第36話 はじめての長期休暇(2)
「しかしほんとに魅惑がきかないんだねぇ。でもこれ何か犠牲になってるでしょ」
「犠牲?」
「うん。あ――対価、って言えば分かりやすいかなぁ。君の欠点である魔術がうまくできないのとは別の、何かが代償になってると思うんだよねぇ。思い当たらない?」
「……あ」
「ほらぁ、あるでしょ」
「み、魅惑ができない……です、私は」
いずれバレるだろう、正直に白状した。デヴォンは目を大きく開いたあと、まるで口がムズムズするのだというように口を弧に描いた。
「ンフフフフフフフフ! なるほどねぇ! 魅惑を不要とする淫魔かぁ!」
げに楽しそうに笑うデヴォンに、ライラたちは若干身を引いた。
それでもデヴォンは天井を見上げながら笑い続けるので、ライラたちも何だろうと上を見上げる。天井には中くらいの魔法陣がいくつも描かれ、シーリングファンの五つのプロペラが回っているだけだった。
「あの、先生?」
「君はねぇ! きっと《魅惑》を不必要なものとし、代わりに絶対的な防御を得たんだねぇ、無自覚で! ンフフ生存本能ってやつだねぇ~淫魔に生まれついて《魅惑》を不要と見なすなんて、普通はないから面白い」
「……そんな単純な交換なんですか?」
「単純! 単純に聞こえるかもだけどぉ、淫魔の属性に生まれたにも関わらず、本能レベルでそれを選び取れるっていうのが普通じゃないんだよ。これは後天的選択はできない。だから、不可能に、近いんだ。……分かる?」
正直あまり分からない。
「その分かってなさが、今の結果と結びついているのかなぁ……。他種族のウォーウルフ君とキャロンさんの方が分かってる感じするし」
レオナルドとキャロンが真面目な顔で首肯した。
「俺だったら牙を無くし」
「私だったら爪を無くすことですわ」
「北嶺を駆る強靱な肉体では非ず」
「森のなかをしなやかに疾走できる体ではない」
「……だってさ?」
初めから持たざる者であれば、疎外感こそ感じるものの、その重要性を実感することはない。
「そう、なんだ」
「まぁこれは俺の憶測の域を出ないけどねぇ~そういうことなんだって、先生のなかでは確証をもってるよ。――さて」
デヴォンがパチンと指を鳴らす。机の上にきらりと星屑が弾け、個包装されたマドレーヌが三つ現れた。レオナルドはぴりりと破って早速食べている。
「俺が求めるように君も協力する、ってことでいいかなぁ? 僕は知識欲が満たされるし、ライラちゃんは未知の自分を知れる」
「――おおまかには、はい。先生が求めることが、私が受け入れられないときはどうしますか?」
「ふんふん。例えば?」
「私の目玉を一つ取り出せ、とか」
「ンフフフフフ俺って相当クレイジー教師じゃあん!」
デヴォンが指を鳴らし、ライラの前にチョコチップクッキーが現れた。
「しない、ですか?」
「良い子の生徒に目玉欲しいなんて言わないし。こういうときはあれだよぉ。淫魔としての適性を見たいからぁ~俺と一戦交えようとか、そういう心配じゃあない?」
「一戦? まさか先生と戦闘しなきゃですか?」
「拳でやり合うやつ想像してる? んなワケないじゃん、そんなんセック」
「黙れ変態教師」
「とまぁ、レオナルド君が怒るようなことだよ」
チュ、と飛ばされた投げキッスを、横にいたレオナルドがばっちいモノを触るような顔で打ち落とした。数秒おいてライラはようやく理解し、顔をひきつらせる。
「まさか先生、そういうこといつも本気で言ってたんですか?」
「……。なんかマジに言われるとさすがの俺もちょっと心が抉られるものがあるね」
否定はしないんだぁ、と身をひいた。
「大丈夫大丈夫。来る者拒まずタイプだからね先生は。自分からはつまみ食いしません」
「なぁにが大丈夫なのか分かりませんの」
「やめとこうぜ、いまさらだろ」
「つまり、私自身には興味がないからお子ちゃまは安心してなよ、ってことなんじゃないかな? ただし私がその気になると拒みはしないから、先生の魅力にクラクラしないでねって言いたいのかも」
ライラにとってもそこは大丈夫だから先生も安心してほしいところである。
「ライラ……どうやったらそんなに優しい解釈ができますの?」
「っつーか、コイツ何人かは生徒喰ってるって白状したようなもんじゃん。誰だか知らんが趣味悪いよなぁ」
「淫魔の市場価値はすごいのですよ。その最たる方はアルフォード様ですわぁ~。デヴォン先生はまぁ一夜の遊び相手じゃありません? ちょっと変わってるところがありますけど、見た目はこの通り美しいですし」
「あまり深入りすると実験台にされそうだしな。こいつ、マッドサイエンティスト風じゃん」
「ねぇ君たち、俺に対して酷くない? 目の前にいるの忘れてない? いちおー君らの先生なんだけど?」
