を詰めてくる。

そして五メートルの距離まで来ると、一足飛びに間合いを詰められた。

常人離れした踏み込みと打ち込みだ。

躱すことも出来ずに棒で何とか攻撃を受けとめるだけだった。


「ほう……」


僅かに感心したような顔をしたのも束の間、死神の新たな攻撃が繰り出された。

神速の連撃が嵐のように襲い掛かってくる。

ここは防御に徹して何とか活路を見出すしかなさそうだ。

俺が身につけている軍隊戦闘術ではなく、アリスに教えてもらった剣術に「残月」という極意がある。

柳が風を受けるように、全ての攻撃をいなしながら、ひたすら決定的チャンスを待つという戦闘スタイルだ。

夜を耐え忍び、白々と明ける空に残月を見上げるという境地からこの名がついたらしい。

普段、アリスの猛攻を受けていることがこんなところで役に立つとは思わなかった。


……。


 訓練が始まってもう一〇分は経っている。

やっぱりこの人は化け物だ。

普通は疲労が蓄積して攻撃の手が緩まるはずなのに、死神は衰えというものを知らない。

むしろ調子がのってきたように回転スピードが上がっている。

それに伴い、虚ろだった表情も今はニィっと口角が上って、目も大きく見開かれている。

青白かった顔も頬に赤みがさしていた。


「いい……お前、中々いいよ!」


 お前は顔が怖すぎるんだよ! 

