第9話 世話役ガレット・アレクシル

「はぁっ……」


 リチャード殿下のわがままは本当に困ったものだ。


 あれが欲しい、これが欲しいと単純な物欲にかられている時は何の苦もなくやり過ごす事は出来ていたが成長なされた今、殿下が欲しがるものといえば人望や地位や力といったものばかり。さすがにそれらを私に求められてもどうする事も出来はしない。


『ガレット! 私は人望が欲しい! 今すぐここに持ってこい!』


『えぇぇぇっ⁉︎ じっ、人望ですかぁぁぁっ⁉︎』


 ふっ……あの時は流石の私も度肝と魂を同時に抜かれた思いだった。


 夢であって欲しいと何度思ったことか……。


 それからというもの殿下は人望が手に入らないのなら、それを持っている人物からそれを奪うようになっていった。


 皆から慕われている者の人気が無くなるよう良くない噂を流したり、嫌いになれと直接言っていたのも耳にした。


 そしてとうとう最後にはこの国にとって一番重要とも言われる聖女様に目をつけ、国外追放という蛮行にはしってしまった。


 聖女様の力を信じていないいわゆる反対派の存在を嗅ぎつけるなり、即行動を起こしたあの判断力と行動力は素晴らしかった。


 そこからあれやこれやと声を大にして国王陛下まで手玉にとったのだから、あれはあれでやはり並々ならぬ才覚をお持ちなのかもしれない……。


 血というものは凄いものだ。


 さて、捏造したアンケート調査の内容はひとつ残らず間違いなく焼却したのでこれで安心だ。


 あとは聖女の力を信じている九割以上の民をどう納得させるかだが……。


「うわっ! 何だこれはっ⁉︎」


 私が考えを巡らせていると周辺一帯からけたたましい物音と悲鳴が上がり始めた。


 いったい何が起こったのかと、私は民家が建ち並ぶ路地を急いで通りへと走り出た。 


 すると、


「ぐあっ!」 


 通りへと出た途端、何かが私の左肩に直撃し強烈な鈍い痛みが走った。


「痛っ! うぐっ、何だ、ぐおっ!」


 次々と私の身体に何かがぶつかってくる。けたたましい音は更にその激しさを増していく。


 強烈な痛みと激しい物音に、私は咄嗟にさっきいた路地へと倒れ込むように逃げ込んだ。


「うっぐぐぐ……」


 地面に倒れ込みいまだ身体中を駆け巡る激しい痛みに悶え苦しんだ。


 反射的に閉じてしまうまぶたをどうにか持ち上げ状況を確認する。けたたましい物音はいまだに続いており、ときおりいくつかの悲鳴が聞こえてくる。


 痛みが頂点を越えゆるやかに減速しだした頃、私はようやく気付いた。私がそれまで必死に手に握っていたものを。


 左手に感じる冷たい感覚。


「こ……これは……氷?」


 私はなぜか、左手に氷を握りしめていた。拳大はあろうかというほどの大きな氷の塊を。


 なぜ私はこんな氷を握りしめているのだろう?


 というか、いつから?


 何のために?


 私は手にした丸い氷を地面に転がすように放つと、その視線の先でさらにとんでもない光景を目の当たりにした。


 そこには自身が握っていたものと同じくらいの大きさの氷の塊がいくつも地面に転がっており、ゴトリゴトリと鈍く大きな音をたてながら降り積もっていたのだ。


「まさか……これはひょうか……?」


 そう思い至り、確認しようと見上げた空は残念ながら民家の屋根で覆い隠されていた。


 が、


 見上げた民家の屋根が悲鳴にも似た爆音を上げながら、小さな木片をパラパラと私の上に降らせた。


 次の瞬間、拳大の氷の塊が私が寝転ぶ地面の目と鼻の先に落ち、私は咄嗟に身体をのけ反らせた。


 民家の屋根には人ひとり通れるくらいの大きさの穴が空き、そこから不機嫌そうな曇天がうらめしそうに私を睨み、容赦無く氷の塊を地に降らせていた。


 民家の屋根はその身にいくつの氷をあびたのか、激しい悲鳴を上げながら少しずつその身をただの木片へと変えていく。


 私は必死に痛みを押し殺しその場に立ち上がり、いまだ無事な屋根の下を走って逃げた。


 足を引きずり痛みに耐えながら、いまだに考えがまとまらない頭で必死に考える。


 これは何だ?


 いったい何が起きたのだ?


 ついさっきまで清々しいほどの晴天だったではないか。


 それがいったいこれは……。


 いや……違う。突然の天候の変化などそう珍しいものではない。


 その度合いが異常なのだ。


 なんだあの馬鹿げた氷の大きさは。


 あんなものがいくつもいくつも天から降り注いだのでは、たまったものではない。頭に直撃したら大怪我では済まないぞ。


 辺りには相変わらず爆音が響いており、あの馬鹿げた氷の塊はいまだ天から降り注いでいるらしい。


 普通に考えれば地獄のような事態だが、あんなものは所詮はただの氷の塊。強固な屋根のしたに居ればどうという事はない。


 幸い、次の角を曲がれば生活雑貨を取り扱っている店がある。そこの地下室にでも逃げ込めば、私の身はもう安全だ。


「ーーなっ⁉︎」


 角を曲がり安堵の色を浮かべていた私の表情が一気に凍りついた。


 私の目的地であった店の二階からは激しく燃える赤い炎が上がっており、一階部分は大量の水で浸かってしまっていた。


 歩みを止めた私の横を恐怖に怯えた様子の若い女性が駆け抜けていった。


 今しがた私が来た方へと走る彼女たちを私は止めることが出来なかった。


 そんな事、出来るはずがなかった。












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