第35話 はじめての長期休暇(1)
「そろそろ学期末試験だよなぁ」
担任を待つホームルーム前、レオナルドがぼそりと言った。学園は二学期制で、夏期休暇前と年度末に試験がある。卒業後は研究職に就きたい、もしくは魔王軍などに入りたい場合は成績が良いに越したことはない。ライラは特に目標が定まっているわけではないが、できる限り良い成績を取りたい熱意だけはあった。ちなみに、必修科目は落とすと再履修せねばならない。人間界関連の必修科目は特に採点が厳しくなっている。知らないでは済まされないからだ。
「ヴヴ……実技が心配」
「必修のでしょう? あれは授業態度で可否が決まりますから、実技が悪すぎても単位が落ちることはないと思いますの」
「そうなんだけど……この前デヴォン先生に追いかけられたんだよね~つい吹っ飛ばしちゃって……めっちゃ顔怖かったの」
「ハ?」
ギュインとレオナルドの瞳孔が縦に伸びた。ずずずずず……と体中から魔力が滲みだし、周囲の空気を圧迫していく。そのためか、レオナルドの前に座るミツキの背がぶるっと震えた。レオナルドは普段、持て余す自分の魔力を意思の力で抑えている。気分が少々揺らぐだけで、これだけの魔力が溢れて出てきてしまう。それに最近、以前に増して彼の力が増えているような気がする。
「レオ、ストップ。そのときはキャロンのお姉さんのメルヴィア先輩が助けてくれたから大丈夫だったの。それに、先生からは『熱くなり過ぎちゃったゴメンねぇ』って謝られたから。手紙で」
「……なんで追いかけられた?」
「私の特異体質を調べたいって」
「チッ」
魔術を物理で弾き返している(ように見える)この体について、デヴォンは興味津々なのである。ライラ自身知りたいところなのだが、デヴォンがいまいち信用しきれない胡散臭さがあった。
「調べてもらいたい気持ちはあるんだけど、なんか、イヤで」
「思い通りに研究するため、生徒に魅惑かけようとした奴なんて終わってんだろ」
そう、ろくでもない。
「でもライラは――それについては心配いりませんよね」
「うん。だから、今度ちゃんと話を聞こうと思ってるの。自分のことをちゃんと知って、……強くなりたいから」
いずれ、あの先生の力を借りなければならないだろうとは、なんとなく思っていた。アルフォードやファルマス、父のグイードでさえも、おおよその予測はついても確固たる確証は得られなかったライラの体のこと。学園にはこれまで培い、積み上げてきた研究と環境がある。
それはもう少し先の未来の話で、デヴォンのことももう少し信用できてから……と思っていた。しかしヘルムの事件のことがあってライラの考えは変わった。先延ばしする意味はない。
「それ、俺も一緒に行くからな」
「ほんと? 実は頼もうと思ってたの。一人で行くのはちょっと怖いから」
「私もご一緒しますの。心配です」
「わ~~~ありがとうキャロンちゃん」
二人がいれば本当に頼もしい。
校舎群とは少し離れたところに教授棟が並んでいる。個人的な研究室を兼ねている部屋も多く、一室一室は広い。
「失礼します」
デヴォンの部屋は中でも広い部類で、最上階の一番奥の部屋だった。天井は高く、部屋の壁の一面は本棚で埋め尽くされている。よくわからない機械がいくつも置かれ、大きなテーブルの上には紙や本が積まれていた。乱雑さもあるが清潔感もある。
部屋の主であるデヴォンは革張りのソファに寝転がって書類を読んでいたらしく、入ってきたライラたちを見てニヤリと笑った。
「いらっしゃーい! 待ってたよ~ライラちゃあん!」
「はい、あの……先生」
「騎士ナイトと女王もようこそ。まー、三人とも適当に座ってよ。コーヒー淹れてあげる、俺やさしいからねぇ」
デヴォンがそう言いながら手を振ると、机のスペースがかろうじて空いているところにコトンと椅子が三脚現れる。
「ちょっと待ってください、女王って私のことです!?」
「あはは~すでに影の女王でしょキャロンさん」
「まぁいずれそうなるだろ」
異議あり! と困惑しているキャロンに、デヴォンはへらへら笑っていなし、レオナルドはぼそっと呟いた。ライラは賢く沈黙を貫いた。
テーブルの端にはコーヒー専用のスペースがあった。各種コーヒー豆を入れているのだろうキャスターが数個並び、デヴォンが鼻歌を歌いながら腕振るとそれぞれの蓋が開く。豆がふよふよ空中に浮いて飛び出してきて、紙フィルターの上まで移動するとひとりでに粉砕されトソトソトソッと落ちた。こうやってその時々の気分でブレンドして飲んでいるのだろう。それと同時に三つのマグカップもどこからか飛んできて机の上に並んでいく。簡単そうに見えて繊細なコントロールがいる魔術だ。
「それでぇ? ライラちゃんはようやく俺の申し出を受ける気になったのかなぁ」