いつもヘラヘラしているデヴォンの顔が、珍しくやや引き攣っていた。少し面白いなぁと、ライラはクッキーを食べながら静聴している。
「ファルマス様も人気がすごいのですけど、あの方は絶対に夜の誘いには乗らないので有名なのですよね。それにもう――」
「ファル兄、彼女できたもんね。もう毎日上機嫌でデレデレしてお花とんでる」
「えっマジ?」
「あらレオ知りませんの? 先日、学園中が阿鼻叫喚だったじゃありませんか……。相手は私の姉様ですわ」
レオナルドは真顔で固まった。口を開いて閉じ、言う言葉を探している。
「……レオの考えていること分かりましてよ。ほんとに私はファルマス様に対してそういうんじゃないので大丈夫ですの!」
「お、おう。なんかスマン」
バン! とデヴォンが手を叩いた。
「ゴホン! 君たちここに何しに来たか覚えてる? 茶店じゃないんだよ俺の研究室!」
「あ、すみません先生……コーヒーが美味しくてつい」
「案外居心地が良くてびっくりですの。天井が高いからでしょうか」
「俺、コーヒーはもっと苦いのが好み」
「そりゃライラちゃん用に出したからね! きみ用じゃねーわ!」
「えーとそれで、いざ研究って何するんですか? どうすればいいです?」
「……ライラちゃんさぁ、はじめ来たときの緊張感どこいったの」
脱力したデヴォンはキャスター付きの椅子に座り、背もたれに深く凭れた。はぁぁ、と溜め息をついている。
「せんせぇ、ライラはだいたいこんなんですよ。俺が心配するのも分かるだろ?」
「ああ、うん。君も苦労するだろうね」
「でも本能レベルの危機察知能力は高いのですよね」
「キャロンさんがそう言うのならそうなんだろうねぇ」
これは呆れられているのだろう。しかしデヴォンは思っていたよりも気遣いがあって面白そうな淫魔である。本や書類に埋もれているが、清潔さが保たれている部屋の雰囲気も良い。皆に見せている外面と違い、案外マトモな研究者なのではと思う。
「……こうやって話してみて、少しは信用できるかなって思うのは駄目ですかね……?」
「……」
デヴォンが黙り込んだ。つかの間、彼の瞳は凪いだ湖のように静かになる。
「チョロ……」
「まぁレオ、そう言っては可哀相ですわ。今まで生徒たちからどれだけ信用なかったかが如実に分かりますもの」
「ええい煩いよ君たち! ライラちゃんはもうちょっと疑り深くなろうね……」
「気をつけます。それで、どうすればいいですか?」
もうすぐ長期休暇になるでしょ、とデヴォンが指を鳴らす。ひらりとライラたちの手元に掌サイズの紙が舞い降りてきた。黒い用紙に、青白く薄く光る魔法陣とデヴォンの署名が入っている。
「休暇中は教授棟にロックがかかってるからね。それは期間限定の許可証。持っていたらすんなり入れるから。三日おきくらいに来れる? あー、長期休暇のプログラムとか参加する予定だったら無理しなくていい」
長期休暇のプログラムとは、学園側や魔王軍、研究室などが用意する特別コースのことだ。火山地帯で修行を積むものや、魔王軍治安維持隊に入隊するものなど、色々ある。
ライラは首を振った。来年などは何かに参加したいと考えているが、今回は見送っている。兄たちが特訓しようと言ってくれているのと、レオナルドも同じようなことを提案してくれているのだ。
「ウォーウルフ君は? きみ、絶対一緒に来るつもりでしょ」
「ああ。俺はたまに北嶺に行くけど、プログラムは参加してない。キャロンもだろ?」
「ええ。家のこととか、それと夜会や茶会だのに忙しいですの」
「じゃあ大丈夫だねぇ。研究の方法はまぁ色々あって~でもライラちゃんの場合なにから調べたらいいのか迷うね。とりあえず髪の毛もらえないかな? あと爪とか」
「髪はいいんですけど……爪、剥ぐんですか?」
物騒なこと言わないでくれる、と呆れた顔をしたデヴォンから爪切りを受け取った。ぱちんぱちんと切ったそばから宙を飛んで回収される。髪の毛も同様だった。
「まだ俺のこと信用しきれないでしょ? とりあえず髪や爪にどのくらい魔力が保有されているのかとか、調べとくねぇ。できればウォーウルフ君かキャロンさんのも欲しいけど」
「じゃあ俺のをやる」
「ありがとー。じゃ、最終登校日の放課後に来てよ。俺もどうやっていくか考えとくから」
艶っぽく笑んでぱちんとウインクするデヴォンに、ライラたち三人は真面目な顔で『コーヒーごちそうさまでした』と頭を下げた。
「休暇中に一度くらいは君たちをときめかせてみせるからねぇ……!」
多分こないのじゃなかろうか。確信に似た感想を、ライラはそっと胸にとどめた。
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