第10話 騎士団長デイル・ラバーバ

「なっ……これは……」


 私は城の二階にある窓から摩訶不思議な光景を見下ろしていた。


 窓の外には当たり前に王都の街並みが広がっている。


 が、当たり前ではないものがそこにはあった。


 私の視線の先にある多くの民家の屋根に激しい雨が打ちつけ、激しい雨音を響かせている。先ほどまで空はあれほど見事な晴天模様だったのに。


 いや……違う。


 過去と現在の差など今はどうでもいい。


 問題なのはーーーー雨量だ。


 まるでバケツをひっくり返したような、なんてありきたりな表現では全然足らない。大樽をいくつも並べ一気にひっくり返したような? はたまた池をひっくり返したような? 実際に目にした事がないから何とも言いがたいが、それらでも言い足らないと思う。


 私が思い付く最大の表現ではそうーーーー滝だ。


 民家の上空に突如大きな滝ができ、その莫大な量の水が一気に民家に向かって流れ落ちているのだ。


 空に視線を走らせると、滝があると思しき空には恐ろしいほどに黒ずんだ分厚い雲が不機嫌そうに佇んでいる。


 それまで大滝を想起させる莫大な雨量を受け止めていた民家の屋根が中央付近で二つに分かれ、その後民家は跡形もなく無残にも潰れてしまった。


 降り注ぐ力と地面を流れる水の力。この二つの力に襲われた民家は次々と見るも無残な木片へと姿を変えていく。


「おいおい……これはマズいぞ……」


 目の前で繰り広げられる最悪の光景に私はすぐさま救助に向かおうと歩を進める。


「ーーん?」


 その時、ふと視界に入ったのは通路を挟んだ反対側の窓の景色だった。


 後方では雨音とは到底思えない爆音が相変わらず続いているのにも関わらず、反対側の窓の外は一面の雪景色だった。


 穏やかな春を終え初夏を迎えようという今の季節に、どういう訳か雪が降り積もっていたのだ。


 まるで天使の羽根を思わせるふわりとした幻想的な雪が空一面を覆い尽くし、王都を白く染めていた。


 私は窓にしがみつくようにしてそこから見える景色を確認した。何度見ても間違いなく雪だ。本格的な冬の時期でもそうそうお目にかかれないような記録的な大雪。つい心を奪われてしまうそんな幻想的な光景に冷静な判断を奪われる。


 ハッと我に返り再び反対側の窓の外へと視線を向ける。


 そこには馬鹿げた雨量がいまだに降り続いており、見慣れた街の光景はすっかり水に流され新たな大きな川が出来上がっていた。


 私は絶叫したくなる想いを必死に押し殺し、自身の顔を両手で何度も叩いた。


 どれだけ馬鹿げた雨量の雨が降ろうと、初夏に大雪が降ろうとそんなものは関係ない。私は一人の騎士として人々を救わねばならんのだ。


 それから私は考える事を一切やめて、城内を全速力で走った。向かう先はもちろん騎士団が普段から使用している休憩所。そこで人手を集めよう。救助にはとにかく人手が必要だ。幸い先ほど昼食を摂ったばかりだからそのまま休憩所で談笑している連中がほとんどだろう。もしかしたら寝ている奴もいるかもしれないが今は緊急事態だ、叩き起こして救助にあたってもらおう。


 そしてようやく辿り着いた休憩所の扉を私は力任せに勢いよく開いた。


「ーーーーっと! チップ副団長! いったいどうしてしまったんです⁉︎ 皆さんもしっかりしてください!」


 入団一年目のカイルが非常に取り乱した様子で副団長チップの肩を掴み揺さぶっている。


 副団長チップはカイルの問い掛けには一切答えず、ただひたすらに休憩所の壁に向かって槍を何度も何度も突き立てている。


 また、休憩所内の中央に置かれた長テーブルには数人の団員がまるで魂が抜け落ちたように力なく突っ伏しており、テーブルの脇に立った数人は天井を見上げ暗い表情で何かをぶつぶつと呟いている。部屋の奥の方では剣を壁に投げては拾い、投げては拾いを延々と繰り返している者までいる。


 私はその光景にひとつの確信を持った。


 今、このハイランド王国には何かが起きている。詳しい事は全く分からないが非常に危険な何かが私の知らないところで起きており、それは我々の命もさることながらこのハイランド王国の存続さえも脅かす事態になると、私はそう感じていた。


 私は踵を返し単身で通路を走り抜け、城を後にした。


 小高い丘の上に立ち王都の街並みを見下ろす。そこに広がる王都の凄惨な光景を目の当たりにし、私はその歩みを止めた。


 騎士になって二十五年。思えば戦わずして負けを認めたのは今日が初めての事だった。

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