第3話 サヨナラの季節に戦闘術を始めました

 息を切らしながらヨランの家のドアをノックすると、ヨランのお父さんであるカムラさんが出てきた。


「ああ、レオか。何か用か?」


普段は愛想のいいはずのカムラさんが今日は憮然とした表情だ。


「あの、ヨランはいますか?」


俺が聞くとカムラさんは「チッ!」と舌打ちをした。

カムラさんのこんな態度は初めてだ。

以前は俺をヨランの婚約者のように扱っていてくれたのに。

きちんとした約束があったわけじゃないけど、当然みんなそうなると思っていたはずだ。


「え? あ、あの……」

「付け上がりやがって。お前みたいな両親もないような奴に付きまとわれたら、ヨランも迷惑なんだよ。しかもお前のギフトは何の役にも立たない召喚術だって言うじゃないか」


思わず俺は、「違う、俺が召喚できるのは洗濯バサミだけじゃない!」と叫びそうになった。

だけど、それを伝えてどうするというのだ。

目の前にいる男は、俺のことを無能だと判断した瞬間に手の平を返してきたような人間だ。

きっとこれがこの人の本質なのだろう。

だったら俺はこれ以上こんな奴に関わるべきじゃないのかもしれない。


「さっさと消えろ。この洗濯バサミ!」


ドアは俺の目の前でピシャリと閉められた。

悔しさで体が震えてきたが、敢えて俺は何も言わないことにした。

こんな男との交流はこちらから願い下げだ。

だけど、ヨランは……。

未練がましくドアのところに立っていると、壁の向こうからヨランの声が聞こえてきた。


「お父さん、誰か来てたの?」

「レオの奴だ」

「げっ」


……。

「げっ」って……。

俺は彼女にとってそこまで嫌悪される人間だったのかよ。


「それで、あいつどうしたの?」

「大丈夫、もう帰った」

「あ~あ、白羽の御子だからもう少しマシなギフトを授かると思ったのに。私の人生計画が台無しだわ」

「まったくだ。まさかあいつが無能の洗濯バサミとは……」


自分の中で急激に気持ちが冷めていくのが分かった。

ヨランにとって俺なんて、そんな程度の人間だったんだ。

俺はヨランに上げる予定だったチロリンチョコのテカテカとした包み紙を広げた。

途端に甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。

ポーンと口に放り込むと今まで体験したことのない強烈な甘みと芳香が舌の上に広がっていた。

なんて美味しいんだろう! 

生まれて初めての美味に元気が湧いてくる。

そういえば説明のメモにも食べると元気が出ると書いてあったな。

もしかしたら、これはマジックアイテムだったのかもしれない。

失恋の痛手は完全には癒えていなかったけど、俺はしっかりとした足取りで歩きだした。



家に帰る途中でエバンスに会った。

あんな状態だった俺を気にかけてくれた、たった一人の友達だ。


「やあ、レオ。もう一度召喚術を試してみたかい?」


エバンスはニコニコと声をかけてきた。

俺は先ほどの経験から、つい嘘をついてしまった。


「それが、朝も試してみたけど、やっぱり洗濯バサミしか召喚できなかったよ」


もしこれでエバンスが俺を見限るようならそれまでだ。

だけどエバンスは俺を慰めてくれた。


「そうかぁ。それは残念だったな。でもさ、洗濯バサミって初めて見たけど、あれはあれで便利だと思うぞ。一〇個くらい溜まったら俺にも売ってくれよ。家の母ちゃんは喜ぶと思うな」


朗らかなエバンスの笑顔に泣きそうになってしまった。

もしもう一度召喚できたのなら、エバンスにはチロリンチョコも絶対にプレゼントすることにしよう。

こんな田舎ではチョコレートを食べたことがある奴なんて一人もいない。

きっと喜んでくれるに違いなかった。

エバンスって少しぽっちゃり体型の見た目からもわかる通り、食べることが好きなんだよね。


エバンスと話していると、同年代のポンセとオマリーもやってきた。

俺が役立たずの「洗濯バサミ」だとわかった後、あからさまに交際を絶とうとした奴らもいたが、これまでと変わらない付き合いをしてくれる友達もちゃんといたことがわかって嬉しかった。