「そうです」
「ンフフフフフ」
嬉しいねぇ、とデヴォンがマグカップを手渡してくれた。バニラのような甘みが香るコーヒーは初めてだ。
「デヴォン先生は研究対象として私の体が興味深い。私は自分のことが知りたい」
「うん、うん。そうだねぇ!」
「先生のそれは知識欲ですよね?」
ライラはまっすぐデヴォンを見た。この魔族は、己の名声とかそういうものには全く興味がなさそうなのだ。自分の欲求のままに、魔族らしく淫魔らしくやりたいことをやっている、と思っている。
「……ンフ。そうだね。聞きたいことが分かったよぉ……もしライラちゃんの秘密が分かったとしても、言いふらしたりはしないよ」
「やっぱ信用できねー」
「ウォーウルフ君が俺を信用できる日なんてこないだろうねぇ~。でもねぇ、俺もちょっと調べたの。《羊の姫》の再来だとか言われてるんデショ? そんで最近、トラブルに巻き込まれた」
「そんな噂がたったことは事実です。……先生も淫魔ですもんね」
「俺はあのパーティにいなかったけどね。一時はスゲー噂になったよねぇ。今まで引きこもってて正解」
ようやく、デヴォンが自分用に淹れたコーヒーができあがった。ビーカーのようなグラスカップに入ったそれをデヴォンは美味しそうに飲む。ほろ苦い香りが漂ってきて、手元にある甘いコーヒーはライラたち用にブレンドしてくれたのだと分かる。
「俺はねぇ、そーゆーのあんまり興味ないんだよね。君の体のことは研究対象として面白い素材だから、しばらく退屈は紛れるじゃん? それに一応センセーやってるから、生徒を導いてみようかなっていう気持ちもなくはないよ」
「やっぱり、普段から生徒を導く気はほぼなかったということですわね」
「私は明け透けな物言いがちょっと信用できる」
「教師としては駄目だけどな」
「いやー君たち三人も大概だと思うけどなぁ先生」
ライラは両手で持っていたマグカップを机に置いた。苦みしか連想しない揺蕩う黒い液体からは、まだまだ甘い匂いがする。デヴォンのうわべは軽薄で信用ならないが、なんとなく、頼ってみたくなるところもあった。それが彼の魅力なのだと思う。
「ねぇ先生。初めに言っておきますが、私には魅惑がききません」
「……ほんとぉ? そうじゃないかと疑問には思っていたけど」
確認してもいいかな、とデヴォンは椅子に座るライラの目の前に立った。ライラが頷くと、レオナルドにも『騎士サマのご承認は?』と確認する。
「オッケー、俺、久しぶりに本気でいくよぉ。キャロンさんは念のため離れててね、先生の顔を見ないようにしておきなさい」
デヴォンの右手がライラの頬にかかり、優しく上を向かされた。デヴォンの瞳がきらきらと煌めき、彼の周囲の魔力濃度が急激に上がった。ぶわりと甘い匂いがして、それは羽衣の帯のようになり、ライラの体を取り囲んでくるくる回っている。
「――可愛い子猫ちゃん、俺だけを見て」
ライラをふわりとした浮遊感が包む。デヴォンの魔力に体が包まれていることは分かった。デヴォンはとてつもなく強い。
「……」
「……」
「……オーケィ。ライラちゃん、揺らぎもしないねぇ。ちょっと自信なくす」
十数秒見つめ合ったあと、デヴォンは両手を上げて降参だと言った。
「いえ、先生の《魅惑》は私が知るなかで一二を争います」
「フーン? 一位はだあれ?」
「父様」
「ンフフ、トゥーリエントのご当主と張り合えたら重畳かぁ。ああ、キャロンさん、もう大丈夫だよ戻っておいで」
いつの間にか壁に貼り付いていたキャロンが、ほっと息を吐いて戻ってきた。顔が少し青い。
「対象は私じゃないのに、巻き込まれそうになりました……魅惑って怖いですわね」
「先生ほど魔力持ちの淫魔なんて早々いないけどねぇ。ほら俺は大鵬族とのハーフだし。……ライラちゃんのお兄さんたちは、まぁ、別として」
デヴォンの物言いに、レオナルドが軽く眉を上げた。
「兄様たちって、そんなに規格外なんですか?」
「ライラちゃぁんソレ真面目に言ってる? そこそこ隠してるみたいだけどさぁ、彼らフツーじゃないよ。どこから見てもね」
レオナルドの方を見ると、彼も重々しく頷いた。
「魔力量もおかしいし、技量が学生の域をとうに越えている。後者は、努力の賜物だろうけどな。……ライラを護るために必死だったんじゃねぇの」
大好きな兄たちなのだ。ライラが《羊の姫》になり得ると噂されたあの夜会から、兄たちは変わった。日々の鍛錬の取り組みが様変わりした。平時であるのにボロボロになっていた日は少なくない。
そして、頑張っても強くなれない自分が歯がゆかったのだ。
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