第31話 いざ北嶺プチ旅行(3)

 ライラとレオナルドが屋根の上で話していたころ。


 サツキが淹れてくれたココアを飲みながら、キャロンとエリックは暖炉の前で温まっていた。気を利かせたのか、サツキは二階の個室に上がっている。パチパチと爆ぜる薪は魔力を秘めた特別製。炎の赤みと、時折跳ねる青白い魔力の粒子が美しい。

 キャロンはエリックに聞きたいことがあった。


「エリックさん。今日は一緒に来てくれてありがとうございます。これからズケズケ立ち入ることを聞こうと思っていますの。よろしいですか?」

「何だか改まってるね。いいよ」

「エリックさんは、ライラのことが好きなのだと思ってましたの。……でも最近、は」

「ライラとレオナルドの二人が、いい感じな雰囲気、みたいな?」

「そうです。私も若干アシストしてなくも、ないかも、ですから」

「ふむ。そうだねぇ……」


 エリックはココアに口をつけながら、遠い昔を回顧するような、切なさの混じる顔をした。


「ライラのことは、正直よく分かんない。入学当初は、俺だけは特別な存在だと思ってたし、独占欲もあった。ライラと一緒に学園に上がるために、あいつの勉強を手伝ったりもした。ライラにとって、同世代の淫魔……と言うか魔族の友達は、俺だけだって知ってたし。小さい頃は好きだったんだと思う。今思えば初恋か」


 そしてエリックは悔いた表情をする。


「小さい頃のことでさ……俺、やらかしたんだよ。ライラが引きこもらざるを得なくなった案件。ライラは俺のせいじゃないって何度も言うんだけどね。そのときのことで、ライラに『罪悪感にとらわれないで』って言われたんだよね。そう言われたとき、俺のなかに占めていた罪悪感の大きさに気づいた。贖罪のつもりも、あったんだ。だったらそれはもう、恋じゃなくない?」


「……それは、人それぞれだと思いますけど」


「俺の場合は違うみたい。そこには俺の、償いが混じっていたから。俺が求める恋じゃない。……ライラのことは好きだけど、妹分としての愛情だったのかも。トゥーリエント家に勤めてる淫魔と、誘われたとは言え……遊んじゃったこともあるしねぇ」


 エリックのプレイボーイぶりはあちこちで耳に入っている。


「私は大猫族ですので、淫魔の性については分かりませんの。淫魔に限らずとも、魔族は全体的に性愛奔放じゃありません? でもまぁ、レオナルドはしないでしょうね」

「まあね。あいつのライラへの熱量をみて、俺とは違うなぁって思ったよ。脇目もふらず猪突猛進っつーか、最近隠そうともせずだだ流しだし、恥とか予防線とか全くないのな。何が何でもライラの傍にいたいって、全力で伝えてる」

「一度決めたらすごいですよね。薄々勘付いていたクラスの皆さんもびっくりですの」

「……クラスでもそうなの」

「そうですの」

「俺には出来ないことだねぇ。……ライラのさ、俺への親愛も特別なもんだって最近ちゃんと分かったから、この位置がしっくりくるって言うか、心地いいんだよ」


 そう言って暖炉を見つめながら微笑むエリックの顔は、何の憂いもなくリラックスしている。


「ふうん? 確かに、今のエリックさんってスッキリしてますの」

「そうそう。長年の問題が解けたみたいにさ。ところで、大猫族はソッチ系どうなの?」


 キャロンはぴくりと眉を上げて目を見開く。「ソッチ系とはどういう意味ですの?」


「夜の恋愛関係の方です。怒ったんならゴメン、でも大猫族って淫魔との関わりが薄い一族だし、気になって」

「ああ。別にいいですの。大猫族は身持ち堅いですわよ。魔族には珍しく一途な傾向ですしね。蠱惑的で恋愛に奔放なイメージのある淫魔とは、あまり関わろうとしませんわね。恋愛観が正反対にありそうですもの」

「へぇ。フォレストさんは好きな奴とか、恋愛に興味あるの?」


 こういうことをエリックから聞かれるのは初めてだ。ずいぶん踏み込んできている。キャロンが彼の心のうちを知ろうとしたからか、エリックも遠慮をひとつ取り除いたのだろう。


「私は……好きな方がいたこともありませんし、ぶっちゃけ興味もありませんの」


 エリックは腑に落ちた顔をしている。「やっぱり」


「あ、でも。恋愛方面は置いといて、ファルマスお兄さまは格好いいと思いました」

「そ、そっちかぁぁぁぁぁぁ。あいつ、淫魔だけど淫魔のなかでも異端だからな?」


 エリックは天井を見上げながら、ソファの背もたれにドスンともたれかかった。


「やっぱりそうですわよね? 何だかこう……確実に淫魔なのに、淫魔じゃないような、何て言うんですの二重構造?みたいな、ちぐはぐなところがまた気になるんですの。あくまで興味ですの。恋愛じゃありませんのよ、だって手に負える訳ないですもの」