「昨日はなんて声をかけていいかわかんなくてさ。悪かったな」

「気にすんなよ。どうせ俺たちはこの村で農業と狩りしかできないんだからさ」


結局、俺が白羽の御子だったという理由だけで付き合っていた人は離れていった、それだけのことだ。

そのことがわかっただけでもいい経験をしたのかもしれない。

これも社会勉強というやつなんだろう



 家に帰って、いつも通り山羊と鶏に餌を食べさせた。

今は冬だから農業はお休みだ。

この村の人間はほとんどが農業と狩りで生計を立てている。

俺もたまには狩りに出るが、せいぜい罠を仕掛けるくらいだ。

だからといって冬に仕事がないわけじゃない。

藁でロープを編んだり、チーズを作ったりもする。

次男三男なんかだと街に出稼ぎに行く者もいるし、腕に覚えのある奴はダンジョンに潜り魔物を倒すこともある。

魔物から素材や魔石と呼ばれる魔力の結晶を取り出すことで現金収入になるのだ。

しかもダンジョンではお宝が出現することもあり、農閑期の大事な収入源になっていた。

だけど、ダンジョン攻略ができるのは攻撃魔法や武器を使える人ばかりだ。

俺のような普通の人間は命の危険があるダンジョンへ入ることは稀だった。



 次の日、目覚めると家畜の様子を見る前に召喚術を試してみることにした。

動物たちには悪いけど、やっぱりこっちの方が気になるもんね。

今日は何が召喚されるのだろう。


「豊穣と知恵の女神デミルバとの約定において命ず。異界のモノよ、我が元にその姿を現せ!」


 今日俺が召喚したのは本だった。今までで一番大きなモノだ。



####


品名 『軍隊戦闘術 速習4週間!! ~今日から君も特殊部隊~』(民明書館)

説明 この本を読めば君も戦闘術の達人になれるぞ。無手だけではなくナイフ・棍棒・槍・拳銃・突撃銃(アサルトライフル)に関する攻防技術まで幅広く網羅。極めろ、呼吸法!!


####



 すっごい胡散臭いタイトルだ。

本当に本を読むだけで戦闘の達人になれるのだろうか? 

しかも、たった四週間で。

そんな話は聞いたことがないぞ。

だいたいナイフや棍棒、槍というのは知っている。

でも、拳銃とか突撃銃(アサルトライフル)って何だろう? 

知らない物がたくさんあるぞ。


それに腑に落ちないことはもう一つある。

それは文字だ。

タイトルも中身も異世界の文字らしいんだけど、なぜか読むことができた。

この世界の文字は死んだ祖母ちゃんに教わったから、大概のものは読めるけど、まさか異世界の文字まで読めるようになっているとは思わなかった。

これも女神さまがくれた力の一部なのかな。


 俺は疑りながらも最初のページを開いてみた。

内容はドリル式になっているようだ。

文字の横には挿絵もついているのだが、なんとこの絵が動いた! 

これならわかりやすい。

しかも、この本をじっと見ていると、どのように筋肉を使えばこんな動きが出来るかが、すんなりと頭の中に入ってくるのだ。

これって魔法の本なのか!?

しかも、おもしろい!!


 俺は夢中になって『軍隊戦闘術 速習4週間!! ~今日から君も特殊部隊~』(民明書館?)を読んだ。

だけどその内にヤギと鶏が悲痛な声を上げだす。

ゴメン、ゴメン。

君たちに餌をやるのをすっかり忘れていたよ。

動物たちに餌をやって、午後はひたすら修行に打ち込んだ。

それこそ筋肉痛で動けなくなるくらいに……。

ガクガクいう膝で仕事をしながら、それでも俺の心は喜びにあふれていた。

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