狂気さえ感じさせる笑顔で攻撃してくる死神が怖くて、情けない話だが俺は心の中でアリスに助けを求めて叫んでいた。

アリスが逃げろと言った意味がようやく分かった気がする。

戦闘術の達人だなんて己惚れていたけど、世の中、上には上がいたのだ。

上下左右に打ち分けられる攻撃にパターンはなく非常に先読みがしづらい。

その上蹴り技や足掛けも絡めてくるのでやりづらかった。

致命打こそ貰っていないが俺の身体も無傷というわけにはいかず、さっきから小さな傷が腕や足に無数についていた。

 でもさ、俺の心の中でも何かが変化してきているんだよね。

ものすごい猛攻を受けながら、何とか工夫して一泡吹かせてやりたいという気持ちが湧き上がってきているんだ。

だからひたすら耐え抜き毛筋ほどの隙を探す。

そしてついにチャンスは訪れた。


 右上段から振られた剣を棍棒で受け止め、左に流したとき、わずかに死神の重心がずれた。

そこを見逃さず、棒を掴んだままの肘を死神の顎に向けて叩きつける。

うまく決まれば脳震盪をおこして立てなくなる攻撃だ。

だが、攻撃は顎の先端ではなく頬のど真ん中に命中した。

これの方が派手に見えるが相手の自由を奪う攻撃にはならない。


 次の瞬間、死神の口から何かが飛び出たと思ったら視界が赤く染まった。

俺の攻撃で口の中を切ったのだろう。

その時流れた血を飛ばしてきたのだなと理解したときには、鳩尾を深く蹴り上げられていた。

そのまま、ぼやけた視界の中を回し蹴りが飛んできて後ろに倒れてしまう。

死神はすかさずマウントポジションをとり、寝かせた木剣で頸動脈を切りにきた。

訓練用の木剣なのだから首が切れるわけではないのだが、俺は死神の腕を押さえて必死に抵抗した。

絶対に負けたくなかったんだ。

死神は相変わらず狂気の笑みをたたえながら、息を弾ませて剣を押し付けてきた。

その姿はまるで快楽を貪っているようにも見える。


「ハア、ハア、ハア……もう少しだから……」

「させるかよ」


 訓練や召喚物のおかげで俺のパワーはだいぶ上がっていたようだ。

何とか死神の腕を押しとどめる。

だけど、上からねじ伏せるように押さえつけてくる力に木剣は徐々に俺の首に近づいていった。


 あと僅かで剣が首に触れる、その時だった。

突然死神が声を上げた。


「もう……来る!!」


 木剣がわずかに首に触れた瞬間、死神が歓喜の声を上げてビクンと体を震わせた。

赤く霞む視界の中で見えたのは、苦痛とも快楽ともとれる恍惚の表情をした死神の表情だった。

死神はしばらく俺の上で体をぴくぴくとさせていたが、やがて力を抜いてゆっくりと立ち上がり、俺を見下ろしてきた。


「な、何なんだよ!?」

「私はアニタ・ブレッツ。お前は?」

「……」

「名乗れ、プリンセスガード。ロイヤルガードの私にその態度はないだろう?」

「……レオ・カンパーニです」


アニタ・ブレッツは頷くと踵を返して練兵場を出ていこうとした。


「ま、待ってください! 試合は?」

「もう、満足したからいい……」


はあ?


「満足って、何を言ってるんだ!?」


アニタ・ブレッツは虚ろな瞳でこちらを見ながら言った。


「私は変態だ」


この人、言い切った!?


「戦闘の中でしか快楽を得られないのだ。お前のおかげで今夜は数年ぶりに深い満足を得ることができた。礼を言うぞ」


えーと……。


「このことを人に言ったのは初めてだ。どうだレオ、私の男にならないか?」


今度はいきなり口説かれた!?


「遠慮します。アニタさんの相手をするには命がいくらあっても足りません」

「そうだろうな。今だって真剣でお前と斬りあったらと考えてゾクゾクしているくらいの変態だからな」


いっそ清々しいほどのカミングアウト!


「レオ、私より強くなれ」

「はっ?」

「お前の肘が入った時、何とも言えない気持ちになってな」

「はあ……」

「私は負けたことがないのだ。いつも勝利して快感を得ていた。だがお前の肘をくらって思ったのだ。ひょっとしたら敗北による深い快感もあるかもしれないとな」


こいつ本物だ……。

本物の変態さんだ!


「だからレオよ、強くなれ。強くなって私に更なる世界を見せてくれ」

「お断りします」


俺の否定を死神は軽く流してくれた。


「今夜は本当によく眠れそうだ」


俺の方は絶対に寝つきが悪いと思う。

何度も悪夢にうなされそうな予感がする。


「また相手をしてくれ」


片手をあげて去っていくアニタ・ブレッツの背中に叫んだ。


「二度とやりませんからね!!」


もう付き合うもんか!



 アニタ・ブレッツが去り、俺はその場に座り込んだ。

とんでもないのに目をつけられてしまった自分の不幸を嘆いていたら、壁の隅に隠れていたアリスに声をかけられた。


「大丈夫ですか? 派手に負けていましたけど」

「負けてないだろう?」

「あれでですかぁ?」


他の人には見られたくなかった。


「思ったより善戦していましたけどね」

「いつからいたんだよ?」

「あいつがレオ様の上に乗って腰を振っていた辺りからでございます」


もう何も言うまい。


「それにしてもすごいですよね。Sであると同時にMとは。火炎系と氷系の魔法をスパークさせた極大魔法くらいのインパクトでございます」


よくわからない例えだ。


「で、レオ様はどうするんですか?」

「二度と関わりたくないよ」

「負けっぱなしでいいんですか?」

「負けてないってば!」


アリスは久しぶりに微かに笑った。


「あれは脳筋ロリの上位互換です。しかもデレればヤンデレに化けます」


また訳の分からない単語のオンパレードだ。


「一人くらいヤンデレがいてもいいじゃないですか。戦闘力だけは馬鹿みたいに高いし」


だから困っているんだろう。


「それに、レオ様……」

「なんだよ……?」

「悔しくはないですか?」


S型第五世代AIめ。

痛いところを突いてくる。


「悔しいです!!」

「男の子はそうでなきゃ、でございますね」


俺はアリスとの更なる特訓をすることにした。

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