三、

「ごめんな、ほんに」

 母は詫びつつ、差し出したティッシュを山のように消費して顔中を拭う。文晴が気を使って、麦茶いるか、とグラスを出した。

「ええよ。私も思わず言うてしもうたわ」

「気にせんでええ。あの人らこそ、あんまりだわ」

 再び引き出したティッシュで目元を拭い、文晴が注いだ麦茶を一息に飲み干す。化粧の落ちた頬はふっくらとして、血色も良かった。

 決して重ならない影に一息ついて、文晴を見る。

「彰考はどうしとる」

「ねえちゃんまだかなあ、言うとるうちに寝た」

「早っ」

「彰考寝たし、対戦しようぜ」

「テスト勉強は」

 洟を啜りつつ尋ねる母に、文晴の視線が一瞬泳いだ。

「あんた今度数学悪かったら、ゲーム禁止よ」

「俺の間違いは大体ケアレスミスだけえ、それ含めんかったら平均を下回ることはないわ」

「なんで含めんのが許されると思うん?」

 謎の主張に脇を突くと、おいやめろ、と体をねじる。もう一度突くと、おい穏子、と呼び捨てにした。

「もうええ、部屋に行きなさい。遅うならんうちに寝なさいよ」

 笑う母に促され、どちらともなく台所を出る。ちょうど一悶着を終えて戻ってきた父が、そのまま中へ入って行った。

 二人はこれからどんな話をするのだろう。攫われた私のことを思い出して、慰め合うのだろうか。


 あのさあ、と切り出した文晴に、うん、と答える。

「その子が帰ってきた時、俺らはどんな風にしたらええ」

 同じクラスの子、だったのか。

「なんもせんでええ。下世話な興味で話し掛けたり噂にしたりせんのが、一番救われるわ」

 文晴は、分かった、と珍しく殊勝に返してから部屋に入った。


 また吹いた風に振り向き、震えるガラス戸を眺める。そこへ映し出された私は、父にも母にも似ていない。一息ついて、私も部屋へ入る。中では彰考が、丸太のように転がって寝息を立てていた。

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