二、

 事件が起きたのは三日前、近くの女子中学生が下校中に突然消えた。帰りの遅すぎる娘に家は警察へ届け出て、集落の捜索隊は夜通し彼女を探し続けた。うちも父が山の、神籬ひもろぎ周辺を念入りに捜索したが、未だ結果は思わしくない。昨日は我が家にも警察が来て、母が話を聞かれていたようだった。

 確かに回覧板は来ていたが、詳細は確認できなかった。開いた途端、気づいた母がもぎとるように奪ってしまったからだ。挟まれていた写真の彼女は文晴と同じ中学の制服を着て、明るい笑みを浮かべていた。


 不意に向こうで大きな声がして、びくりとする。

「文晴、彰考見とって」

「いや、俺が行くて」

「ええよ。多分、私の方がええと思う」

 苦笑した私に、文晴は視線を落とす。彰考は分からない様子だが文晴は多分、誰かに言われたのだろう。普通の男子中学生なら飛びつきそうな話題を持ち出さないのは、家に漂う空気を読んでいるからだ。


 部屋を出て、古びた廊下を玄関へと向かう。不意の風に、隣でガラス戸がびり、と震える。青白い蛍光灯に照らされた廊下は、人に磨かれた真ん中だけがどことなく不気味に光っていた。

 言い合う声が少しずつ大きくなって、やがてはっきりと聞きとれるようになる。訪れたのは、消えた彼女の両親のようだった。

「娘さんが心配なんは、よう分かります。だから私らも探しに出とるんです。ほんでも、その協力はできません」

 父らしくない、少し感情的な声がした。普段は物静かで、あまり感情を出さない人だ。役場では割と上の立場らしいが、部下を叱ることはあるのだろうか。少なくとも、私達はこんな口調で叱られたことはない。私が学校へ行けなくなった時も通信制高校を選んだ時も、卒業がもう一年延びそうな今も、ただ黙って頷くだけだった。

 玄関脇の砂壁に張りつくと、日に焼けた木と埃の、馴染んだ我が家の匂いがした。

「もう済んだことなんだけえ、良かろうが」

「済んでません!」

 突っぱねるように、母のきつい声が響く。思わず揺れた指先が、砂を削り落とした。

「あんた達が、あんた達の子が、どんだけ娘を追い詰めたんか分かっとるんですか。私は、許しません」

 語尾は震え、啜り泣く音に変わる。少しだけ顔を出すと背を丸めてしゃくりあげる母と、それを宥める父がいた。

 たまらなくなって、思わず足を踏み出す。

穏子やすこ、来たらいけん」

 私に気づいた泣き顔の母が、行く手を阻むように抱き締める。私を見上げる目や鼻は真っ赤で、化粧も崩れてぼろぼろだ。こんな顔を見たのは、それこそ、あの時以来だ。あの時は、泣き崩れた母を私が見上げた。

「穏子ちゃん、教えてえ。どうやって『こっち』に戻って来たん」

 土間で涙を流す母親には、もちろん見覚えがある。私に「神隠し」とあだ名をつけて散々いじめた奴の親だ。そいつは今、普通に全日制の高校生活を謳歌しているらしい。自分の妹が神隠しに遭って、どんな気分だろう。出てこなくても、出てきたところで。

 穏子、といつもの口調で促す父に頷く。震える母の丸い肩を抱き奥へ戻ろうとした時、また悲痛な声が私を呼んだ。

――なあ、あんたほんとに神隠しに遭うたん。うちのお母さんが、ほんとは悪いもんに捕まって変なことされとって言えんだけじゃないのってぇ。

 奴はそう言って下品な笑みを浮かべたあと、私のランドセルの中身を田んぼへぶちまけて帰って行った。

「神様なら、なんもせんでも帰してくれます。悪いもんなら知りません」

 突き放すように答え、母を連れて台所へ向かう。背後で号泣が聞こえたが、もうどうでもいい。廊下の奥で、文晴がじっと立ち尽くしていた。

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