「ああうん……フォレストさんの洞察力はすごいな、って思うよ。本人には絶対聞かれたくないけど、ここだけの話、ファルマスについては、なんか漠然と敵わないと思ってしまうんだよね……何故だかはハッキリ分からないけど」


 エリックはしみじみ呟いた。

 入り口扉がパタンと開き、閉じる。顔を赤くしたライラの帰還である。照れているような困ったようなその顔は、頬の赤みが寒さのせいではないと物語っている。


「「レオナルドに何かされ(まし)た?」」


「未遂!」


 白状してしまうのがライラである。嫌がってはなさそうなので、キャロンもエリックも生温かい視線を向けておいた。ほどなくして入ってきたレオナルドに対しても、である。



       ○


 晩ご飯はシチューを皆で食べ、ボードゲームをしながら入れ替わりでお風呂を使った。この山荘は、宿泊者達がリビングで集まって過ごすことを念頭に考えた間取りで建てられており、ボードゲームも沢山置いてある。開拓を競うカタン、陣地取りのブロックス、カードバトルのドミニオン……などなど。どれも皆熱中して遊び、楽しんでもらえたようだ。特筆すべきはキャロンの勝負強さである。どういう計算をしているのか分からないが、ブロックスでは確実に勝利を収め、運の要素もあるはずのカタンやドミニオン、アズール等でも必ず優勢である。彼女は今日をもってボードゲームの女王という称号がついた。


 夜も更け、それぞれが二階の個室で眠りに入る。ライラ、キャロン、エリックの三人は、ボードゲーム終盤のあたりでも相当眠そうだった。ベッドに横になった途端、おそらくすぐ眠りについただろう。


 誰よりも消耗しているはずのレオナルドは目が冴えていて、寝転がったはいいものの、眠れそうにないので一階に下りることにした。

 リビングにはまだサツキがいた。暖炉に近いソファに座り、所蔵されている本を読んでいる。彼女の体力も底知れないものがある。


「あら坊ちゃん。眠れませんか」

「サツキは? 疲れてないのか?」

「まだ眠る気にならないだけです。何か飲みます?」

「いいよ、自分でやる。サツキもいる?」

「じゃあ、カミツレの入った薬草茶がいいです」


 レオナルドの両親は放浪戦闘職だ。幼い頃は、なるべく一緒に過ごせるよう頑張ってくれていたが、やはりそれでも家をあける。彼らは危険なところに赴くのが多いのである。旅に連れて行ってくれることもあったけれど、ほんの少しだけだ。ウォーウルフの屋敷は一族が滞在に使うが、長期間一緒に住むことはあまりない。旅をし、放浪し、そしてまた帰ってきて、出発する。その繰り返し。


 長く一緒に生活してきたのは、姉と、住み込みの家政婦をしてくれているサツキの二人。サツキは家族同然だった。

 レオナルドは乾燥カミツレと適当な薬草をガラスポットに入れ、勢いよく湯を注ぎこむ。しばらく蒸らしてカップに淹れ、ソファ近くのローテーブルに置いた。


「ありがとうございます、坊ちゃん」

「サツキもありがとう」


 サツキの斜め前に座ったレオナルドは、背もたれに深く体重を預けてソファに沈んだ。ぼんやり木目の天井を見る。


「ご学友、仲がいいですね」

「そう? かな」

「ええ。同世代の集団生活、坊ちゃんって躓きそうだな~と心配してましたので、安心しました。皆、いい子ですね」

「ええ? そんな心配してたのか」

「坊ちゃんって魔力が高い代償に、獣の本能が強いでしょう。振り回されないよう、コントロールは出来てますけど、大変なのは分かります」


 その通りである。レオナルドは小さく息を吐いた。

 サツキの本性は六尾の妖狐だ。力を高め、九尾になると神の次元に踏み入れることも可能になるという。レオナルドはサツキの全力を知らないが、今はまだ敵いそうにないと肌で感じている。


「ライラもキャロンも、エリックも、いい奴だ。特にライラは、寛容が過ぎる。危なっかしい」

「そういうところも好きなんでしょう?」


 レオナルドは押し黙った。肯定である。


「……どこまでおしていいのか、迷う。今のところ、多分、嫌がられてはないと思うけど」


 ライラはなんだかんだ受け入れてくれるので、拒絶するラインの見極めが難しい。レオナルドに心を開いてくれているのかもしれないし、スキンシップ過多の家族達に慣れているだけかもしれない――なにしろ一応淫魔だし、あの兄貴達だし――と思うと、どこまでしていいのか分からない。嫌がられて、これ以上傷つけるのは絶対に御免だ。


 レオナルドでなくとも、そこそこ仲が良ければ、あのようなキスを受け入れるのだろうかと何度も考えた。ライラの場合、それはない、と思う。もしエリックともしていたら――と想像したとき、ただの妄想であるのに、うちなる狼が怒り狂って大変だった。夜中だったが鎮めるために走りに行ったのだ。


 恋とは非常にめんどくさい。


「坊ちゃんでも悩むんですねぇ」

「そりゃ、悩むよ」

 サツキは穏やかに笑った。

「姉貴には言うなよ」

「根掘り葉掘り聞いて、ライラさんに会いに行っちゃいそうですもんね」


 姉弟の色恋沙汰など、気恥ずかしいのである。アルフォードに関してのことも、レオナルドはまだ聞いていない。あれは“ぼくのにんぎょひめ”と姉のことを呼んでいた。聞かない方が精神衛生的に良い気がしている。






 北嶺の夜明けは遅い。まだ暗いうちからレオナルドとサツキは起き出し、山荘管理の仕事をする。白と橙色の光が差す頃には、野菜煮込みのスープと、スコーンが焼き上がっていた。丸くふっくらしたスコーンを作ったのは、生地を練るのが上手いレオナルドである。


 ライラとキャロンは自然に起きて一階に下りてき、まだ眠っているエリックはサツキが起こしに行った。


「おはよう」

「おはよう。早いねぇ、レオも、サツキさんも。いい匂いがする……」

「おはようございます。あ、もう朝食できてますの? なんだか私、至れり尽くせりで何もしてませんね。ごめんなさい」

「キャロンは客なんだから、それでいいだろ」


 レオナルドが呼んだ客である。そんなことを気にしていたのか。スコーンをそれぞれの皿に二個ずつ置きながら、好きなところに座るよう促した。

「あなたって、案外ホスピタリティ力高いですわね」

 それはどうだろうか。サツキの手伝いをしているだけである。


「ライラそれ寝ぐせ? ふわふわして、可愛いな」

 ライラの髪は、いつもはポニーテールにしていたり、複雑そうにまとめあげていたりするのだが、今朝は下ろされていた。肩から下のあたりを中心にふわふわとしている。


「あああありがと……」


 可愛いと言うと、ライラは毎回照れる。それが毎回可愛い。じっと見ていると目を逸らされた。手首にはめていた髪ゴムで簡単なお団子頭にしている。髪をまとめてから、キャロンの隣に座った。レオナルドはその向かいに座ることにする。


 朝からライラの顔を見て話せることが、こんなに幸福だったとは。胸の底がほっこりあたたかくなるような心地がしている。


「レオナルド、見過ぎ。見つめ過ぎですから。私も一応ここにいますから」


 キャロンが半目で言ってくる。そんなに見つめていただろうか? ライラはレオナルドと目を合わせようとせず、朝食に視線を落としている。


「いや、まぁ、いいんですのよ。いいんです。ここは教室じゃありませんしね」


 すこし呆れた口調である。

 サツキとエリックが一階に下りてきた。エリックはゆったりした寝間着のままだ。まだ眠そうに目を細め、のろのろと近づいてくる。


「おはよ~……あれ、皆、ちゃんと着替えてんじゃん……」


 エリックはあくびをしながらレオナルドの隣に座った。「ごめんね何もしなくって」

「お前は客だろ」

 エリックは目を瞬いた。「あ~……うん、そっかぁ」

 正面にいるライラが微笑んでいる。


「それではみなさま、頂きましょうか」


 サツキの号令で朝食がはじまる。

 窓から見える雪原に陽の光が差し、真白く反射している。室内は明るく、どこかふわふわとしたやわらかい空気だ。

 こういう朝もいいものだ、とレオナルドは思った。






 お昼をまわる前に一行は山荘を出発した。来たときと同じように、レオナルドの本性である大狼の背に皆が乗る。レオナルドは慎重に丁寧に進み、山を越え、《転移》可能区域まで到達した。時間はかかったが気をつけた成果もあり、ライラ、キャロン、エリックとも、前日のような惨事にはならなかった。そこから学園まで《転移》し、解散とする。


「とても楽しかった。ありがとう、レオ」

「北嶺は興味深い土地でしたわ」

「世話になった。面白かったよ」


 レオナルドとサツキが、《転移》の光に包まれ消えていく三人を見送る。


「私達も帰りましょうか、坊ちゃん」

「サツキもお疲れ」



 ――ライラを巡る騒動後の、ひとときの休息。明日からまた日常がはじまるのだ。







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